結婚式
本人そっちのけで着々と準備が進んでいたのに気づいたのは、三日前の朝のことだった。
突然社長室に呼び出された二人に告げられたのは、次の土曜は丸々空けておくように、ということ。
翌週丸々二人で休暇を取っていた二人は、思わず顔を見合わせてしまった。
まず思いつくのは、一週間休む代わりの休日出勤だろう。
休む分の仕事を急ぎの分だけでも済ませて行け、と言いたいのは良くわかるので、そうはいってもそのために今週は忙しくしていたのだが、さらに仕事があるということだろうか。
怪訝な様子の二人に、社長は人の悪い笑みと共に否定して見せたのだが。
「心配せんでも仕事ではないよ。まぁ、ある意味業務の一環と捉えてもらって構わんが。ちょっとしたリクリエーションだ。新婚旅行は日曜出発なのだろう?」
その話は、部内では確かに知られていたものの、社長の耳にまで届いているとはさすがに思わなかったのだが。
そのヒントで、なんだか嫌な予感を思いついた。
「新婚旅行に行く前に、やることが残っているだろう? お膳立てしておいたから、そのつもりでな」
楽しみだのぅ、ほっほっほ。
完全に傍観者の立場を楽しんでいる、どう考えても首謀者な社長の反応に、二人は揃って肩を落とした。
つまり、新婚旅行の前に披露宴くらいはして行け、ということだったらしい。
この会社の決算期は行政と同じ三月だ。
したがって、年が明けてからは来期から始まる子会社の準備で忙しくなるだろうという推測の元、二人は十一月の祝日を絡めた一週間を有給休暇とリフレッシュ休暇を合わせてドンと休み、新婚旅行に出かける予定にしていた。
年初めの大安日に惣一が営業で出かけたついでに役所に寄って書類は提出済みなので、すでに戸籍上は明義も戸上姓になっているのだが、社内では旧姓で通すことにしている。
暗黙の了解を得ていることなので戸上姓でも構わないのだろうが、対外的な体裁と社内で呼び分けにくいという事情を鑑みた結果だ。
二人とも披露宴をするつもりなどまったくなく、明義が改姓するにあたって総務への報告と社長への挨拶は済ませていたが、それで終わらせる予定だったのだ。
新婚旅行も、二人共に消化するタイミングがなくてずるずると延ばしていたリフレッシュ休暇を消化する名目があったので、この忙しくない時期の大型連休は特に問題も発生しないはずだった。
まさか社長からそういう物言いが入るとは思わなかったものだ。
いや、思わないようにしていた、が正しいのだが。
呼び出された場所は、会社から見て最寄とは反対方面に大通りを進んだ先の別の私鉄駅近くに建てられたホテルだった。
入り口を見れば戸上家小谷家結婚披露宴会場と看板が立っていて、その近くには秘書課でも随一の美人と評判の橋本女史がまるでコーディネーターのような物腰で待っていた。
こんな美人をすでに風も冷たくなった吹きっ晒しに立たせておいて平然としていられる男はあまり多くない。
戸上も小谷もその姿を発見するや急いで近寄った。
「お待たせしてすみません」
「いいえ、私が好きで待っていたんですもの、お気遣いなく。ご案内します、どうぞ」
この企みに乗っているということは、これが二人の披露宴であることは重々承知した上の対応なのだろう。
ほとんど面識がないと言っても良い相手に二人とも恐縮してしまう。
いくら社長主導とはいえ秘書課まで動員されているとなると、どこまで騒ぎが広がっているものやら。
案内された先は控え室のようだった。これに着替えてください、と渡されたのは色違いのタキシードが二着。
一方は純白で、一方はシルバーグレーだ。
いつの間に服のサイズを調べたのかと一瞬不思議になり、そういえば会社指定の作業服発注のために全員サイズを会社に報告していることを思い出した。
まったく着ないのでシステム部はしばらく前から支給されていないのだが、サイズ確認は毎年行われているのだ。
明らかにサイズが大きいのはシルバーグレーの方で、どちらがどちらかと聞くまでもなく、純白が明義用だと一目瞭然だった。
SかMかLかで大別すれば二人ともMサイズなのだが、スーツのサイズはやはりそれなりに違うのだ。
色が違うだけで同じデザインのタキシードは、寄り添えばその仲の良さが引き立った。
