江戸茶房徒然日記 その四 太郎 『藤の探偵団』




 それは、都内の広葉樹も色づく晩秋のある土曜日。

 俺は一人で、東京の下町を歩いていた。

 これから、また山梨まで帰らなければならないのだが、せっかく湯島まで来たことだし、天神明神を巡ってからにしようと思い立ったわけだ。

 では何故こんなところまでやってきたのかというと。

 今日、東京大学安田講堂にて、有名な歴史小説家、横井茂氏の講演会が開かれて、これは一般聴講公開されていたので、是非聞きにおいで、と御大直々にご招待をいただいたせいだった。とりあえず、楽屋までご挨拶に出向き、その後の懇親会は辞退して、夕方になってようやく開放されたわけだ。

 甲府市内までは頻繁に特急が通っている上に、夜の八時にちょうど重なるのであれば、理事長が車で送ってくださるという事だったので、お言葉に甘えることになっている。反対に言えば、それまで時間を潰さなくちゃいけないわけだ。

 ちなみに、理事長にわざわざ迎えに来いと言っているわけではなく、たまたま理事長にも甲府市内に用事があったからに他ならないわけで、そうでなければ、うちの彼氏にバイクで迎えに来てもらっていたところだ。

 地図を見て、意外だと思ったのだが、湯島天満宮は、東大のはずれ、ちょっと道を入ったところにあって、めちゃくちゃ近かった。そこから坂をまっすぐ下っていけば、神田明神の裏手に突き当たる。

 何とも案内の良い地理条件だ。ありがたいことに。

 天満宮で、小説の題材にさせていただいていることもあって、賽銭を奮発して念入りにお参りをして、住宅街の坂を下ってきたところだった。そこを、左に折れて神社の裏手をぐるりと回ると、途中に裏参道らしい急な階段が現れた。

 見上げて、ちょっと憂鬱になった。坂を下りてきて疲れているところに、これを登るのか……。

 ふと横を見ると、喫茶店を発見。しかも、お茶専門という。たもっちゃんほどではないけど、俺もコーヒーを好んで飲むタイプではないから、ありがたい。

 少し休憩していくことにした。

 ドアを開けて、一歩中へ。

 途端、俺は思わず立ちすくんでしまった。

 見た目は、何と言うことはない、普通の喫茶店だ。ご近所のマダムたちが集まって談笑しているグループが、三つばかりできている。カウンターも、どこかの会社の営業マンらしい人が何人か、間を空けてならんでいた。盛況で、喜ばしい限りだ。

 でも、だ。

 俺、そういうの、敏感なんだよなぁ。

 思わず、呟いてしまった。

 他の人には、普通の青年に見えるのだろう。カウンターにいる肌が青白くも見える青年に、俺は目を奪われる。それは、人ではないのだ。

「いらっしゃいませ」

「うひゃっ」

 耳元で、突然声をかけられて、俺はびっくりして飛び上がった。

 俺の反応が、可笑しかったらしい。声をかけた青年が、くっくっと笑っていた。こちらは、普通の人だ。俺と同じ程度には霊感がありそうな空気を感じるけど、それ以外はいたって普通。

「失礼いたしました。お一人でいらっしゃいますか?」

「え、……えぇ」

「恐れ入ります。ただいまテーブル席は満席でございまして、カウンター席でよろしければすぐにご用意できますが」

「あ、はい。カウンターで良いです」

 答えて、促されて、その人ではない店員の目の前に案内される。その店員は、ぺこりと頭を下げる他は、黙々と仕事中。

 というか、人ではないこの生き物(?)が、喫茶店で働いている、しかも完璧に戦力になっているところに、びっくりするしかないのだが。

 そこへ、カウンターの向こうの裏口が開いて、もう一人青年が入ってきた。長い髪を後ろにまとめた、美人な青年だ。女性にも間違いそうな、でも、ちゃんと男性の色気を持ち合わせている、まるで両性具有。たもっちゃんは少女的な美人だから、それとはまた、種類が違う。少なくとも、仲間内にはいないタイプだ。

