江戸茶房徒然日記 その四-二 太郎 『藤の探偵団』




 カランカラン。

 いまどき珍しいカウベルの音が店内に響く。

 秋の長雨は、今日もしとしとと地面を濡らし、人々の外出の足を自宅に止めているせいか、喫茶店の店内は閑散としていた。

 それは、午前中という、過ごしやすい晴れた日にでも来客の多くない時間帯のせいでもあるのだろう。

 店内のテーブルを磨いていた店主、志之武が、ベルを鳴らした主を振り返り、雑巾を畳みなおしながら姿勢を正して、にこりと微笑んだ。

「いらっしゃい。すみません、ご足労をおかけして」

「いえ、こちらがインタビューをお願いしたんですから。こちらこそ、お仕事中にお手数をとらせます」

 ぺこぺこ、とお互いにお辞儀の応酬をして。それから、二人で顔を見合わせ、同時に笑いあった。

 その客、加藤太郎は、促されるままに、磨かれたばかりのテーブルセットに腰を落ち着けて、持ってきた筆記具類をそこに並べた。といっても、メモ帳程度の帳面にボールペンが一本だ。

 しばらく待っていると、大き目の盆に中国茶器一式を乗せて、志之武が戻ってきた。ふわんと香るその香りは、中国茶独特のものだ。

「先日いらっしゃった時は菊花茶をご注文でしたから、中国茶も大丈夫ですよね? 凍頂烏龍茶の良い葉が手に入ったんですよ。中国茶の淹れ方を練習中なんです。実験台になってください」

 ね、と微笑まれて、太郎は志之武のその神秘的なまでの表情に見蕩れてしまった。確かに、自分の周りには同性愛者ばかりだが、こんな美人はいないのだ。免疫力がまるでなかった。

 練習中といいながらも、その流れるような手際はまったく危なげがなく、見ている人の視線をひきつける優雅さだった。やがて、どうぞ、と出された茶碗から、烏龍茶独特の香りが漂う。

 自分の分も用意して、ようやく志之武も太郎の向かいに腰を下ろした。

「私の仕事の分しかお話できませんけれど、大丈夫ですか?」

「えぇ、もちろん。お話いただける範囲で、お願いします。半分は僕の興味ですから」

「それでも、小説のネタになさるんでしょ?」

「まぁ、自分の知識になれば、活用しますけれど。ですから、ネタにできる範囲で教えてください」

 それは、以前に偶然この店に訪れたときの口約束に端を発した会見だった。ちょうど繁忙時間に当たっており、志之武の式である蛟が手伝いに出てきていたのだが、そこにやってきた太郎はそれを人間ではないと見破れるだけの霊視力があって、その関係で、志之武の本業に興味を持った太郎から、インタビューのお願いがあったわけだ。おそらくは、志之武が太郎の執筆した作品を読んでいたのも、快く引き受けた理由の一端だろう。

 真剣に教わる姿勢の太郎に、その意気込みを感じたのだろう。志之武は深く頷いて、ボールペンを持った太郎の左手に、自分の手を重ねた。

 突然手を触れられてびっくりした太郎は、その手を見下ろして、それから、困ったように視線を彷徨わせた。

 それは、見た目には何の変化もない、ただ手を重ねただけの行為だ。けれど、そうした側も、やや遅れてされた側も、その意図が外面に見えないものであることを理解している。志之武の唇が時々何かを呟くようにもごもごと動き、視点も自分が触れている太郎の左手よりもやや上部の中空に固定されていた。受ける太郎も、されていることが何かを理解してからは、そっと目を閉じて俯いている。

 やがて、二人は同時に顔を上げた。

「どうです?」

「凄いです。なんていうか、知識が溢れてくる感じ、っていうのかな。とにかく、凄い」

「太郎君の脳のキャパシティに余裕があったから、流し込んでみたんですよ。後は、会話しながら整理しましょう?」

 さらりと告げられたそれは、常識的に考えて、一般人にはまったく不可能な手段だ。手を触れたのみで、必要な知識を脳に直接送り込む。そんなことが誰にでもできるのなら、学校など不要だ。