このあたり、どうにも女性のセンスが作用しているように思えてならない。もしかしたら、この企画で二人は知らないうちに秘書課のおもちゃになっていたのかもしれなかった。
まぁ、ここまできたらどうにでもしてくれ、と思わなくもない。
着替えろとの指示以外放置された状態の二人は、着替えてしまえばすべきこともなく時間を持て余してしまった。
お互いにお互いの晴れ姿をしげしげと見つめ、惚れ直したようにホワンと頬を赤らめて照れ笑いしあう。
「惣一はさすがにそういう恰好も似合うよね」
「明義だって随分と男前に見えるぞ。惚れ直した」
「いや、まぁ、あれだよね。馬子にも衣装」
「いやいや、マジでかっこいいって」
上背のある惣一と比べれば華奢だの可愛いだのと評価される明義だが、これでも一人前の男だ。
運動量が少ない分痩せ気味な感じは否めないが、元々アイドル顔なのだ。
それなりの恰好をすれば印象はガラリと変わる。
惚れ惚れした様子の惣一に、明義はまっすぐ見返すことも出来ず眼を背けて、代わりにその肩に頭を預けた。
「ずっとそばにいてね」
「お前にそれを言われるとはな。俺の方こそ、捨てるなよ?」
「捨てないよ。将来惣一を介護するのは俺の役目なんだから」
「おいおい。逆かもしれないだろうが」
「大丈夫。ボケるなら惣一が先だよ、絶対」
「断言するな、バカ」
じゃれ合いに等しい言い合いも、その年まで共に生きていくという大前提のもとの話だ。
一瞬黙って、二人は同時に噴出すように笑った。
やがて、先ほどの橋本女史が秘書課の女性をもう一人引き連れて迎えにやってくる。
それぞれに引き離されて別々の道から、二人は会場へと向かった。
惣一は、会場袖の入り口から中に通されて参列客を見回し、唖然としてしまった。
システム開発部の面々が全員集合しているのは言わずもがなだが、他にも部長以上の会社幹部や取締役の御歴々が全員顔をそろえ、システム関係で付き合いのある各部署の事務方の課長やら総務課の女性陣やら、社内で顔見知りな人々が全員揃っているといっても過言ではない。
さらに、前方のテーブルに並んでいたのはなんと、戸上家の両親に小谷家の母と兄夫婦、おそらく空席になっているのは今席をはずしている小谷の父だろう。
とんでもない規模の披露宴になっていた。
いったいこの費用はどこから来るのか、恐ろしくも感じられる。
会場前方の中央には社長が立っていて、早く来いと目配せしてきた。
急いでその目の前に立てば、それを待っていたらしく司会進行役が開会の宣言を始めた。
「皆様、会場後方にご注目ください。新婦の入場です」
促されて振り返る。
まるで教会のように中央に赤い絨毯の道が敷かれ、その先の扉が両開きに開かれると、そこには黒のタキシード姿の父に腕を絡めた明義の姿が現れた。
わっと歓声が上がり、大きな拍手が巻き起こる。
まったく、社長が社長なら社員も社員だ。皆揃いも揃ってノリが良い。
しずしずと会場入りする二人の姿に、惣一は思わず目頭を熱くした。
そもそも、同性しか受け付けない自分に気付いた時に、結婚式など夢のまた夢と諦めていたのだ。
それが、生涯を誓い合った愛しい伴侶が父親の手から自分の手へ預けてもらえる日が来るなど、予想しえたはずがない。
迎えに行きなさい、と社長に促されて、惣一はその足を踏み出した。
丁度バージンロードの真ん中で出会い、明義のすらりと滑らかな手が漁師のゴツイ手に包まれて、惣一が差し出した手に渡される。
それは、信頼して任せるつもりがなければなされない行動で、明義は自分の手の行方をじっと見つめ驚いたように父を振り返った。
「惣一君」
「はい」
「籍は変わっても私たちの息子であることに変わりはない。滅多なことがないように、よろしく頼むよ」
「はい」
託されたその手を握り、惣一は神妙な面持ちで深く頷く。
ここぞとばかりに持ち前のカリスマ性を発揮して人に信頼感を与えてくる惣一に満足そうに頷いて、父は次に息子を見やった。
「お前が選んだ相手に間違いはないと信じている。良く助け合い、幸せな家庭を築きなさい。後悔しない様にな」
大学に進学して家を出たときも、成人の祝いの席でも、就職するときも、一度として父親らしい言葉などかけたことのなかった父の台詞は、それだけに十分な重みがあった。
