江戸茶房徒然日記 その壱 海人 『ドラキュラの血族』



 こんな土砂降りの日は、日中でも出歩く事ができる。

 あたしの天敵は、太陽の光。晴れた日と薄曇りの日は、彼氏と一緒に、雨戸も締め切った屋敷に閉じこもる。

 夏は、日光から逃げても熱気が追いかけてきて、始終ダルイ状態でいるしかない。残暑も厳しい九月末に経験してみて、そんな中、日が暮れるとすぐに尋ねてきてくれていた彼氏の精神力に、改めて敬服してしまう。

 まぁ、あたしに会いたい一心だったらしいけど。愛されてるって、しみじみ実感する。

 でも、今は11月。秋の長雨も過ぎて、小春日和のうららかな陽気が戻ってきた時期の、珍しい大雨だった。

 あたしは、必需品の黒い傘を差し、神田の街を歩いていた。

 隣にいるのは、彼氏ではなくて、大人びた美貌の女の子。あたしの親友。真弓。

 秘密を黙っている代わりに、献血に協力する代わりに、たまにデートに付き合え、と半ば脅迫されていた。あたしも、彼女と出かけるなんてしたことが無かったから、雨雲で太陽が隠れる日なら、とそれを受けていた。

 左の首に当てられた白いガーゼが痛々しくて、罪悪感を感じてしまうのだけれど、当の本人は至って平気で、「痛くないんだもの、別に構わないわよぉ」などと言って、笑い飛ばしてくださる。ありがたい限りだ。

 神田にいるのは、真弓の趣味。パソコンと旧跡巡りが趣味という彼女は、神田の街をこよなく愛していた。お目当ては、秋葉原と湯島だ。

 午前中は、秋葉原の電気街を巡り、あれこれとパソコンのパーツを買い揃え、さすがに男なので意外に腕力はあるあたしに、当然のように荷物持ちをさせた。そのくらいお安い御用で、彼女のご機嫌がそれで治まるのなら、あたしに特に問題は無い。

 次に向かった先が、御茶ノ水駅だった。そこでコインロッカーに荷物を預けて、二人並んでお堀を渡る。

「神田明神ってね、縁結びの神様なのよ」

「明神って、平将門でしょ? 何で?」

「将門様は、ただ単にその神社に合祀されただけ。もともと、神田神社は縁結びの神様なの。結婚式もたくさんされるのよ」

 意外に宗教的なことも物知りな真弓は、道すがら、そんなことを教えてくれた。ついでに、からかってくることも忘れないところが、彼女らしい。

「芳清さんとケンカしてるんでしょ? 仲直り祈願に、縁結びのお守り買ってあげようか?」

「……余計なお世話よ」

 正式なお参り作法だ、と彼女に教えられて二礼二拍手一礼のお参りを見よう見まねでして、その場をあとにする。言われるまでも無く、お賽銭は少し奮発したし、芳清と仲直りできますように、が願い事だ。

 その後、来た道を戻るのかと思いきや、彼女は裏の階段を下りていった。こっちにおすすめの喫茶店があるのよ、と嬉しそうに言いながら。

 それは、階段のすぐそばに店を構えていた。

「『江戸茶房』?」

「お茶の喫茶店なの。お兄さんが二人でやってるんだけどね。私は、あの二人って絶対にアヤシイと思うのよね」

 アヤシイ、って、何が?

 わけのわからない言葉を残し、真弓は店の扉を押した。

 カランカラン、と耳に心地良いドアベルが鳴る。傘についた雨水を、真弓の傘と二つ分振り落として、傘立てに差す。

 真弓は、先に店員に勧められて窓際の席に座っていた。そちらに近づいていきながら、狭い喫茶店の店内をさっと見回す。

 先客は、サラリーマンが一人だけ。偉そうに足を組んで投げ出して、新聞を読んでいる。傍らに置かれたビジネスバッグに、同じ柄のパンフレットらしいものが何冊か見えて、営業マンなのだろうと察しがつく。

 店員は、二人だった。真弓を案内した男前と、カウンター内にいる美人。

(なるほど、そういうことね)