 それにしても、会見の最初からそんな大技を見せられて、太郎はさすがに興奮を抑えられず、出された烏龍茶に口をつけた。香り豊かな烏龍茶の効果か、違和感なく興奮が自然に落ち着くのを感じる。

「美味しい」

「そう? それは良かった」

 本当に美味しそうな表情で素直に感想を述べられて、それがお世辞ではないことはわかるので、志之武は嬉しそうに目を細めた。

 しばらく黙ってお茶を楽しんでいたのは、おそらく、太郎の脳内に送り込んだ情報が、太郎自身によって整理されるのを待っていたのだろう。飲み干した茶碗におかわりを注いで、太郎の茶碗にも注いでから、志之武はようやく口を開いた。

「そういえば、あれから霊に絡まれたりしました? 少し幕を張ってみたんですけれど」

「え? ……あ、じゃあ、そのおかげだったんだ。地縛霊にバッタリ遭ったんですけど、普段なら目が合っちゃうはずなのが、無視されたみたいで不思議だったんですよ。土屋さんのおかげだったんですね」

 ありがとうございます、と礼と同時に頭を下げられて、余計なことをしたかと不安がっていた志之武がほっと胸をなでおろす。

 他人ならともかく、それなりに好きな文章を書く小説家で、しかもこうして楽しくおしゃべりができる相手で、しかもその霊力で本人が困っているとなれば、志之武としても放ってはおけなかったのだ。ただ、無断だったところに、多少の不安感はあったらしい。

「けど、そんなこともできちゃうんですねぇ」

「このくらいなら。結界をちょっと応用しただけですから、駆け出しの陰陽師でも機転さえ効けばできますよ」

 へぇ〜、と感心の反応だ。見えるだけで何もできない太郎にとっては、まさに超人技。難しさがわかるだけに、尊敬するしかないわけだ。

「ちなみに、太郎君もできるようになったと思いますよ」

「……あ、知識って、そういうことです?」

「ようは、コツさえわかっていればいいわけなので。元々霊力の強い人なら、ある程度までは修行なしの座学だけでできたりします。まぁ、見て触れて判断する必要があるレベルは、修行が必要ですから、初歩の初歩ですけれどね」

 たとえば、簡単な結界などはわかりやすい例だろう。志之武ほどの力があれば、壁のように感じることができるが、相当感覚の鋭い人でなければ知覚は難しい。が、結界を施すのは、必要な呪符と呪文がわかっていれば、それこそそこらを歩いている一般の人でもできてしまうものだ。ただし、一般人には知覚ができないので、結界を破壊することはまず不可能に近い。

 その、「必要な呪符と呪文」という知識を、志之武は太郎の脳に直接送り込んだということだ。だから、結界を知覚できない太郎でも、自分に術をかけて上書きすることができる。一生をサポートしてあげられない志之武の、精一杯の好意のつもりだ。

「それと、強い霊に遭った時の対処法と、困ったときの連絡先も送っといたはずなので、困ったら頭の中を探ってみてください」

「何から何まですみません」

「いえいえ。昔僕も困った経験があるので、他人事とは思えなくて。ひとまずそんなところで大丈夫ですよね?」

「ひとまずもなにも、十分です。本当に、助かりました」

 困っていた体質さえ対処法ができたなら、見えてしまう分には割り切ることができる。まぁ、欲を言うなら、助けてあげたい霊に干渉する力があったらありがたいが。面倒を背負い込むことにもなりかねないので、それは遠慮したい。