明義の心の底辺にずっしりと沈んで礎となる。言葉も出ず、明義はただ深く頷くだけだった。
父がその場を離れていくのを見送って、明義の隣に惣一が立ち、二人揃って社長の待つ壇上へ向かう。
どうやら社長自身が教会の神父役を務めるつもりであったらしい。
そもそも結婚の証人は神父である必要はなく、教会がそこにないのならその場の責任者が証人となる。
船の上なら船長がその役目。ならば、会社という大きな船の船長である社長にも、その役割は十分に果たすことができるというわけだ。
目前に並んだ二人を満足そうに見やり、おもむろに口を開いた。
「戸上惣一、小谷明義。互いに慈しみ、協力し、愛し合い、病める時も健やかなりし時も飽くことなく、生涯を共とすることを誓うか?」
結婚披露宴との名目とはいえ、この場はあくまでも結婚式の式場である位置づけで、参列者たちが見守る中、神父の口上をだいぶ凝縮して二人に問いかける。
惣一と明義はお互いに顔を見合わせると、揃って社長に向き直り、頷きとともに答えた。
「はい」
「今この時より二人を夫婦と認める。この場に列席する全員が証人だ。二人とも、末永く幸せにな」
途端、拍手と歓声が上がった。
二人の関係を長く見守ってきたシステム部の面々はもとより、他部署のシステム担当者たちや交流のある上級管理職の人々まで、幅の広い人々から祝福の声が上がった。
二人に席につくよう指示をして、社長は歓声が収まるのを待って話し始めた。
「そもそも、私は元々同性愛に対して否定的だった。
世の中の半分は女であり、子孫繁栄の観点からも男女で夫婦となるのが自然であり、同性では何の発展性も生産性もない。
だが、彼らが私の考え方を変えてくれた。
人から受け入れられがたいことを二人は良く承知しており、いつでも職を辞められるように能力はあっても責任ある職を避け、それでも抗いがたい性癖を受け入れてわずかな幸せを探る姿勢を、私はつぶさに見てきた。
彼らはその性癖が仕事に対してなんら影響を与えないこと、性癖が彼ら自身の性格になんら影響を与えないことを身をもって示してくれた。
実際、わが社になくてはならない人材だ、手放すわけにはいかん。
今回こうして新しい人生を歩む決意をした二人を、私は心から祝福したい。
私に柔軟な思考と未来への展望を示してくれた彼らの、将来に幸の多からんことを心から願いたい。 ここに集まったわが社の有志諸君についても、多少の差はあれ二人を祝福していることだろう。
戸上君、小谷君。
君たちにはこんなにも多くの理解者がいることを知っていて欲しい。
君たち自身が集めた信頼をどうか自覚して欲しい。
いずれ君たちに壁が立ちふさがるとしても、多くの仲間たちが君たちを助けようと思い手を差し伸べることだろう。
世間の荒波に揉まれ慣れ逃げることを前提とせざるを得なかったこれまでの人生は想像に難くない。
だが、君たちは彼らの温かい眼差しの中で己の力を十分に発揮することができる。
君たち自身に乗り越える意思がある限り、彼らが君たちの味方になってくれるはずだ。
君たちはまだ若い。これからの未来において、仕事の面でも家庭の面でも様々な試練に立ち向かうことになるだろう。
だが、君たちにはそれらを乗り越える力がある。
助けてくれる仲間もいる。
どうか挫けることなく有意義な一生を送って欲しい。
今日の良き日に新たな門出を向かえる君たちに、私から心からの祝福を送ろう。
今日は本当に、おめでとう」
静まり返ったホールの中、社長から送られた祝辞の余韻が響く。
やがて、パラパラと湧き始めた拍手は次々と増えていき、盛大な拍手が贈られた。
聞き始めていたころは促されたとおりに座っていた二人は、途中から立ち上がって拝聴していて、深く頭を下げてその祝賀を受けていた。
この披露宴の費用が、有志からの寄付と参加費、社長の私産と会社の福利厚生費から賄われたことを知って、二人は改めて唖然としたものだった。
披露宴会場では二人揃って温かな祝福とともに揉みくちゃにされ、その一方で初対面だった両家の家族は本人たちは放っておいてお互いに友好を深めていたらしい。
開放されて歩いても帰れる自宅に戻った二人は、荷物を手に成田へ向かっていた。
元々、土曜の夜のうちに成田で一泊してから飛行機に乗る予定だったのだ。
