時報




時間軸は少し遡って、プロポーズより少し前の頃のお話です。



 小谷の喫煙頻度はけして高くはない。

 一日三回、十時、二時、四時の前後に、おもむろに席を立ち、喫煙室へ消えていく。

 あまりに規則正しいため、小谷の喫煙時間を時報代わりに思っている同僚も少なくなかった。
 大抵連れ立って喫煙室へ向かう戸上は、管理職の立場上、営業やら会議やら折衝やらで作業場にいないことも多いので、時報の役には立たないせいだ。

 その規則正しい生活に、ストップがかかったのには、已むに已まれない事情があった。

 この春入社した新入社員も仕事に慣れてきた十一月。

 余裕を持ったスケジューリングではあるものの、その新入社員たちに一人前の仕事を割り振って、それぞれの開発チームに分散させた途端、それは顕著に現れた。

 今までであれば、まずは新人同士で相談して、本やらネットやらで調べて、それでも解決できない不明点を教育担当である小谷に聞きに来る、という手順を踏ませていた。

 その手順が、それぞれバラバラにした途端に崩壊したのだ。

 先輩社員が期待するのは、今までの手法から、新人同士の相談を取り除き、小谷の役割をそれぞれの開発チームの先輩に移行する、というところだった。

 一人前の仕事を割り振ったからといって、突然できるようになるわけではないのだから、その教育は先輩社員全員の責務のようなものであり、それは先輩全員が理解していたのだ。
 受け入れ態勢は整っていて、新人が自ら動いてくるのを待つばかりの状態だった。

 にもかかわらず、新人同士の相談、という手順を取っ払った途端、新人たちの行動は期待と外れた方向に進んだ。
 書籍やネットに当たる、という手順まで取り払って、直接小谷に相談しに来るようになったのだ。

 新人たちの目にどのように映っているのかは定かではないが、小谷は自他共に認める部内で一番忙しい人だ。
 小谷も他の先輩諸氏も、それとなく声をかけ、負担分散を図るのだが、思うとおりにいかないのが現状だった。

 その時も、客先の要望にあわせてカスタマイズした月次処理をテスト実行にかけて、十分は確実にかかる処理の間に一服してこようと席を立った途端、小谷に声がかかった。

 それは、小谷に懐いた上に岡惚れして思い余って告白したもののあっさり袖にされた、という新人にしてはハードな経歴を持つ谷本だった。

 平身低頭、というにふさわしい態度で、喫煙室に向かうべく部屋の出口に向かっていた小谷を呼びとめ、ソースを見て欲しいと懇願する。
 そこまでされて無視もできず、というかそういうテクニックを新人に広めた最初の一人なのだが、仕方なく小谷は画面を覗き込んだ。

 見れば、比較的頻繁に使用される記述のロジック構築に躓いているらしいことはわかった。
 が、同様のことは、同システムの別フォームでもしているはずで、人に聞くまでもなく簡単に自分で調べられる範疇だ。

 おもわず小谷は呆れた声を出してしまう。

「あのな、谷本。自分で調べたか?」

「はい、もちろんです」

「お前、大学文系じゃなかったか?」

「バリバリ文系っすよ。社会福祉です」

「卒論で調べ物しねぇ?」

「しますねぇ。マイクロフィルムとか、新聞の縮小とか」

「で、調べ方、わからねぇの?」

「……や、でも、そういうのって図書館でしか調べられなくないです?」

「何でプログラム書くのに新聞やら雑誌やらが必要になるんだよ。情報源がインターネットとか似たプログラムの過去ソースとかになるっていう話だ。
 グループリーダーに聞いて、過去のソース見せてもらえよ。同じシステムなら似た画面があるだろ。
 人のソースを解析するって、新人の頃は大事だぞ。人に聞かないで、自分で理解して応用してみろ。コーディングなんてもんはそうやって覚えるもんだ」

 ちょうど彼が所属する開発グループのリーダーが顔を上げてこちらを見ていたのを見つけて、後はよろしく、というように目配せし、小谷は逃げるように谷本のそばを離れる。
 目配せを正しく読み取って、グループリーダーである花井がそちらに近寄っていくところまで見届けて、今度こそ喫煙室へ行くためにドアのノブを握ったところで、別のほうからこれまた新人の声がかかった。

 そうこうしながら三十分ほど、新人の机の間を行ったり来たりしていると、ちょうど来期の子会社設立関係の打ち合わせで留守にしていた戸上が戻ってきた。

 戸上は、小谷のパソコン上で処理終了を示すメッセージ表示が出ていることと、現在新人の机のそばに立っていることを総合して事情を把握したらしく、困ったように肩をすくめる。