 そんなこもごもを脳内で一通り巡らして、太郎は頭を下げた。だったら良かった、と志之武がにこやかに笑ったが、どうも、見透かされた感じもしなくもない。

 その後は、どちらかといえば、実は全作読破しているという志之武の感想を聞いて、作者の思惑などを補足説明したりといった、世間話に花を咲かす。

 そうこうしている間に、どこに行っていたのか、髪が乾きかけの征士が裏口を開けて入ってきた。喫茶店エプロンをかけながら、こちらで楽しそうに会話している二人を見つけて、近寄ってくる。

「こんにちは」

「あ、お邪魔してます」

 声をかけられて、太郎も頭を下げて挨拶をしかえした。正規の客ならまだしも、押しかけている立場だ。快く受け入れられていることは間違いなさそうだが、それでも礼は欠かせない。

 いえいえ、ごゆっくり、と言われて、時計を見上げれば、時刻は正午を示していた。

「あ!」

「え? ……あらら。気付かなかった。すみません、長々とお引止めして」

 その時間に帰るとは、太郎は一言も言っていないのだが。どうやら、志之武はこの時間に太郎が帰りたがっていたことを、あらかじめ知っていたような振る舞いをする。一瞬驚いた太郎だが、とはいえ、待たせている相手がいては詮索している暇もなく。

「あわただしくてすみません。また、伺っても良いですか?」

「えぇ、いつでも好きな時にお越しください。歓迎しますよ」

 お会計を、いえいえ結構です、といった応酬をして、大慌てで出て行く太郎を喫茶店を出て見送って、一緒に出てきたものの不思議そうな表情の征士に、志之武はくすりと笑って見せた。

「彼氏さんと待ち合わせだったみたい」

「正午に、か。遅刻だな」

「まぁ、心配してこっちに迎えに来てるみたいだし、駅で会えるから大丈夫だよ」

「ふぅん、良い旦那だな」

「だね」

 まさか征士が、太郎が彼氏を呼ぶときの名前を知っているとは思えないので、その表現に志之武は笑ったのだが、征士にはその理由までは伝わらず終いだった。




 待ち合わせ場所の新宿へ向かうために利用した御茶ノ水駅の改札で、太郎はその腕を誰かに引かれて、思わず振り払いながら振り返った。そこに、新宿で待っているはずの人物を見つけ、驚く。

「旦那っ!?」

「俺の用事が早めに済んだから、こっちで待っていたんだ。見つけられて良かった」

 改札の脇で待っていればかならず通るはずだ、という判断だったのだろう。思わずその腕の中に飛び込んだ太郎を抱きとめて、困ったように笑う。

「どうかしたか?」

「うぅん、違うんだ。待ち合わせに遅れちゃって慌ててたから、なんか、感極まっちゃって」

 ごめん、と謝りながら、離れようとする太郎を、逆に抱きしめて、正史は喉を震わせてくっくっと笑った。

「離れることないだろう? 飛び込んできてくれて嬉しかったんだ。もう少しくっついててくれ」

「……旦那、なんか、らしくない」

「そうか? まぁ、良い事があったからな。多めに見ろよ」

 さぁ帰ろう。そう、背中を押されて促されて、改札をくぐる。

 電車は行ったばかりで、次の予定まで数分ある。その間に、太郎は自分の背後にくっつくように立つ恋人を見上げて、首をかしげた。

「良い事って?」

「あぁ。本屋に寄ったらな、文庫棚の平積みで海藤太郎の特集組んでてな。つけられていたポップが随分とベタ褒めだったぞ」

 それを、自分のことのように喜んでいたらしい。そう聞かされて、当事者としては、自分に対する評価よりも、正史がそれだけ喜んでくれることにこそ嬉しくなって、幸せそうに笑って返した。

 今後、霊に脅かされることもなく、こうして自分のことのように考えてくれる恋人と共に、生きていけるのだと思えば、とてつもなく幸せで。

 太郎は、人の目も気にせずに、正史にしがみつくように抱きついた。その表情は、いつのまにか上空に広がっていたこの抜けるような青空よりも、さらに底抜けた、心底幸せそうな笑顔だった。





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