その1.松島編 〜BreakTime〜 1




 東北新幹線で仙台駅に降り立った二人は、まずガイドブックを開いた。

 目的地は松島。江戸時代には松尾芭蕉があまりの景観に句を詠むことも忘れたという、日本で有数の景勝地だ。牡蠣の名産地でもある。

 今回の旅行は、実に慌しい日程で組まれている。

 日曜日である明日、仙台市内のホテルにある大ホールで行われる出版社のイベントに招待されたのだ。

 東北に来ることなど滅多にない意外と出不精な宏紀が、せっかく近くまで行くから、と松島行きを希望した。が、さらに前日の金曜日は普通に出勤日である忠等が同行することになったため、土曜日の早朝に新幹線に乗って移動し、松島の旅館で一泊、日曜には宏紀はイベントに出席してさらに一泊し、忠等は新幹線で先に帰るという強行軍になった。

 仙台駅から松島まではローカル線の仙石線という路線で移動する。松島海岸駅までは思ったほど時間も掛からず、約三十分で着いた。

 降りた駅は海岸のすぐ目の前だった。人の波に従って通りを渡り、公園をさらに抜けていくと、目の前に広がるのが松島の海。

 点々と小島が浮かび、それぞれの島には木が生い茂っていて、海の青、岩の白、木々の緑という自然の造形美には声も出ないほどだ。

 海の見渡せる広場に立ち尽くし、宏紀はしばらくそこから目を離さず、動くこともなかった。隣に立つ忠等もまた、声を失った様子で立ち尽くしている。

「……すげぇな」

「一句も詠まなかった芭蕉の気持ちがわかる気がする。これは、出てこない」

 さすが日本の三大景勝地の一つ。その肩書きは伊達ではなかった。

 しばらく立ち尽くして、そうしていても埒が明かない、と気分を入れ替えたのは忠等が先だった。

「さて、どうする? まずは飯にするか」

「牡蠣食べたい!」

「……夏だぞ? 大丈夫か?」

「もうRのつく月だよ。それに、採れたて新鮮な貝ならいけるでしょ。売ってるし」

 ほら、というように、通りの向こうに見える店を指差せば、どこの店でも牡蠣の名の幟が風にはためいていた。

 運の良いことにと言うべきか、日付は九月の第一週目。まだまだクーラーの手放せない暑い季節だ。だが、確かに宏紀の言うとおり、牡蠣を食べるのに向かないとされるRのつかない月は過ぎているし、店も取り扱っているようだった。

 とりあえず店のある方へ移動しようと、二人は仲良く手を繋いで公園の道を歩いて移動することにした。いい歳をした男同士で手を繋ぐのは、傍目にはものすごい違和感のはずだが、旅の恥はかき捨てとばかりに二人ともまったく気にしていない。

 牡蠣の幟を目指して歩いていくと、何故かオルゴールの音が聞こえてきた。音の元を探して見れば、公園の入り口あたりに屋根のついた小さな荷車が置かれていた。中身は大きなオルゴール。手回し式のようで、すぐ傍に初老の男性が座っていて、横についたハンドルを慣れた手つきで回していた。この近くに、オルゴール博物館があるらしく、その宣伝に出てきていたのだ。

 こんなに大きなオルゴールは珍しくてしばらく見ていたが、残念ながら博物館に足を伸ばす時間はなさそうだ。

「それより、お昼ご飯」

「だな」

 しばらく見入っていた二人は、はたと気づいて意識を確認しあい、その場を離れた。

 道を挟んだ向こう側は、地元の海産物を販売する店が軒を連ねていた。どこも店内で食事ができるつくりで、店先ではすぐ目の前の海で取れた魚介類を焼いて売っている。あちこちで少しずつつまみ食いでも良かったが、朝早くに自宅を出てから何も口にしていない二人にはそれは少し物足りない。そのため、定食を手ごろな価格で扱っている店に落ち着くことにした。

 牡蠣の浜焼きが一つずつついている刺身定食をそれぞれ頼み、新鮮な魚介に舌鼓を打つ。小ぶりながら濃厚で身のしまった牡蠣は、食べた瞬間に最高の贅沢を味わえる深い味わいだ。

