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 着いた場所は山形県との県境にあたる奥羽山脈の麓に当たる谷間の集落のど真ん中だった。

 集落といっても、付近にしばらく民家のない山道を抜けた先で十数軒が集まっている、元々が過疎地の集落だ。温泉が出たのはずいぶん昔だが、近くに有名な温泉地があることと交通の便が悪いことで発展することなく放置されていた場所だったそうだ。

 数年前に開業したばかりの旅館のはずだが、門構えも玄関周りもずいぶん年季の入った趣の建物である。住民のいなくなった元は地主の屋敷を買い取って、客室と水回りを改装し、崩れかけた納屋があった場所に棟続きの大浴場を増築したのだ。

 裏口へ回ると、集落で唯一の診療所がある。周辺の別の集落にも電話一本で駆けつけるし、午後は各集落を日毎に巡って出張回診も行っている。自治体全域をサポートするには至らないが、都市に出づらい過疎集落は網羅していて、開業からたった数年にも関わらず地元で有名なお医者の先生と慕われていた。

 夜間は急患がない限り旅館のカウンター業務を手伝っている診療所の先生は、その時も玄関先の留守番をしていた。人手が限られているため、食事の時間帯はみんな忙しいのだ。

 まだ外にも薄暗いくらいの明るさが残っている18時半。玄関横の駐車場の隅にバイクを置いて、ヘルメットは手に抱え、玄関の引き戸を開けた。すりガラスの嵌め込まれた重い扉だが、存外軽く開く。レールに車輪でも付いているのだろう。

 玄関の開く音に気付いて顔を上げた裕一は、見知った顔を確認して急いでカウンター横から飛び出した。

「いらっしゃい! メットってことは本当にバイクで来たのか? 疲れただろ〜。靴はそこに置いといて良いぞ。今お茶淹れるから、そこ座ってて」

 気心の知れた仲だから口調は砕けた状態だが、スリッパを足元に出して、籐の屏風で仕切られた狭いながらも落ち着いたソファーに二人を促す手際は、普段からそうしているらしい慣れが伺えた。

 一度カウンターの奥に引っ込んだ裕一はすぐに丸い盆を持って戻ってきた。載せられているのは、急須と茶碗が二客、茶菓子、おしぼり、それにゲストカード。

「名前も住所も聞くまでもないんだけど、記録残さなきゃいけないから書いて。どっちが書く? 委員長?」

 尋ねながら返事も待たずに正史の前に紙とボールペンを置く。正史も何の疑いもなくボールペンを取り上げつつ、しかし軽く苦笑を返した。

「いつまで委員長だ? 何の委員長にもなった覚えはないが」

「あれ? 嫌だった?」

「渾名に文句を言うほど大人気なくはなかっただけだ」

「じゃあ、今の方が大人気ないんだ?」

 なかなか的確に突っ込んで、裕一はそれからユルく首を振った。

「定着した渾名は一生そのままだよ。諦めろって。良いじゃない。後藤って呼んでたら今頃何て呼ぶべきか悩んでたよ、俺が」

 むっと黙ってしまったのは、裕一の言葉に一理あると納得してしまったせいだろう。

 彼らの母校である藤堂学園で政経の教師をして働いている正史が、学園の理事長に就任すると同時に父の養子として戸籍を移動したのは、つい最近のことだ。ずっと母の姓に拘って養子縁組を断っていた正史を決心させたのは、理事長就任ですらなく太郎もついでに受け入れるという妥協案だったわけだが。

 正史が書き終えた紙を受け取って、裕一は二人にゆっくりしているように言ってから、再びカウンターの奥に入っていった。

 二人きりに残されて、改めて建物を見回す余裕が出来た。

 古い柱や梁はそのままで壁は新しく白く塗られ、天井も天然由来の染みが残ったまま。今は壁になって小さな飾り棚があるソファー裏は、隣の部屋の入口だったようで、柱に挟まれた一間分だけ床上の木枠がない。

 隣はその騒がしさから食堂だろうと当たりがついた。

「良い家を見つけたもんだな」

「せやろぉ? ホンマえぇ拾い物やねん」

 玄関先を眺めただけで正史が洩らした感想に、横から合いの手が入る。廊下の方からやってくるのはこの旅館の主人である保だ。誉められたのが嬉しかったようで、ニコニコと笑っている。

