江戸茶房徒然日記 その参 友也 『「男ともだち」』




 今日。

 俺は湯島にある某剣道場に、祖父の名代として打ち合わせにやってきていた。

 協会では結構名の知れた剣士である祖父は、全国各地に知り合いがいて、その道場も祖父が旧知の友と呼ぶ相手が開いている道場だった。

 そこに、一ヵ月後に控えた昇段試験を念頭に置いた練習試合のための事前打ち合わせにやってきたのだ。

 今日は、俺一人。最近ではほとんど常に旦那と行動を共にしているので、何だか逆に新鮮だ。

 三十歳を越えた頃から、俺はようやく、何のためらいもなく雅のことを『旦那』と呼べるようになった。

 双方の家族には、大学を卒業した頃に関係を打ち明けていたし、雅が姓を『桂』から『長峰』に変更して五年が経っている。二人でマンションを購入して暮らし始めてから数えても、三年は経過している。結婚生活は順風満帆。仕事は忙しいが、その分充実した毎日を過ごしている。

 にもかかわらず、俺が雅を『旦那』と認識するのに、これだけの時間がかかった。

 戸籍上は父の養子として長峰家にやってきた入り婿の雅が、俺のことを『嫁』と呼ばないせいかもしれないが。

 まぁ、男同士だから仕方がない。

 すっかり新婚ムードも抜けた俺たちは、それだけに、別行動も簡単にできるようになっていた。浮ついていた気持ちが、きちんと落ち着いた証拠だ。それは、喜ばしいことだと思う。

 今日も、だから、俺は一人で湯島の住宅街を歩いていた。

 毎日仕事に追われる生活をしていた俺の予定が、今日に限って珍しくぽっかりと空いていたのだ。なので、実家に戻って稽古の時間までのんびりしていたところ、お鉢が回ってきたわけである。

 本来ならば祖父が自ら出向かなければならないところだが、昨日の小学生の稽古中に誤って胴打をまともに食らってしまい、腰を痛めてしまったのが原因だった。小学生だと、まだまだ竹刀を振るのに力任せなところがあるので、こういう危険は意外に潜んでいたりする。だから、祖父には小学生の稽古には出てくるな、と言っていたのだ。自業自得というものだ。

 さて、打ち合わせも滞りなく終わって、ついでに見合いの話もすげなく断り、俺は細い路地をてくてく歩いていた。

 やがて、神田明神のそばに差し掛かった。中央線で新宿まで出て、小田急に乗り換えるのが帰宅ルートなのだから、道は間違っていない。

 こちら側が神社の裏手に当たるらしい。急な斜面の高台の上に、朱塗りの社殿が見える。

 別にお参りするつもりもないので横を通り過ぎようとした、裏参道に当たる石段の下に、俺は見慣れない看板を見つけた。

 確か、前にあの道場に来たのは二年前。その時には、この店はなかったと思う。

 それは、『江戸茶房』という名の、喫茶店だった。肩書きに、お茶専門、とある。

 お茶専門の喫茶店は、ちょっと珍しい。コーヒーや紅茶などよりも煎餅に番茶の好きな俺は、早速休憩に立ち寄ることにした。夕方の稽古に間に合えば良いのだから、急いで帰ることもない。

 扉を押すと、カランカラン、と、心地の良いドアベルの音が鳴った。喫茶店らしい音だ。店内は、何故かオレンジの香りが漂っている。

 入り口そばに設置されたカウンターに、先客の女性が一人。奥には近所の主婦たちらしい一団が、二つのテーブルセットを寄せ合って陣取っている。

「いらっしゃいませ」

 声をかけてきたのは、なかなか男前の店員だ。友達の中で言うと、哲夫タイプの美丈夫。スポーツマンらしい筋肉が、男の色気を演出している。年の頃は、多分同じくらいかもう少し下か。

「お一人様でいらっしゃいますか? カウンター席でよろしければ、お好きなお席へどうぞ」

 そう言って、彼は俺が押したドアを支え、中へ促してくれる。俺が荷物を隣の席に下ろして席を引いて、という作業を左手だけでしていると、自然に椅子を座りやすいように引いてくれた。ありがとう、と礼を言う。不便そうにしているので、右手が使えないと察しをつけたのだろう。結構な観察眼だ。

 差し出されたメニューを見て、俺は思わず、へぇ、と声を上げた。

 なにしろ、本当にお茶専門だったのだ。

 コーヒー類はブレンドのアイスとホットのみ。後は、多種多様な紅茶、ウーロン茶、日本茶、中国緑茶、ハーブティなどが並んでいる。値段も、意外と手ごろ。

 うーん。困った。目移りするぞ。

「お決まりですか?」

 どうしよう。お任せにしちゃおうか。

「おすすめとかって、あります?」

「どれも、良い物を揃えておりますので、お好みにもよりますが。お任せいただければ見繕わせていただきます」

「じゃ、お任せで」

「かしこまりました」

 答えて、しかし彼は、その場に留まり、何故か首を傾げた。カウンターの中にいたもう一人の店員が、なにやら支度を始めているのは、こちらの会話を聞いていたからだろうが。

「……違っていたらすみません。あの、長峰友也、さん?」

「え?」

 突然名前を言い当てられて、さすがに驚いた。喫茶店の店員に、声をかけられるとは思わなかった。確かに、剣道家の間ではいくらか有名ではあるが。

 びっくりして問い返したのを、彼は肯定と見なしたらしい。突然、嬉しそうに表情を変えた。

「うわぁ。こんなところでお会いできるなんて。感激です。ずっと、一目お会いしたいと思ってました」

「……あの?」

 あなたは、誰? 一方的に知られているのは良くあることだから、別に気にはしないけれど。純粋に、そこまで喜んでくれる彼の正体を知りたくて、顔を覗き込む。

 そういえば、何となくその顔、知っているような気もする。

「申し遅れました。私、中村征士と申します」

「あ、二つ下のインハイ優勝者」

 いや、そういう言い方は失礼に当たるのかもしれないけど。名前と顔が繋がった。こちらとしても、こんなところで会うとは思わなくて、びっくりしてしまった。

 俺が言い当てたのに、彼はさらに嬉しそうに目を細めて笑った。

「ご存知なんですか。嬉しいな」

 ご存知も何も。彼の方も俺に負けず劣らずの有名人だ。なにしろ、インターハイに三年連続出場して、三年生では全国制覇を成し遂げたにも関わらず、高校卒業と同時に表舞台から姿を消した、天才剣士だ。ちょっと剣道をかじっていれば、きっと誰でも知っている。高校剣道に関わったことがあればなおさら。

 彼は、確か東京だか埼玉だかの出身だったと思ったが。

「ここは、バイトか何か?」

「いえ。私と相方の共同経営で。よろしければ、またいらしてください。お待ちしてます」

 あっさり言われた『相方』との言葉に、俺はその意味を正確に受け取り、頷いた。こちらも、同性愛者であるらしい。性癖だかオンリーワンだかは知らないが。

 言われて見やったその『相方』氏は、とてもきれいな人だった。なんとも両性具有的な色気を持っていて、長い髪をシニヨンに上げたうなじが艶かしい。

 彼を見ると、榊原先輩を思い出す。高校生時代に俺を助けてくれた、二つ上の『太陽の女神』。そういえば、元気かな?

「お待たせしました。玉露入りの京煎茶になります。それと、これはおまけ」

 そう言って、カウンターにいた美人の彼が、ぐるりと回って隣にやってきて、丸い茶碗と急須を置いた。ついでに、草加煎餅が二枚。おまけ、というのは、その煎餅のことらしいが。

「……いいんですか?」

「彼の尊敬する方ですので、サービスです。といっても、私たちのおやつのおすそ分けですが」

 そんな風に理由を言って、彼はパチリとウインクもサービスする。あまりにも似合っていて、男を相手に、などという嫌味すら、とっさに思いつかなかった。

 どうやら、ぼけっと彼に見入ってしまっていたらしい。照れたように笑って、彼は頭を下げた。

「ごゆっくりどうぞ。よろしければ、彼の話し相手になってやってください」

 そう言って、彼は自分の仕事に戻っていった。彼の彼氏、中村氏は、そんな風に休憩を認められて、肩をすくめる。

「しのさん。相変わらずものわかり良すぎ。ちょっと拗ねてくれても良いのに」

「何言ってるの、お客さんの前で。剣のことは僕の専門外なんだから、仕方がないでしょう?」

 洗い物を始めながら、俺の隣に座る中村氏に、彼は普通に笑ってそう言った。相手を尊重していなくては出て来ないセリフだ。自分の知らない相手に喜ぶ恋人など、本来であれば面白いはずもないのに。

 そういえば、雅もこんな感じだ。本人の雇われデザイナー時代の知り合いは、俺が拗ねる前にちゃんと紹介してくれるし、俺がイラストレーターをしていた時の知り合いに会っても、勝手に納得して一歩引いていてくれる。そんな事実を目の当たりにするたびに、拗ねてしまう自分に自己嫌悪するのだが。

 でも、俺は中村氏のように、雅にその態度に注文をつけたことはないな。歯がゆい気持ちになっても、我慢してしまう。言っても良いことのはずなのに。

「仲、良いんですね。羨ましいな」

 この二人の会話に、素直にそう思った。仲が良くなくちゃ、拗ねてくれるのくれないの、という話なんて、できるわけがないんだ。普通は、ヤキモチなんてケンカの原因にしかならないはずなのに。ヤキモチが恋心の証のように中村氏は言うのだから。

