2




 少し寄り道して雄島の洞窟や石仏群を見て回り、時間がないからと諦めたオルゴール博物館の前を通り過ぎて、今夜の宿へ向かう。少し奮発して予約したリゾートホテルは室内露天風呂つきと豪華な予定だ。

 値の張るホテルなだけのことはあり、接客は実に充実していた。その日の予約客の名を把握していたのか、苗字を名乗るだけで予約表を確認することもなくお待ちしていましたと頭を下げ、すぐにロビーの椅子へ通してくれる。チェックインもそこでしてくれるから、カウンターに立って宿帳に記入する必要もなかった。

 抹茶と和菓子でゆっくり寛いで、頃合を見計らっていたらしく担当の仲居がやって来て部屋へ案内してくれた。非常口と大浴場、夕朝食の食事処の場所を説明されて、半階分上がる階段を上り、いくつかの部屋の入り口前を通り過ぎて奥へ通される。

 室内は和洋室になっていた。背もたれの付いた木製の座椅子にふかふかの座布団が置かれた大きな座卓が畳に置かれ、その奥はセミダブルサイズのベッドが二台。さらに奥には縁側があって向かい合わせの椅子とガラスのテーブル。大きくカーテンの開かれた窓からは海が見える。

 朝食と夕食の希望時間を尋ねられて遅めの時間を指定し、心づけの入った封筒を渡して仲居が丁寧に挨拶して出て行くのを見送ると、二人はそれぞれに室内を確認して回った。明かりのスイッチの場所や洗面所、風呂の場所、冷蔵庫の中身やタオル、ドライヤーに鏡。知らない部屋だからこそ、確認するべきことはたくさんあるのだ。

 海が見える大きな窓の横に戸口があって、開けてみればそれが露天風呂だった。窓からは海が見えたのだが、そこは大きなテラスになっており、下半分のすりガラスに隠れる位置には手すりもあったらしい。

 露天風呂からは海が見えた。

「絶景だなぁ」

 のんびりとしたそんな忠等の感想に、宏紀も後ろからやってきて同じ感想を漏らした。顔を見合わせ、苦笑する。

「まずは風呂にするか」

「そうだね。汗、流したい」

 残暑もまだまだ厳しい九月初旬。あちこち歩き回って二人とも汗だくなのだ。

 宏紀が部屋から浴衣を一式とタオルを取ってきて、そのうちに忠等が先に一つしかないシャワーで汗を流す。浴衣を取りに行くくらいでは大した時間もかからず、忠等がシャンプーを流し落としている時に宏紀もやってきた。手招きされて素直に近づけば、頭からシャワーをかけられてしまう。

「わっ」

「ほれ、そこに座れ。頭洗ってやるよ」

 身体は自分で洗えよ、とボディソープを渡されて、宏紀は言われたとおりに持ってきたハンドタオルをぬらしてボディソープを泡立て、身体を拭い始めた。

 頭を洗い終えるのと、背中以外の身体全体を洗い終えるのがほぼ同時。ついでにタオルを取られて背中も擦ってもらって、宏紀は気持ち良さそうに目を閉じた。

 再び頭からシャワーを浴びせられて泡を落とし、忠等は宏紀を湯船に促す。お礼に背中を流そうかと声をかけるが、断られてしまった。それよりゆっくり風呂に浸かってろ、というわけだ。

 そもそもこの旅行は、普段家事を一手に引き受けてくれる宏紀への同居人三人からのお礼の意味も込められている。忠等がいつもに増して至れり尽くせりなのも、二人の親から厳命されたからでもあった。それがなくとも、忠等自身が宏紀に奉仕する心積もりに変わりはない。