 で、その人がまた、纏っているオーラの強いこと。

 人ではない店員の正体が、彼の存在で納得できた。たぶん、この人が使役している霊なのだろう。なら、ありえるかも。

「こちらがメニューになります。……あの、気になりますか?」

「……え?」

 よっぽどまじまじと見つめてしまっていたのか、遠慮がちに問われてしまって、そちらを振り返った。心配そうな目と目が合って、ぱたぱたと手を振る。

「いえ。とんでもない。すみません、不躾に」

「ですが……。しのさん?」

「大丈夫だよ、せいさん。わかっていただけてるみたいだから。強いんですね、霊視力。不便じゃないですか?」

 前半は、相棒への返事で、後半は、俺への問いかけ。

 ……相棒?

 そう、多分。何しろ、この二人、目で会話できている。そこには、何者の介入も不可能だ。

「不便ではないですよ。見分けができる程度には慣れましたから。ただ、びっくりはしますけど」

 そりゃあ、びっくりもするさ。今まで、霊力の強い人には見える、というレベルの霊には結構会ってきているけど、誰にでも見える代わりに霊力が強くないと人間でないとは気付かない、なんて相手はお目にかかっていないんだから。

「えーと。菊花茶、お願いします」

 とりあえず、平気だよ、のポーズ。だって、このお客さんの量じゃ、忙しそうだし。突っ込みたいところはたくさんあるけど、こんな公衆の面前でできる会話ではないし。

 こういう俺の態度で、ほっとしたらしい。了解して、彼はカウンターへ引っ込んでいく。

 しばらく待っていると、人が変わって長髪の美人さんが、俺の前に耐熱グラスを置いた。グラスの中に、菊の花が咲いている。思わず見とれる鮮やかな白。中国茶の中でも花茶が好きなのは、目で楽しめるこんなところが理由だ。

 それを、本来陶磁の茶器に浮かせるところを、耐熱ガラスを利用して見せてくるのだから、それによる視覚的効果をきっちり認識しているが故の心配りなのだろう。

 それから、彼は隣に、小さな皿を一つ置いた。載っているのは三枚のクッキー。

「プーアルの茶葉を練りこんであります。今日は皆さんにサービスでお分けしているんです」

 見れば、確かに、他の人の前にもクッキーの載った皿が置かれている。ありがとう、と素直に礼を言うと、彼は何故か嬉しそうに笑った。そうして、隣に腰を下ろす。仕事が一段落したらしい。

「あれは、私の式で、蛟といいます」

「……陰陽師さん?」

「えぇ。よくご存知で」

「最近、ブームですしね。安倍晴明。そうか、現代にもまだいるんですね、陰陽師」

「型破りですが」

「そうなんですか? 良いんじゃないですかね。安倍晴明も、家事を式神にやらせてたって、有名ですし」

 紹介されてぺこりと頭を下げた式神の蛟が、テンポよく掛け合う俺たちの会話に、びっくりしているらしく目を丸くした。俺自身、こんなにテンポの良い会話を初対面で繰り広げられることに、少しびっくりする。彼の方は、そうでもなさそうだが。

「今日は、お参りですか?」

「えぇ。小説の題材に取り上げさせていただいているので、東大に用があって来たついでに、ご挨拶に」

「小説?」

「えぇ。小説家なんです。時代物を主に」

「なるほど、それで」

 なるほど、の中には、陰陽師と言い当てた理由も悟ったのだろう。はい、と俺は軽く頷いて返した。何しろ、デビュー作からして、陰陽師が主人公だから。ある程度の調査はしているのだ。

 納得をして、どうやらここに腰を落ち着けることにしたらしい。カウンター越しに蛟から茶碗を受け取って、椅子に座りなおす。茶碗からは玄米茶らしい香ばしい匂いがした。

「もしよろしければ、お名前を教えていただけますか?」

 読ませていただきますから、とにっこり笑ったその顔に一瞬見とれ、それから、カバンを探る。ちょうど、場合が場合なので、小説家としての名刺を持ち合わせていたのだ。結構ばら撒いたけれど、何枚かは残っているだろう。

 俺がカバンから名刺入れを取り出すと、反対に、彼のほうもカウンターに手を差し出して、名刺を一枚、彼の式神から受け取った。

「海藤太郎と申します」

「陰陽師をいたしております、土屋志之武です。改めまして、よろしくお願いします」

 名乗りあって、名刺を交換し合う。彼の名刺には、土御門流陰陽道上級陰陽師技術者、と肩書きがあった。なるほど、この世界でもプロになると技術者の肩書きがつくのか。しみじみ納得。

 それにしても、この若さで『上級』というのは驚きだ。いや、蛟ほどの有名な神獣を式神として使役しているのだから、当然なのかもしれないが。

「あれ? 海藤……。あの、もしかして、紀鬼奇譚シリーズの?」

 先月と先々月の二月連続発行で封切した最新シリーズを挙げられて、何しろ本当につい最近の話だから、びっくりした。思わず、驚きを表情に出してしまう。

「ご存知ですか!?」

「はい。いつも楽しく拝読させていただいてます。うわぁ、こんなところでお会いできるなんて。光栄です」

 こちらこそ。プロの陰陽師さんにそんな風に喜んでいただけるなら、光栄の至りです。

「すみません、勉強不足で。御見苦しいところもたくさんありますでしょう?」

「いいえ、全然。一般公開できない機密事項もありますから、そこは仕方ないと思っていますし。あれだけ書いていただければ、こちらもケチのつけようが無い。大変勉強されていて、凄いなぁ、って感心してるんですよ」

 そうだ、と手を叩いて、土屋氏はカウンターの向こうに目配せをする。頷いて、蛟が奥へと入っていった。

「良かったら、で良いんですけど。サイン、いただいても良いですか?」

「はい」

 なるほど、思いつきはそれか。納得して、頷いた。頷いて返した途端に、彼が嬉しそうに表情を綻ばせるのが、見ているこっちまで幸せな気持ちになる。

 蛟は、すぐに色紙とサインペンを持って戻ってきた。一体どこへ行っていたのか、多分、一分待ってない。

 お願いします、と手渡されて、何と書こうか、少し悩む。悩んだが、どうせ文豪と呼ばれるような大家ではない自分だ。素直な今の気持ちを書こう。

「代わりと言っては何ですが。ご迷惑でなければ、取材させていただけませんか? また、日を改めて」

「僕なんかで、お役に立てますか?」

「本職の方に、一度聞いてみたいと思ってたんです」

 上級、と肩書きがつくくらいだ。きっと、陰陽師としても実力者のうちに数えられているだろう。その人に話を聞けたら、俺の表現の幅ももっと広がると期待できる。ついでに言うと、ここのお茶、おいしい。多分、東京に来るたびに通うと思う。

「いつでも、お話いたしますよ。現場にお連れすることはできませんけど、ここにいる間で良ければ。そうですね。昼過ぎあたりであれば、お客さんもこんなに多くないですから、じっくりお話できると思います。お好きなときに、どうぞご来店ください」

「ありがとうございます」

 向こうもこっちも、お礼の応酬。双方で頭を下げて、顔を上げて目をあわせ。

 くす、と彼が笑ってくれた。それはそれは、見ている人を幸せにしてくれる、優しい微笑みで。

 今度は仲間たちも連れてこよう。そんなことを、思った。

「では、今日はこれで。お茶、おいしかったです。ごちそうさま」

 色紙を返して、一緒に代金も渡して、カバンを手に持ち上げる。ありがとうございました、と頭を下げて見送られるまま、俺は比較的上機嫌で店を出た。

 置いてきた色紙? うん、まあ、ちょっとしたメッセージは残してきたけどね。普通だよ、普通。

『江戸茶房さんへ
 おいしいお茶をありがとう。ごちそうさまでした。
  海藤太郎』





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