 その二人を見て、真弓の言う『アヤシイ』の意味がわかった。たぶん、恋人同士だ。

 冷水とメニューを置いて店員が去っていくと、真弓があたしに顔を近づけた。

「ね。アヤシイでしょ?」

「……間違いないと思うけど。何? 真弓って、そういうの好きな人?」

「あら、知らなかった?」

 そんな風に肯定して、真弓はからかうように笑って見せた。そして、メニューに視線を落とす。

 真弓とは、芳清と出会って、人の血液を必要とするようになってから、より親しくなれた気がする。

 当時は芳清の血が、今は女性の血が、あたしには必要。それを、真弓は受け入れてくれた。そして、そんな大事なことを教えてくれてありがとう、と言ってくれた。

 だから、家族からは離れた今でも、真弓とは続いているし、切羽詰ったときは献血もしてもらってしまう。例えば、今日のように。

「私、今日はセイロンのミルクティーにしようかな。海人は?」

 聞かれて、ちょっと慌てて、はじめてメニューに目を向けた。それで、真弓が『お茶の』とつけた理由がわかった。茶葉を使用する飲み物のオンパレード。紅茶も烏龍茶も日本茶も、麦茶や花茶やハーブティも、何でも揃っている。

 中には、当然のように、昔自宅ではまっていた紅茶もあった。

「……アールグレイ」

 あの、独特な香りが好き。ミルクもレモンも、砂糖すら要らない、そのままストレートで飲むためのお茶。そのきつい独特な香りが苦手だと言う人も多いけれど、はまってしまったら、禁断症状すら出る気がする。

 そういえば、夏からずっと、飲んでない。正確には、こんな身体になってから。

 そんな風に思っていたら、頭上から声がかかった。

「お望みでしたら、茶葉もお分けいたしますよ?」

 声と共に、やってきたのはアールグレイの香り。びっくりして見上げると、そこには、カウンターにいた男性が空のカップをテーブルに下ろしながら笑っていた。手元の盆にポットも持っている。

 あたしの向かいでは、突然何の脈絡も無くそう言った彼の言葉に、真弓が驚いている。くっくっと押し殺した笑い声が聞こえるのは、最初にテーブルを勧めてくれたもう一人の店員だろう。

「……どうして?」

「ちょっとした、超能力です」

 そう言って、彼は上手にウインクして見せた。それが、あまりにも様になっていて、思わず見とれてしまう。

 超能力、の意味は、多分真弓にはわかっていない。だって、あたしの心の声に、答えたのだから。そして、あたしにはそれが、そのままの意味だとわかる。それだけ、自然だった。

 彼は、手元のポットをゆっくりと降ろし、あたしの前に置いたカップに飴色の液体を注いだ。それを、あたしも見つめてしまう。

「こちらの彼女もご存知のようですので、あえて伏せませんが。吸血鬼って、昼間でも外を出歩けるんですね」

 えっ。

 突然の問題発言に、あたしははっと顔を上げた。そして、店内にいたもう一人の客に目を向ける。そこに、その姿はなかった。もう帰ったのか。

 彼は、カップに七分目ほどまでお茶を注いで、ポットをそこに置く。真弓にも、同じことをした。それを、あたしはただ、呆然と見つめる。真弓も、ほぼ同じ表情。

「同居されている彼に、言わないで出て来られたでしょう? ご自宅で、探しておられますよ。かなり焦って。電話して差し上げたほうが良い」

「……あの?」

「あぁ、失礼しました。これは、私の生まれながらの力で。千里眼と言いますか。お気を悪くされましたか?」

 戸惑ったあたしに、彼は平然と言ってのけ、ふんわりと笑った。花が咲いたかのような、癒される笑顔。それを、男性の彼が持ち合わせていることに、あたしはびっくりしてしまう。あたしの女の子らしさは努力の結果だけど、この人の美しさは男性的でも女性的でもあって、きっと生まれつきだ。羨ましい反面、気の毒でもあった。

 いいえ、と口には出さずに首を振ると、ありがとう、と彼は礼を言った。そうして、またカウンターへ戻っていった。

 戻っていく彼を見送って、真弓が再び内緒話をするように声を潜める。

「ねぇ。何の話だったの?」

 聞きながら、彼女の手はシュガーポットに伸びる。角砂糖を小さなトングでつまんでティースプーンに乗せ、それを紅茶の中に沈めた。そんな仕草を見ながら、あたしはようやく自分の中で整理をつけ、ついで笑ってしまった。