 松島の夕景を眺めながら温泉に浸かる贅沢に、宏紀は幸せそうにほっと息をつく。夕日によって白い岩肌がオレンジに染まり、昼間とはまた違った風情なのだ。

 後から入ってくる忠等も近くまで寄ってきて、宏紀を背後から抱きしめた。

「良い湯だな」

「うん。景色も最高」

「夜にはきっと見えないぞ」

「その代わり、波の音がもっとよく聞こえてくるよ。それもまた風情があって良いと思わない?」

「ん、だな」

 頷きながら、手は腕の中の恋人を愛でるために動き出す。胸元を意思を持って這う手を見下ろして、宏紀は頬をほんのりと染めて忠等を見上げた。温泉で温まったせいか触れる手が心地良いのか。

「風情より色気って感じ」

「ダメか?」

「ダメじゃないけど。湯あたりしたらご飯食べられなくなるよ」

「む。それはもったいない。じゃあ、食後の楽しみに取っておこう」

 元々本気で今ここで事に及ぶつもりはなかったのか、あっさりとイタズラする手を止めて、またもや宏紀を抱きしめた。膝の間に挟みこんで後ろから覆いかぶさるように抱きつく忠等の甘えた仕草に、宏紀は嬉しそうにくすくすと笑っていた。

 牡蠣を中心に近海の魚介類をふんだんに使った懐石料理は、野菜の飾り切りなど包丁芸も冴え渡った、目と舌を存分に楽しませる構成になっていた。値段相応といえばその通りだが、それにしても幸せな一時だ。

 普段から家事を一手に引き受けている宏紀には、それぞれの料理の味付けと簡単にできそうな飾り包丁の技を熱心に観察していた。家族に美味しいものを食べさせたいと考える宏紀の愛情は、年を追うごとに深まるばかりだ。宏紀の料理の腕が上がるのは、それを一番頻繁に食べさせてもらっている忠等には嬉しいばかりではあるのだが。

「そんなに熱心に見入ってないで食えよ。せっかく美味いのが、冷めるぞ」

 客室が多くない宿であることと、他の客と時間をずらしてもらったおかげで、それぞれの皿を最も適したタイミングで供してもらっている。ならば、そのタイミングにこちらも合わせて味わうのが食べる側の礼儀というものだ。そうだね、と宏紀も頷いて食事を進める。

 近海珍味の三種盛りに近海魚の刺身、枝豆と小エビの豆腐寄せを湯葉で包んで餡かけにしたものに牡蠣と地物野菜の天ぷら、秋茄子と夕顔の炊き合わせ、殻つき牡蠣の網焼き、牡蠣の炊き込みご飯と生麩の入った澄まし汁、デザートにはスモモのシャーベットと抹茶アイスといった品書きだ。目新しいものもない普通のメニューだが、それぞれの味わいは秀逸で、料理長の腕が窺える。

 満腹になって部屋に戻ると、部屋の前に一抱えの桶が置かれていた。冷酒の小瓶と竹かごに入ったガラス製の猪口が、桶いっぱいに入れられた氷水で冷やされている。

「お。なかなか粋な計らいだ」

 その正体を知っているらしい反応の忠等に、宏紀は不思議そうな表情で首を傾げるばかりだが。

「宿の予約したときに、日本酒が苦手じゃないならサービスを用意することも出来るがどうするかって訊かれてさ。頼んでおいたんだ。日本酒、いけるだろ?」

「うん、好きだけど。至れり尽くせりだね」

「今日は記念日だからな」

「……何の?」

「宏紀の記念すべき第一冊目発売日。しかも二十年目」

「……そういえば。気にしたことなかった」

 そういう些細な記念日は、本人より周りの方が覚えているのだろう。そもそも宏紀には自分自身の出来事に対する記念日意識が低いのだが。だろうと思ってさ、と忠等は気にした様子もなく楽しそうに笑っている。

「二十年かぁ。年も取るはずだよね」

「それを言うなよ。あんまり早く年を取りたくないんだ」

「そう? 男は四十からだと俺は思うけど。忠等は祝瀬のお父さんと同じで渋みが出てきて、すごくダンディな小父様になりそうだよね。俺なんていつまで経っても男らしくならない」