 俺の言葉に、彼らは自分たちの関係が悟られていることを自覚したらしく、びくっと肩を震わせて、揃ってこちらを見た。そんな今更な反応が可笑しくて、申し訳ないけれど、笑ってしまった。

「俺もだから、気にしないで」

 ちょっと身構えてしまっている二人に笑って見せて、俺はそんなシンクロする二人の行動に、ふいに旦那に会いたくなってしまった。雅と俺も、自分で言うのもなんだが、結構同調していると思うのだ。その心地良さといったら、一度知ってしまったら二度と離れられないくらい。

 と、カウンターにいる彼が、洗い物をする手を休めて、不思議なことを言った。

「ここを四時ごろに出て、四時十六分の中央線快速に乗ってください。小田急線の駅で、旦那様にお会いになれますよ」

 それは、あまりにも正確な時刻付きの予言で、さすがにびっくりした。自分の目が丸くなっているのを自覚する。じっと、彼を見つめた。

 その俺の反応に、彼は少しだけ恥ずかしそうに笑う。

「占いです。結構当たるんですよ。騙されたと思って、したがって見てください。ステキなお土産付きですから」

 あまりにも自信満々に言うので、反対に何だか信用置けないのだが。まぁ、四時といえば後二十分後。ゆっくりお茶を楽しんでいれば、ちょうどいい時間だ。ためしに従ってみよう。

 半信半疑のまま、俺が頷くと、彼はにっこり笑って返して、再び洗い物を始めた。




 四時半。

 俺は、小田急線の改札を通り過ぎ、そこで肩を叩かれた。気配は右に、でも叩かれた肩は左に。

 わざわざこんな面倒なことをするのは、雅だけだ。

「友也。今帰り?」

 すごい。喫茶店の『しのさん』の予言。大当たり。

 純粋に、びっくりした。思わず雅を見つめてしまう。見つめられて、雅自身は恥ずかしそうに照れて見せた。

「何? びっくりして声も出ない?」

「うん。びっくりした。喫茶店のお兄さんの占い、大当たり」

「喫茶店?」

 一緒に並んでホームに向かいながら、俺は、偶然見つけたお茶のおいしい喫茶店の話をした。聞いていた雅も、話が進むにつれて興味を深めていく。

「なるほど。楽しかったんだね」

「……そうかも」

「良かったね」

「うん」

 雅にそう言ってもらえたのが、今日はじめて、純粋に嬉しかった。妬いて欲しいなんて、まったく思わなかった。だって、雅がそのすぐ後に、こう言ってくれたから。

「俺も、その喫茶店、行ってみたいな」

「うん。今度一緒に行こう。すごく良い所。落ち着くし、お茶もおいしいし」

 はしゃいでそう答えたら、頭を撫でられた。そうして、人目もはばからずに、肩を抱いてくれる。

「その予言、ステキなお土産まで当たりだよ。何だと思う?」

「え? うーん。今日は、高野物産に納品に行ってきたんだよね? 何かもらったの?」

「半年前、高野物産の輸入飲料水の広告トータルデザイン手がけただろ?」

「うん。あれは大変だった」

「そう、それがね。飲料水パッケージデザインで賞をもらったんだよ。長峰デザイナーズオフィスの快挙」

 仕事が増えるぞ。そう、雅が声を弾ませる。その、俺にとっては青天の霹靂状態の報告に、呆然としてしまう。何しろ、俺たちの実力が公式に認められたのだ。ありがたいことに。

「……すごい」

「そう。すごいんだよ。もっと喜んでよ、友也」

 いや。別に喜んでいないわけではなくて。状況についていけないだけで。

 隣で、雅は今にも踊りだしそうにはしゃいでいる。

 雅がはしゃぐから、つられて俺も顔に笑みが浮かんだ。

「雅が、認められたんだ。すごいや」

「ばーか。二人で、だよ。あれは、二人の共同作業でしょ?」

 そうか。そうだね。うん、そうかも。

「そうだね」

「そうだよ。だから、これからもよろしくね、相棒」

「こちらこそ」

 相棒。

 雅がためらいなく口にした言葉が、俺の心に深く響く。

 今回の受賞よりも、その言葉が嬉しかった。恋人と呼ばれるより、妻と呼ばれるより、よっぽど嬉しい。相棒、という言葉は、お前が必要だ、と言ってくれているのと同じ意味だから。

 そう。俺にとっても、雅は旦那様である前に、相棒なのだ。彼がいるから、自分も頑張れる。そんな、相棒。

「今後とも、よろしく」

 答えて、差し出してくれる左手に、右手を絡める。弱点をさらけ出せる。気にしないでいられる。

 だから、これからも、よろしく。俺に出来る限り、あなたを支えて行くから。

 そうして、一生、相棒と呼んで欲しい。

 切なるその願いは、きっと、息を引き取る直前に、叶うのだろう。





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