「こんな身体になってから、アールグレイ飲んでないなぁって思ってたらね、茶葉分けましょうか?って言われたのよ」

「あぁ、だから、千里眼? すごいわね、芳清さんが海人の心配してることも当てちゃうなんて」

「だから、声潜めても無駄よ?」

「あ、そうか。ヤダ、私ったら馬鹿ねぇ」

 ころころと、彼女は実に楽しそうに笑った。あたしの言葉で、千里眼、という言葉の持つ意味も理解したはずなのに、気味悪がるどころか、自分のちょっとしたミスを笑い飛ばしてくれる。心の中がのぞかれてることを、理解したはずなのに。

 やっぱり、真弓はすごい子だ。あたしにはもったいないくらい。

「あんたは、大物になるわよ。真弓。保証するわ」

「やぁね、海人。何よ、改まっちゃって。そんなに誉めても何もでないわよ」

 ただ単純に、誉められたことを喜んでみせる。その笑い声に、あたしまでも嬉しくなる。

 世間一般に非常識とされる事柄を、目の前にそんな人間がいるのだから、という一点だけで無条件に受け入れてくれる。そんな彼女の、決して一般的ではないありがたい判断能力に、あたしは感謝するのだ。彼女自身に、そして、彼女と出会わせてくれた神様にも。

 カウンターを振り返ると、美人の彼はにっこりと笑って頷いてくれた。




 日が暮れる前に、鎌倉の屋敷に帰る。

 鎌倉駅に降り立ったときには、すでに雨は止んでいて、西の空がすこし赤く染まっていた。肌が焼かれる感覚が無いので、屋敷に戻るまではなんとかなるだろう。

 太陽の日差しに弱いあたしを、真弓は雨が止んだ途端に心配してくれて、後でメールするわ、との言葉と共に、あたしを先にタクシーに乗せてくれた。またね、と互いに手を振って別れる。

 タクシーの車内で、また遊びに行こうね、とメールのやり取りをした。

 屋敷の重い玄関を開け、リビングで転寝をする恋人を見つけた。

 喫茶店で忠告を受け、ケンカしたままで気まずくはあったけれど、ちゃんと電話を入れた。真弓と一緒だから、心配することは無い、と。

 本当に心配していたらしく、芳清からほっとしたような深いため息が返ってきて、あたしはその時、素直に、ごめんなさい、と言えた。

 ケンカは、本当に些細なこと。取るに足らない、ちょっとしたこと。

 でも、考えてみれば、あたしたちは、ケンカができるほどに互いに信頼しあっていたんだと気がついて、今更ながらにびっくりした。芳清に甘やかされることも、叱られることもあったけれど、対等にケンカをするなんてはじめてのことだった。

 真弓との約束は、ケンカとは全く関係が無かったけれど、拗ねてしまって逃げるように屋敷を出たのは否定できない。本当に、わかってくれない芳清に拗ねていたから。

 わかってくれないんじゃなくて、わかりたいからケンカしたんだ、って、今ならわかる。いつものように、なあなあの内にただ受け入れるんじゃなくて、ちゃんとわかって受け入れようと、彼は思ってくれたんだ、って。

 あたしって、ホント、馬鹿ね。まだまだお子様。この人には、かなわないよ。

 眠っている芳清を起こさないように、そっとキッチンに出て、あたしはもらってきた紅茶の葉をティーサーバーにセットした。

 アールグレイの、独特の香り。

 芳清は、嫌いじゃないと良いけど。

 こぽこぽと、お湯が音を立てる。お茶の葉が、お湯に舞う。きれいだなぁ、と思う。

 背後に、慣れた雰囲気が現れて、長い腕があたしを抱き寄せた。

 いつの間に起きたのかな。さっきはちゃんと眠ってたのに。

「おかえり、海人。心配したんだぞ」

「うん。ごめんなさい」

 電話をしていて、良かった。今は素直にそう思う。

 喫茶店の彼に言われて電話していなかったら、きっと気まずくて、こんなに幸せな気持ちで謝れなかった。

「ごめんね。拗ねてただけなの」

「あぁ。わかってるよ」

 ちゅ。

 おでこに、キスを受ける。

 わかってる、なんて、年上の余裕を見せ付けてくる彼が、でも、憎めない。そうして包み込んでくれるのが、嬉しいから。

「良い匂いだ。アールグレイ?」

「好き?」

「意外と好みだ」

 あたしを抱きしめながら、彼が鼻を鳴らす。良かった、とあたしはその腕に抱かれて微笑んだ。

 キッチンが、大好きな紅茶の香りで満たされていく。

 まるで、アールグレイに包まれるように、あたしは芳清に顎を持ち上げられるまま、仲直りのキスをした。





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