「宏紀が年増好きとは知らなかった。まぁ、俺は宏紀の気さえ惹けてれば何でも良いんだけどな」

「渋くてカッコいい小父様は若い女の子にもてるんだから、ちょっと心配だよ」

「気にするな。俺が他の人間に目移りすることなんて万に一つもない。二十五年でしっかり証明してるだろ?」

「老いらくの恋ってのもあるからね。いつまでだって安心なんてできないよ。信じてる。ただ、それだけ」

 何年の年月を過ごそうとも、二人が互いに向ける感情は変わらない。忠等が恋愛感情を向ける先は宏紀のみで、他の相手には本能ですら反応しない。宏紀はただただ忠等の気持ちだけを優先して自分を預ける一方。そうして上手くバランスが取れている。

 だからこそ、二人ともこの関係を崩すことなど考えもしないのだ。結局二人は割れ鍋に綴じ蓋で、いかに世間の評価が年を経て変わろうとも、本質だけを見て支えあう二人を引き離すには至らない。至るはずもない。

 せっかく大きな座卓があるのに、わざわざ二人でよりそって座って互いに酌をし合う。よく冷えた冷酒は飲み口もすっきりしていて満腹の食後でも飲みやすい。

「あんまり酔うなよ? 今日はちゃんと抱きたいんだ」

「そういえば、久しぶり?」

「先週まで締め切りに追われてただろ? 俺も、一昨日まで台風対策で職場に缶詰だったしな。週明けからまた忙しくなるよ。台湾近海の台風がそろそろ動く」

「秋は忙しいね」

「天気屋のサガだなぁ、こればっかりは」

 女心と秋の空、という言葉にもある通り、秋は天気の移り変わりが激しい。気象庁に勤めている忠等にも忙しい時期だ。台風の動きによっては土日でも働き詰めの忠等が、家からも勤務地からも遠く離れた場所に観光に出かけることのリスクは随分と高い。それでもあえてリスクを犯して来てくれた気持ちに、感謝の気持ちが湧いてくる。

「一緒に来てくれて、ありがとう」

「普段から旅行になんて出かけられないからな。こうして機会があったら逃せないさ。楽しかっただろう? 俺には、宏紀が楽しそうに笑っていてくれるのが一番の癒しだからな」

 良い景色を見て、美味い物も食べて、温泉に浸かって、そのうえ恋人の幸せそうな顔を見られれば、忠等には仕事を犠牲にすることも厭わない最高の贅沢だ。

「明日は先に帰るけど、宏紀はゆっくりして来いよ。久しぶりに作家仲間にも会えるんだろ?」

「うん、ありがとう」

 作家仲間と聞いて、その相手の顔が頭に浮かんだのだろう。それはそれで楽しそうな表情で、話を振っておきながら軽く嫉妬してしまった忠等には少し面白くない。なので、宏紀の手に持ったままの猪口を取り上げながら、隣にいるいつまでたっても華奢な肢体を抱き寄せた。

「楽しんで来いとは言ったが、浮気はするなよ?」

「するわけないじゃない。忠等ってば、心配性」

 くすくすと楽しそうに笑って抱き返してくる宏紀に耳元で強請られて、若い頃から喧嘩常勝でサッカーも上手いくせに重い筋肉のない、相変わらずの軽い身体を楽々抱き上げベッドへ移動。そうして、抱き寄せられるままに覆いかぶさり、キスをする。最初は触れるだけ、何度か啄ばんで、それから舌を絡めたディープキスへ。少しずつ慣らして最終的に欲望を満たすのは、キスでもセックスでも一緒だ。

 照明を落とす手間すら惜しんで身体を重ねる二人には、過ごした年月が嘘のような飢えすら感じさせられる。

 まだまだホテル内も慌しい宵の口。旅先の夜はゆっくりと更けていく。





[ 21/31 ]

[*prev] [next#]

[mokuji]

[しおりを挟む]


戻る



Copyright(C) 2004-2017 KYMDREAM All Rights Reserved
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -