嫉妬




 蒸し暑い夏の夜のことだった。

 分社化されて随分偉そうな肩書きがついても、実質的な作業はほとんど変わらず相変わらずな生活をしていた小谷は、その時いつものごとく喫煙室にいた。

 自分自身の作業は終わっているものの、開発グループメンバー全員の作業が終わらないことには帰るに帰れないグループリーダーの小谷は、実に暇そうにタバコを吹かしていた。

 自分自身が手を出してしまえば、あと小一時間もあれば解決しそうなバグなのだが、年少の開発者を育てるためにもあえて手を出さずに見守っているところだったので、小谷自身は暇もいいところなのだ。

 実は、これのおかげで翌日も休日出勤が確定している。何をしていようかな、というところだ。

 そこにかかってきた電話だったので、私用であることはわかりきっていても、躊躇なくその電話に出た。

 ろくに相手を確かめもせずに通話ボタンを押したためか、相手の名乗りを聞いて小谷は驚いて問い返した。

「えっ!? うわ、何、ふみふみじゃん! 久しぶり〜!! どうしたの?」

 ちょうど喫煙室には小谷以外にいなかったので問題はないのだが、もし部外者がいれば驚いたことだろう。
 定時後とはいえ社内だ。私用の電話に遠慮なく私用とわかる言葉遣いは褒められたものではない。

 どうやら相手は随分と困っているようだった。

『久しぶりの電話で頼みごとで悪いんだけど』

「ふみふみから頼みごとなんてよっぽどだね。良いよ。ちょうど明日は実作業無しの休出予定で暇なんだ。ボリュームと納期は?」

『てか、よくそれ系だってわかるよね』

「え〜? ふみふみが人に頼みごとするなんて、仕事の助っ人くらいしか思いつかないじゃん」

 あはは、と笑って返す小谷に、相手もまた程よく脱力したようで笑い声が帰ってきた。
 電話の向こうではなにやらせわしなく英語が飛び交っている。

 相手は数年前にインターネット上で知り合った五歳年下のロボットエンジニアだった。
 ふみふみというのはインターネット上で彼が使用しているハンドルネームである。本名も知っているが、最初に目にした名前が小谷の中では定着していた。

 開発室にいないがカバンはまだあるので喫煙室だろう、とあたりを付けたらしい戸上がちょうどそこにやってきて、珍しい小谷の楽しそうな電話に驚いていた。
 普段と比べれば随分と精神年齢の低い話し方なのだから無理もない。

 相手の声は戸上の耳までは届かず、自分相手にもめったに甘えない彼の甘えたような声に、少し憮然としてしまう。
 小谷側の言い分によれば、相手の声質に合わせているだけだそうだが。

『標準工数で五人日見積もってるんだけど、超特急で必要なんだ。日本時間で日曜の正午までに欲しいんだけど、できる?
 Javaアプリ一本、共通ツールは一式送るよ。時給30アメリカドルでどうかな?』

「アメリカドルってぇと、今120円くらい?
 OK、引き受けた。いつものメアドに詳細送って。
 って、詳細設計書とかもいるの?」

『それは良いよ。出来上がったものからこっちで後で起こすから。じゃあ、メールするね。よろしく』

 よほど忙しいらしくぶちっと電話を切られて、小谷はにまっと笑った。久しぶりに腕の鳴る仕事だ。

 と、戸口に佇む戸上を見つけ、不機嫌らしいその表情に首を傾げる。

「どうしました?」

 一応社内だという自覚はあるらしい。だが、その普段どおりの敬語に、戸上の不機嫌に拍車がかかる。

「俺には敬語?」

「……嫉妬?」

「悪いか」

 ふん、と開き直って鼻息荒くそっぽをむいて、しかし素直に近づいてくる戸上の様子に、小谷は楽しそうにくすくすと笑った。
 定時後のこの時間、他に喫煙室利用者はいない。

「浮気すんじゃねぇよ」

「海の向こうに住んでる人とどうやって浮気すんのさ。俺にその気があったって、向こうから願い下げだろうよ。旦那さんとラブラブだもんさ」

 ふふっと自分の方こそ幸せそうに笑う小谷の台詞に、今度は改めて戸上が首を傾げる。

「女の人か?」

 普段から小谷が目移りする相手など男ばかりだと良くわかっている戸上だからこそ、不思議そうな表情を隠さない。
 それに対して、小谷はまさかというように首を振った。

「確かに小柄らしいけど、男だよ。
 まだ会ったことないんだよね。こないだこっちに戻ってきてたって聞いたけど、時間が合わなくって会えず終いでさ。
 ライブチャットとかするから顔は知ってるんだ。本人はそこそこだけど、旦那さん、随分男前だよ〜。浮気するならあの旦那さんの方が良いな」

「……おい」

「あはは。冗談だってば。七歳も年上の俺なんか、向こうが嫌がるって」

 答えながら、電話中に吸い終えてしまって手持ち無沙汰な右手にタバコを挟み、ライターに火を点す。

「明日、空休出になっちゃったから暇なんだよ。だから、バイト引き受けた。それだけだよ」

「バイト?」

「そ。バイト。何年か前にもしばらく個人でバイト引き受けてたろ? あれだよ」

「その相手か?」

「あの時に知り合ってるからね。俺の腕を買ってくれてて、困ったときは頼りにしてくれる。反対に言うと、それだけの付き合いだよ。普段はメル友」

 小谷の答える言葉に澱みはなく、実際小谷にとってメル友と呼べる相手の数はかなり多いとよく知っている戸上は、それを疑う余地がない。
 納得して気まずそうに頭を掻く姿に小谷は遠慮なく笑った。

「何の後ろめたさもないと、嫉妬してもらえるってけっこう嬉しいね」

 疑われたことを気にもせず、反対に幸せそうにニコニコ笑って、小谷は半分ほど吸っていたタバコを最後の一吸いを肺に収めて灰皿に押し付ける。
 それから、「さ、仕事仕事」と呟いて喫煙室を出て行った。

 一人残された戸上は、ただ肩を竦める以外に何もできることはなかった。





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