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 ホテルに帰り着いた時には、時刻は18時を回っていた。

 夕飯は地元の食材を使ったホテル会席料理で、風呂は露天風呂付きの天然温泉。団体客を受け入れる大規模ホテルとしては標準的だが、その分ハズレも少なく安心だ。

 食事時間までの間に汗を拭ってホテル備え付けの浴衣に着替える。本来浴衣といえば室内着なのだから、そのままホテルの廊下に出るのはマナー違反とされるべきなのだろうが、日本の温泉では浴衣が当たり前だ。

 食事処へは浴衣でお越しいただいて結構です、とチエックイン時に明言されていたので、遠慮なくそうさせてもらった。

 規模の大きなホテルだが、夕食はグループごとに個室で用意されていた。男二人というのは多少目立つので、個室はありがたい。

 ネット予約の特典で夕食時にワンドリンクサービスというのがあって、二人は地酒で乾杯する。積極的には飲まないがあれば飲めるというわけだ。

 給仕のために仲居が頻繁に出入りする。そのため、二人とも大人しく向かいあって座っていた。

「そういや、ここって貸し切り風呂あるよな」

「もう予約でいっぱいじゃない?」

「聞くだけ聞いてみよう。せっかく来たんだから、温泉入りたいだろ?」

 そりゃまぁねぇ、と麻紀の反応は今一つだ。が、どちらかというなら隆則の方こそ温泉に入りたいようで、麻紀が嫌だと言わないのを了承と受け取って勝手を通す。

 以前に比べればずいぶんと自我を通すようになったといえるだろう。一時期は一事が万事麻紀の意思最優先だったのだ。

 二人とも出された料理を完食して、満腹のお腹をさすりながら食事処を出る。貸し切り風呂の予約はフロントで受け付けると案内板で確認して、エントランスに寄り道した。

 予約可能な最終回の23時にかろうじてあった空きを予約して、時間までゆっくり待つことにした。

 客室は和室で、食事している間に伸べられていた布団が二組。広い部屋に二組だけだからこそ、その間隔はずいぶん空いている。

「タカちゃん、どっち?」

「トイレに近い方」

 厚手のフェイスタオルを持っての質問に、隆則もあっさり答える。つまり別々の布団に入ることが前提の問いで、そのタオルは髪の長い麻紀が濡れた髪で枕を濡らさないための枕カバーなのだが。

「じゃあ、先にシャワーしてくるね」

「髪洗い終わったら呼べよ。身体洗ってやるから」

「洗わせて、の間違いでしょ?」

「はい。是非洗わせてください」

 刺青のせいで大浴場には入れない麻紀のために、旅先の宿は必ず室内バストイレ付きを選ぶ。この部屋ももちろん同様で、小上がりの脇にユニットバスの扉が付いていた。

 室内に麻紀が脱ぎ捨てていった浴衣を簡単に畳んで、隆則は端に寄せられた机に出しっぱなしの麻紀のスケッチブックをめくってみた。

 色が付いていたり鉛筆画だったりと様々なスケッチは、どれも時間が無い中でざっくり描かれたものだ。だが、一緒に回ったおかげなのか、どの絵がどの場所からどういうアングルで捉えたものかはよくわかる。

 結局、作詞家という二足目のワラジのおかげでBL文庫本のイラストレーターという狭い活動範囲に収まっている麻紀だが、絵描きの才能を無駄遣いしているのではないかと思わなくもない。

 これ以上忙しくなっても困るので、けして勧めないが。

「タカちゃん、ごめ〜ん。髪留め持ってきて〜」

 ドアの開く軽い音がして、洗面所から甘えた声が聞こえる。隆則は「はいはい」と軽く答えて、浴衣は脱ぎ捨てて机に置き去りにされていた大きなプラスチックの髪留めを手に風呂場に移動した。




 貸し切り風呂は露天風呂だった。ホテルの最上階で、周辺にこれより高い建物がない分風呂場の灯りだけが頼りの暗さ。代わりに満天の星空が見られる。

 風呂は貸し切りサイズだけに広くはないが、岩を配して低木で囲い、屋外の雰囲気は十分醸されている。ビルの屋上とは一見してはわからない。

 部屋風呂で身体は洗ってあるので、ざっと流しただけで早速湯に浸かる。二回折り曲げて頭に留めてもなお余る髪の先が湯に触れているが、さすがにそれは諦めている麻紀が、空を見上げて歓声を上げた。

「綺麗〜」

「本当に手が届きそうだな。ここまで星が見えるのは初めてだ」

「あれが天の川?」

「多分な」

 普段から一等星がかろうじて見えるような明るい空を見上げている二人にとって、星で埋まった空を見るのは初めてだった。月がないせいでもあるだろうが、よく見渡せる。

 思わず子供のように空に向かって手を伸ばしてしまう。

「さすがに落ちては来ないぞ」

「でも、掬えそう」

 背中から抱きしめられて体重を預ける麻紀を、隆則も寄りかかるように楽々支える。温泉自体が熱いので、こうしてくっついていても気持ち良いだけだ。

「予約して良かっただろ?」

「うん。ありがとう」

 ひょいっと身体を捻って軽くキスのお礼。掬い上げて深く口付けるのは隆則の仕事だ。

「ねぇ、タカちゃん」

「ん?」

「明日、どうしてる?」

「そうだなぁ。車もあるし、松島あたり行ってみようかな」

「写真、いっぱい撮ってきて」

「おうよ、任せろ」

 おそらく景色に対して感受性が高いのは間違いなく麻紀の方だが。自信満々に隆則は胸を張り、麻紀はよろしくねと笑った。信頼できる恋人へ、自分の感情の源を預けるくらいの勢いで。

 二人の依存関係は形を変えて残り続けている。それこそ、当たり前のように。

 二人の頭上を覆う満天の星空は、今夜も柔らかな光を地上に届けてくれる。

 万人の頭上に、分け隔てなく、果てしなく。





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