 大満足で店を出れば、時刻は十二時を回っていた。

「遊覧船の時間に丁度良いな」

 実は、事前に遊覧船の予約をしていたのだ。出航は十二時十五分の予定だ。せっかく来たからには、島巡りの遊覧船は欠かせないだろう、と主張したのは忠等の方だった。

 湾内だけではなく奥松島まで足を伸ばし、日本三大渓の一つである嵯峨渓までめぐる贅沢な一時間四十分の遊覧船コースは、一瞬たりとも乗客の目を飽きさせない奇岩の宝庫である松島を満喫できる。

 船に集まってくる海鳥、白い岩肌に張り付くように生い茂る木々、船に掻き分けられて波打つ海。青というには緑の濃い、当たる光によって色を変える海の中には、魚の群が見られた。それだけの透明度を誇っているということだ。遊覧船の通らない岸に近い場所には牡蠣の養殖筏が一面に広がっている。海の侵食によって様々に形を変える大小の島の数々はそれぞれに表情豊かで人の目を楽しませた。

 船に乗っている一時間四十分、二人とも「うわぁ」以外の声が出なかった。

 船を下りて、二人はもう一つの目的地へ向かった。伊達政宗所縁の古刹、瑞巌寺だ。

 安土桃山時代の建築の粋を結集したと言われる本堂伽藍は国宝にもなっている。大学生時代には史学を修めたこともあって歴史好きの宏紀には欠かせない観光名所だ。

 拝観料を支払って寺院敷地内に入れば、まずは岩窟遺跡を見ることができる。瑞巌寺境内を覆うように切り立った崖が迫っていて、その壁面に明らかに人の手によると見られる洞窟がいくつも掘られているのだ。そして、それらに数えることも困難なほどたくさんの石仏が納められている。昔はここに多くの修行僧が暮らしたとの記述がある立て看板が立っていた。壁面は岩盤がやわらかく掘りやすい岩質であるらしい。

 そして出迎えてくれるのが、国宝である本堂。ドンと迫力のある大きさの本堂は内部の見学も可能だ。

 外から見ただけでも大きくどっしりした構えの本堂は、武士好みの骨太さと当時の文化特有の絢爛さが見る人の目を楽しませた。本堂といっても一般的な大きな広間だけの建物ではなく、広い仏間とその周囲を取り囲むようにいくつもの座敷があって、それで一つの建物になっている。脇には豪華な飾り玄関もついていた。

 それぞれの座敷は襖絵や欄間、床の間などに贅を凝らして作られていて、過去には当時の今上帝が松島へ御幸の折に宿泊したこともあったそうだ。

 順路に従ってぐるりと一周見て回って、宏紀はだいぶ満足そうだった。歴史も古い文化も好きな彼は古式建築様式も興味があって、寝殿造りの神社や数奇屋造りの民家、藁葺きの民家、合掌造り、唐破風の屋根、京町家に蔵造りの家など、日本の文化や知恵に基づいた古い造りの家を見て歩くのも趣味の一つなのだ。この本堂も好みに合致したらしい。

 大満足のため息とともに寺を出て、時計を見れば三時を少し過ぎたところだった。宿にチェックインするには少し早い。

 そのため、二人は瑞巌寺の隣に位置する円通院という寺も詣でることにした。ガイドブックによれば、厨子の右扉の内部には日本最古といわれる西洋バラが描かれていて、境内には天野明道住職が院内6000平方メートルあまりに色とりどりのバラを植え込んで開放したため、バラ寺という愛称で呼ばれているそうだ。今ではバラも少なくなって、代わりに苔を配した寺になっているらしい。

 そういえば、伊達政宗が欧州に天正使節団というものを派遣したと歴史でならったなぁ、と忠等はぼんやり思う。史学専攻の宏紀と違って、忠等は完全な理系だ。何となくでも覚えていただけマシだろう。

 瑞巌寺と比べれば小ぢんまりとした感じではあるものの、禅寺らしい石庭も美しく整えられていて、落ち着いた静かな佇まいの寺院内はほっと一息つくのに丁度良い。

 境内を一周巡って外へ出れば、時刻は四時。旅館の食事時間が六時だろうと想像すると、丁度良い頃合だ。





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