 おもむろに背後に近寄って、突然背中を抱くように覆いかぶさってきた男に、小谷は戸上の帰還を察知し、次に彼を咎める視線を向けた。
 新人教育担当になってから厳しい表情の割合が増えた小谷の、常に寄りっぱなしに見える眉間の皺を指で伸ばしながら、新人たちを見回す。

「新人諸君。新人だからと自分の無能さに胡坐かいてんじゃないぞ。人に頼ってないで自分で何とかしろよ」

「それを、俺に甘えながら言っても説得力ないですよ、課長」

 あっさりと突き放すような突込みを入れる小谷だが、もちろん戸上の助け舟には感謝しているのだ。
 ちょうど重要なところは話しきっていたので、今度こそ、胸ポケットのタバコに手を伸ばしながら戸上の体を振り払い、出口へ向かう。
 戻ったばかりの戸上も一緒だ。

 ようやく休憩に入った小谷と、彼を救った立場の戸上を、ベテランたちはいつものことのようにノホホンと見送り、新人たちは縋る視線を追わせていた。




 結局日のあるうちはほとんど仕事にならなかった小谷は、深夜十一時近くになってようやく今日の分の作業を終えた。

 さすがに新人の姿はなく、開発期間の短い忙しい部隊が残っているだけの状態だ。

 納期が押し迫った緊急事態の状態に近い、勢い作業で凝り固まった身体を、両手を挙げて背伸びをすることでほぐす仕草で、小谷が作業を終えたことを知ったのだろう。
 テスト仕様書の作成に飽きたらしい野々村が、ひょいひょいと近寄ってきた。

「小谷さん。帰る前に、一服していきません?」

 新卒ながら即戦力採用だった小谷を除けば、このシステム部ではじめての新卒採用年だった三年前に入社してきた野々村は、普段喫煙休憩するほどのヘビーではないが、仕事の忙しい時期には気分転換に一服する程度の喫煙者だ。

 その彼に、タバコを吸う仕草をしながら誘われて、小谷は何か話したいことでもあるのだろうとあたりをつけ、頷いた。
 自宅で恋人が待っているが、野々村も忙しい身だ。そう長いこともないだろう。

 喫煙室に入ると、野々村はまずそこに設置された自販機でタバコを買い求めた。
 メンソールの1mgは、小谷はまず選ばないのだが、思い出した頃に吸う程度の頻度の野々村には吸いやすいのだろう。

 その彼の背中を見ながら、胸ポケットに入れてあるタバコを取り出し、問いかける。

「何か、話あったのか?」

「ってか、花井さんから伝言です。新人、こっちに押し付けていいぞ、ですって」

「へ? なんでハナさんから伝言? ずっといたじゃん、俺」

 確かに喫煙休憩は取ったが、特に遠方に出かけたわけでもなければ、長時間の会議で席を空けたわけでもない。
 花井が帰宅するときには、お疲れ様、と声をかけもした。
 ということは、直接花井から声をかけてこられる状況にあったはずだ。

 伝言の中身よりも、伝言された、という事実に引っかかって、小谷は実に不思議そうに首をかしげた。

 そんな小谷の反応に、野々村は楽しそうに笑ったが。

「だって、小谷さん、話しかける隙がないんですもん。
 普段なら、仕事中でも遠慮なく話しかけるんですけどね。小谷さんが定時にタバコに行かない時って、めちゃくちゃ忙しくて一心不乱ってのが丸分かりなんで、遠慮しちゃうんですよ」

「めちゃくちゃ忙しい、はノノも一緒じゃん」

「俺は、小谷さんの切羽詰り具合に比べれば、随分楽な方です」

 そんなに鬼気迫る雰囲気を出していたらしい。
 まったく自覚がなかっただけに、小谷は少し反省気味だ。
 確かに猛スピードで作業はしていたが、定時間内にできないことを見越して作業を前倒ししているだけなので、遅れてもなんら問題はないものだったのだ。周囲の人々に気を使わせてしまう内容ではない。

「そっか。なんか、気を使わせて、ごめんな」

「いぃえぇ。新人の世話、小谷さんの一点集中してて、申し訳ないなってみんな思ってるんですよ。
 ってか、困るんですよね。小谷さんが定時にタバコに行ってくれないと。時報みたいなモンなんで」

 だから、俺たちにも作業分担させてくださいね。
 そんな風に、冗談交じりに訴えられて、今度こそ小谷は笑うしかなかった。

 まさか、自分のペース配分からごく自然に時間が一定になっていた喫煙タイムを、時報と思われていたとは。
 特に時計を見て休憩にしているわけではないので、あまりの規則正しい自分の行動に、呆れるくらいだ。

 タバコ休憩ついでに今年の新人の評価を野々村に零しつつ、仲間たちからの心温まる気遣いに改めて感謝した、そんな一件だった。





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