その4.遠野編 〜「男ともだち」〜 1
「でっかいお屋敷」
それが友也の開口一番の感想だった。
時刻は夕方。場所は遠野。民話語りを聞かせてくれるという、この土地特有の曲がり家を改装した観光旅館の目の前だ。
高校時代から細々と続けているイラストレーターの仕事関係で、出版社の文庫刊行十周年記念パーティーにお呼ばれした。その会場が仙台だった。
普段なら断ったのだが、今回はタイミング良く本業のデザイナー業の方が大プロジェクトを終えたばかりの小休止中で、時間が空いていた。その上、行き先が東北だ。旅行好きな雅が先に行きたいと主張したのだから、友也に断る理由はなかった。
開催日の日曜日を挟んで金曜日から月曜日までの三泊四日。のんびり三陸旅行の予定になったわけだ。
旅行予定を聞いた友人カップルからは、南部煎餅と萩の月は必須、と土産物の指令を受けた。言われなくてももちろん買って帰るつもりだったが。
二人は今着いたばかりだった。元々、金曜日と月曜日は移動のみで土曜日に一日存分に遊んで回るつもりだったので、予定通りの行程である。
旅館に入ったのが、夕方と言ってもまだ少し早い午後四時で。
「もうこの辺りは回られましたか? 自転車をお貸しできますから、お夕食までの間に行ってみてはいかがでしょう」
女将に勧められて、自転車と遠野の観光地図を渡された。となれば、行かないという選択肢は彼らにはない。
剣道用の特注グローブは持ち歩いていなかったのだが、手首や親指の付け根までは感覚が残っていて力も入れられるため、横向きのハンドルなら手を乗せるだけで制御可能。ブレーキが心配の種ではあるが、片輪と足でどうにかなる程度のゆっくりペースならば問題ない。
友也が先に走り出して、雅は後ろから不測の事態に備える。とはいえ、剣道有段者でスポーツ能力も万能に近い友也が相手では、ほとんど心配していないのだが。
地図を参考にして遠野市街地近辺を巡る。五百羅漢では折り重なったたくさんの石像。キツネの関所でぽつんと立つ石碑に関所?と首を傾げ。カッパ淵では本当にカッパが出そうだとひとしきりはしゃぎ。早池峰古参道で斜めに立った鳥居を不思議そうに見上げる。
宿に戻った頃には夕食時間の直前だった。
汗だくの身体を浴室でざっと流して浴衣に着替えて食堂へ行くと、夕食時間に遅れたためか、すでにお膳が準備万端だった。
囲炉裏のある部屋に座卓が並んで、グループ毎にそれぞれ賑わっている。
長峰様と書かれた札の置かれたテーブルに向かいあって座ると、待ちかねていたように仲居がやってきて刺身の載った皿を置いていく。
先に割りばしを割った雅がそれを友也に差し出して、代わりに友也が手元の割りばしを返した。普段そうしているおかげでお互いに確認もしない。
左手で箸を使う友也は、右利きに合わせて配置されたお膳にも不便なく、サクサクと食事を進める。むしろ目を見張るほど上品な食べ方だ。
漬物や和え物の先付に川魚のお造り、地物野菜の炊き合わせに野菜やキノコの天ぷら、鯉の甘露煮、卓上で焼くのは岩手の名産牛の陶板焼き、それに囲炉裏で串に差して焼いていた川魚の塩焼き。締めは山菜の炊き込みご飯とキノコの味噌汁だった。
友也が雅の手を借りるのはどうしても両手がいる作業くらいで、この食事でいえば椀ものの蓋を外す程度。給仕してくれた仲居も友也の手には最後まで気付かなかったようだ。
食事が各席であらかた終わった頃、腰の曲がった着物姿の老女がやってきて部屋の真ん中に座布団持参で陣取った。
「昔語りをいたします。どうぞこちらへお集まりください」
それはちょうど二人の食卓に近い場所で、まだ食事中の二人には運が良かった。
語られる昔話はさすが語り部と思える絶妙な抑揚で、内容も二人は聞いたことのないものだった。
一つ一つは短い民話を全部で五つ。気がつけば残った食卓は一つきりで、竹かごに山盛りのすももが置いてある。
デザートがなかったのはこういう趣向だったようだ。
一つのテーブルを宿泊客がグループ入り乱れて囲んで、甘酸っぱいすももを頬張る。が、二人はそれをもらって早々に席を立った。
さすがに人前でイチャイチャするわけにいかないし、丸かじりするにも友也は果物を皮ごと食べるのが苦手なのだ。
部屋に戻ると、二人はすももそっちのけで荷物を漁った。示しあわせたわけではないが、取り出したのは二人ともスケッチブックだった。さすがはデザイナー夫婦。考えることは同じである。
忘れないうちに、と書きなぐるラフスケッチは、自転車で巡った遠野の景色。カメラももちろん持って行ったが、景色をそのまま切り取るカメラと違って手書きの絵には感情が入る。
景色をほとんど線画で何枚か描いた後、友也は一枚の紙に丁寧に鉛筆を走らせはじめた。
描いているのは沼と裸のような人影。
「カッパ?」
覗きこんだ雅に尋ねられて、友也は顔も上げずに頷いた。
それは先ほど聞いた民話のワンシーンらしい。さすが高校生の頃から職業としていただけのことはあり、話のイメージをよく捉えている。
デザイナーとしては一日の長のある雅もイメージカットでは友也に譲る。そうして二人のバランスはよく取れているのだ。
時間がかかりそうだと判断して、雅はすももを手に取った。潰さないように丁寧に皮を剥き、皿がない代わりに湯飲みに載せる。
「すもも剥いたよ」
「ありがとう」
お礼を言って鉛筆を置いて、ようやくそれを見やった友也がぷっと小さく笑った。
「可愛い」
湯飲みに載ったすももは、湯飲み自体が丸いおかげでまるで雪だるまだった。
輪郭をとるのが早いのはさすが本職で、すでに全体的なイメージは形になっている。次のすももを剥きながら、雅は感心の声を上げた。
「さすがだなぁ」
「イラスト描かなくなって久しいけどね」
「今は一人二人くらいの専属だよな」
「望んでくれるし、けっこう古くからの付き合いだからねぇ。一番最初に読めるって特権はなかなか譲れないよね」
つまり、ファンなのだろう。最初の読者を特権と表現するのだからそういうことだ。
「明後日久しぶりに会うから、次の構想を聞いてくるんだ」
「次も担当?」
「シリーズだから、途中でイラストを替えることはそうないと思うよ」
へぇ、と答えるくらいが雅にできる精一杯。イラストレーターの仕事には口を出せないのだ。
「こじまめぐみっていったっけ?」
「うん。BL書いてると思えないくらい普通の人だよ。男同士だから仕事がやりやすくてね」
「え!? 男なの?」
「言わなかった? 彼氏のいる人だからかな。何かいつくらいからか、エッチに深みが増したなぁ、って」
「俺より?」
「文章と比べるの? 実物が良いに決まってるじゃない」
クスクスと楽しげに笑うのは上機嫌な証拠だ。
甘酸っぱいすももにかぶりついている間は手が塞がってしまうので急いで食べきって、雅がすかさず差し出してくれるティッシュで手を拭う。みずみずしい果実のおかげでぐっしょり濡れてしまって、片手では綺麗に拭うことも困難だ。諦めて手を洗うために洗面所へ出ていく。
デザートを終えた後は二人ともほとんど一心不乱状態で絵を描いて、気がつけば時刻も11時を回り。
「できた!」
気のあうことに、二人は同時に声を上げ、完成品を見せあった。
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