その3.茨城北部編 〜ボクのご主人さま〜 1
最近妙に忙しく盆休みも取れなかった岳志にとって、恋人の東北行きは良い口実になった。
普段から雑誌連載に文庫本の出版にと頻繁に世話になっている出版社が開催するパーティーに招待され、仙台へ出かける用事が出来た恩はめったに行けないからと周辺の旅行を考えていたのだ。
相変わらず電車の嫌いな恩はその時も自家用車で行こうとしていて、だったらその通り道で寄り道するくらいはわけもない。
「うちの親が家族揃って遊びに来いって近頃五月蝿くてな。ミーも人見知りしなくなったし、ちょうど良いだろ」
つまり、家族揃っての意味は恋人もペットもみんな一緒にということだ。良いの?と首を傾げた恩に岳志はにやり笑って返す。
「まだ若い頃にカミングアウトして以来、孫は諦めたみたいだけどな。せめて一生を共にする相手は見つけて連れて来いって口煩く言われてたんだ。恩の話をしてからは、早く連れて来いって言うばかりだからな。タイミング的にちょうど良いだろ」
「男なのに?」
「男同士なら互いに嫁で婿だろう、嫁さんは諦めたくない、家族が増える一大イベントだからな、ってのがうちの母の主張。親父は母の論法に敵わないみたいで反論しねぇ。俺も嫁と孫を諦めさせた手前、強くは拒否できねぇからな。会うだけ会ってやってくれ」
それが本当なら、ずいぶん物分かりの良い母上だ。しかも、家で一番強いらしく、息子がそれを当然と受け止めている。どうやら岳志のゲイのわりに女性を優先させるフェミニストぶりは、母を立てる父親の影響だったようだ。
「俺がうっかり可愛い奴だって漏らしたのをいつまでも覚えててな、会うのを楽しみにしてる」
「気に入ってもらえるかな?」
「もちろんだ。俺の親だぞ。好みも似てるだろ」
家族でも性格や好みは違うものだろうに、自信たっぷりに断言する。その断言ぶりに恩は笑って頷いた。
「でも、休み合う?」
「まだ夏休みを取ってないからな。三日取れる。金曜日から火曜日まで取るよ。金曜日の夜に行って、土曜日は周辺の観光地に行こう。日曜日はケン坊たちと留守番してるから、帰りに迎えに寄って」
ざっと計画を立ててくれたので、恩はこくりと頷くだけで済む。
「何か手土産持って行かなきゃね」
「ここ何年かは有名店のチーズケーキだな。今年はどこのにしようか」
「ニューヨークチーズケーキは? 凍ったまま買えるから、着いた頃にちょうど溶けるよ」
チーズケーキなら恩も好きなお菓子なので、それなりにブランドのレパートリーがある。任せるよ、と岳志に託されて俄然やる気になった。
「まずは休みをもぎ取るところからだ。いろいろ連れてってやるから、楽しみにしてろよ」
珍しく外出の主導権を握る岳志に恩は苦笑と共に頷いたのだった。
岳志の実家は北関東にあるわけだが、細かい住所までは恩も知らなかった。
茨城県大子町。日本三大名瀑に数えられる、袋田の滝がある町だ。
しかも、滝がすぐ近くの。
「土産物屋?」
案内された家の前に立って、豆柴のケン坊を胸に抱き雑種猫のミーを足元に従えて、恩は呆然とその家を見上げていた。それから、隣に立つ恋人を見上げる。
「跡継がなくて良かったの?」
「妹夫婦が継いでるよ」
「あら? あらあらあら?」
苦笑して答える岳志の声に被って、可愛らしい感じの女性の声が聞こえてきて。
「兄さんじゃないの! 何店先から来てるの。いつも玄関に人呼びつけるくせに!」
店の中から出て来ていきなりハイテンションの彼女は、岳志の妹であるらしい。少しふっくらとしていて、声に似合う可愛らしい容姿だ。
それから彼女は兄の隣にいる恩と愛犬愛猫を発見し、目を輝かせた。
「はじめまして。妹の高子です」
「古島恩です。お世話になります」
ペコリと頭だけ下げる恩の腕の中で唱和するように愛犬もわんと吠えた。
相変わらず賢い反応をする犬だ。
「キミがケンくんね。こっちがミーちゃん? よろしくね」
話は岳志から聞いていたのだろう。名前を当ててみせて、中へどうぞと促した。
「そういえば兄さん。何で店から来たの? 車で来るって言ってなかった?」
「車は玄関の方に停めたんだよ。玄関から声かけても呼び鈴鳴らしても誰も出て来ないから、こっちなら誰かいると思ってな」
店の奥には自宅に繋がる引き戸があって、それが居間に繋がっている。平日は観光客も少ないため、この戸を開けて居間でテレビを見ながら店番をしているわけだ。
この日も金曜日で観光客の姿もまばらだが、ちょうど買い物客の応対のために高子は表に出ていたらしい。
居間にも人はいなかった。
「親父と母さんは?」
「父さんは普通に仕事よ。母さんは婦人会の仕事で出かけてる」
それで誰も玄関に出て来なかったというわけだ。
夜に着くつもりで計画していたものの、実際に到着したのはまだ日の高い15時過ぎ。
「平日のうちに滝見物でもしてきたら? 明日は混むわよ」
お茶と茶菓子を用意しながらの高子に勧められて、岳志が恩に判断を促す。今回の旅行は恩が主役だ。方針を決めるのも、恩にあらかじめ任されていた。
判断を求められて、恩は膝の上にべろんと寝そべるケンを見下ろす。
「どうする? ……あれ? 滝見に行ったことなかったっけ? ……じゃあ行こう。ミーも行く?」
「にゃあ」
「って、お前は呼ばれて反応してるだけだね」
いつもながらまるで電波な人だ、と岳志は苦笑と共に恋人と愛犬を見つめる。
恩のすぐ横に行儀良く座ったミーは、恩にもらった最近のおやつのアジ煎餅を一心不乱にかじっているだけだ。我関せず、という態度にも見えるが、こちらの言葉が通じていないせいであって、本当に無関心なわけではなかったりする。呼べば返事は早いのだ。
「滝ってここから近いの?」
「ケン坊に散歩させられる程度には」
「じゃあ、リード取って来なきゃ。車に入れっぱなし」
「俺が行ってくるよ。車の鍵貸して」
差し出された岳志の手のひらに恩が大きなキーホルダーを付けた鍵を手渡す。
一連の会話を不思議そうに見ていた高子が、兄の後ろ姿を見送ってから座卓の向こうに座る恩に身を乗り出して問いかけた。
「今、誰かと話してました?」
「はい。この子と」
指差す相手はもちろん愛犬。答えてケンもわんと吠える。
「た……お兄さんに聞いてませんでしたか?」
「ケンくんが足が不自由ってことくらい」
「あ〜。じゃあ、俺は電波な人ですかね? お互いに相手の言葉がわかるので、ケン坊と会話をしています。なかなか便利ですよ」
「ミーちゃんも?」
「できるのはケン坊だけ」
そんな説明がすんなり受け入れられるはずもなく。怪訝な様子の高子に恩は苦笑するだけだった。
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