「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました。当旅館の主でございます。狭いところではございますがスタッフ一同心を込めておもてなしさせていただきます。どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ」

 近くまで来て立ち止まり、すらすらと口上を述べる。全ての客に同じように挨拶しているのだろう。インターネットの宿泊予約サイトで確認しても休前日でも一人あたり二万円に届かない価格設定で、このもてなし方はなかなかない。

 型通りの挨拶をした後は、素の保らしい小悪魔の微笑みで笑ってみせてくれた。

「前に居酒屋経営してたやろ? その仙台店の入ってるビルのオーナーから買い取らせてもろてん。江戸末期築のお屋敷なんやて。ホンマはその人がここの当代主やってんけど、仙台で事業成功させて向こうで暮らしてるしここから仙台は遠いしな。売却先探してるて教えてもろて、速攻値段交渉や。えぇ買い物やった」

「じゃあ、旅館の計画より屋敷を手に入れたのが先なのか」

「元々宮城に定住するつもりはあったんやで? 旅館にしよて考えたんは屋敷手に入れた時やけど」

 そんなに急な計画でしっかり実現させてしまった保の経営手腕は、流石全国チェーン展開する居酒屋の創業者だけのことはある。資金も料理も親会社にあたる料亭の力を最大限活用したが、経営を軌道に乗せた保の力は無視できるものではない。

 そんな話をしているうちに、裕一も戻って来た。

「お待たせ。部屋に案内するよ」

「また後でな」

 まだ仕事が残っているのか、ひらひらと手を振る保に見送られて、二人は裕一に案内されて屋敷の奥へ移動していった。

 用意された部屋は階段を上がって二階の角。ベランダがあったところをサンルーム状に改造して縁側をつくり、柱の位置に合わせて間取りを組み換えた部屋なのだが、まるで元々そう設計されていたかのような自然な部屋だ。トイレ付き八畳和室。

 ちなみに俺たちの部屋はこっちだよ、と裕一が示したのはその北側に位置するスタッフオンリーの扉だ。二人で暮らしている寝室であるらしい。

「夕飯はゆっくりの八時にしておいたから食事前にひとっ風呂浴びて来ても間に合うと思うよ。一緒に食べようね」

 そう言って裕一は二人きりにしてくれる。カウンターの留守番に戻ったのだろう。

 宅配便で送ってあった荷物は先に部屋の中に運びこまれていた。友人の気遣いに改めて感謝だ。

 部屋に用意された浴衣を手に、二人は早速大浴場へ移動。今日はよく歩き日に当たって汗だくなのだ。

「おっ風呂っ、おっ風呂っ♪ 温泉っ、温泉っ♪」

「……毎日入ってるだろう」

「泉質違うもんっ。楽しみにしてたんだ♪」

 本当に嬉しそうに歌うような節を付けてはしゃぐ太郎に、正史は肩をすくめて苦笑する。出会った時から子供っぽい性格は変わらないし、そんな太郎に惚れてしまったのだから今更なのだ。




 翌日は予定されているパーティーが午後からということで、みんなで仙台市内に昼食に出掛けた。裕一と保は車で、正史と太郎はバイクで。

 パーティーの予定が夜までかかるため、正史は先に帰る。で、太郎のヘルメットはどうしようと困ったところ、宅配便の荷物に入れちゃえば良いじゃない、と裕一があっさり言ってのけたのだ。そんなわけで、宅配便に出す荷物とガムテープに今日の衣装といった荷物類は裕一の運転する車の中である。

 食事を済ませて荷物も手配して、解散は会場のホテル前。

「あんまり旅館を留守にできないからクラス会にも行けなくなっちゃったけど、たまには遊びに行くからね」

「うん。俺たちも、また来るよ」

「今度はもっと早く予定を立てて、佐藤たちも連れて来よう」

「うんうん。めっちゃ楽しみや」

 ホテルの前でひとしきり別れを惜しんで、太郎の次の予定時間がタイムリミットを告げる。

 慌ててホテルに入っていく太郎を見送って、他三人も改めて別れの挨拶を口にすると、それぞれの帰途についた。





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