それがなければ夜通し飲み明かしに付き合わされたことだろう。
新婚旅行の行き先は、南国の楽園、フィジーだ。
普段から忙しく働いている二人にとって、とにかく何もしない贅沢が本物の贅沢だ。
ヨーロッパ旅行も考えたが、往復の飛行時間に挫折した。
ハネムーンに利用されるコテージを五日間借りて、プライベートビーチでゆっくりするのも良し、ホテルのプールで泳ぐも良し、遊覧飛行のツアーに参加するも良し、ダイビングを体験するも良し。
日頃パソコンと向かい合って凝り固まった身体を解す絶好のチャンスだ。とにかくのんびりゆったり日々を過ごすつもりだった。
今回の旅で、二人が申し合わせたようにお互いに禁止したこと。
それは、インターネット環境に接続することだった。
メールチェックもネットサーフも厳禁だ。
普段の生活がネットに支配されている意識は二人ともにあったのだろう。
気になるなら帰ってきてから纏めてチェックすれば良い。
とにかく、非現実の世界に現実を持って行かないことが第一だ。
明日からの休暇を楽しみに、明義は成田のベッドに寝転がって、タオルで頭をガシガシと拭いている風呂上りの旦那様を改めて眺めた。
外回りにも出るせいか、晩秋でもそこそこ日に焼けて胸板もガッシリとした男らしい身体つきで、明義にとっては特に頼りがいのある愛しい人。
その逞しい胸に抱きしめられる幸せを知っているから、手放せないと思う。そして、手放す心配は随分と減った。
同じ籍にある分、法的な拘束力が生まれた。
戸上の姓がくすぐったく感じる反面、約束された未来を保証するものでもある。
戸上明義である限り、離れる心配を考えなくて良い。
「幸せ、だよね」
「ん?」
「人に祝福されてさ、堂々と旦那様の姓を名乗れるって、凄く幸せだと思う」
改姓したのは明義だけで、その意味では同じ実感を得ることはできないが。
反対に恋人の姓が自分と同じ幸せもまた、味わうことができる。それもまた凄く幸せなことだ。
だから、惣一も頷いて答えた。
「今日は本当にびっくりした。あんなに大勢集まってくれるとはな」
「社長主催だから、取締役の御歴々は半強制参加だと思うけど。でも、それを差し引いても凄い人数だったよね」
システム部のメンバーには、普段から一緒に仕事をしていることもあって、二人のラブラブ具合も仕事の能力も良く知られているからわからなくもないが。
システム開発の関係で打ち合わせなどで顔を合わせる相手でしかない他部署の担当者があんなにもたくさん列席していたのには驚かされた。
彼らについては、強制参加ではありえないだろう。
それに。
「父さんも、あれは驚いた」
「託されちゃったからな。責任重大だ」
託されなくても同じ重さの責任を負うつもりではあるが、やはり気構えが違うというものだ。
「幸せに、ならなくちゃね」
こんなにもたくさんの人に盛大に祝われたのだから。期待に応える義務があるはずだ。
そうだな、と惣一も頷き、明義が寝そべるベッドに腰を下ろして、その頭をさらりと撫でる。
明日から散々イチャイチャできるのだから、と思うとさすがに今日は手が出ないが、スキンシップを遠慮するつもりもまったくない。
「まずは、明日からの旅行を楽しんで来よう」
「ハナさんのお勧めだもんね。楽しみだね」
つい半年ほど前に同じくハネムーンでフィジーに出かけていた同僚の花井に勧められたホテルだ。
ある意味太鼓判付きで安心できる。
その分、始めから楽しむつもりで出かけて行くのが正解だ。
本当に楽しみにしているようでくすくすと笑う明義に、惣一もまた和まされて目元を和らげる。
そうして、明義がいるベッドにもぐりこんだ。
ちなみに、普通のツインなので一つのベッドはシングルサイズ、大人の男二人では狭苦しいのだが。
「蹴るなよ?」
「そんなに寝像悪くないよ。知ってるくせに」
無理やり入ってきた惣一に嫌がるそぶりも見せず、明義はそのぬくもりに擦り寄って目を閉じる。
明日は早朝六時半発のフライトだ。
「おやすみ」
ナイトテーブルに付けられた照明のスイッチを切り、惣一は目の前に見えるおでこにチュッと軽いキスをした。
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