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せっかくできた年の離れた一時限りの友人に別れを告げて部屋に入って、ハンペータは目をしばたいた。
「へぇ。スイートってこんな風になってるんだ」
確かに良い所のボンボンな生まれ育ちだが、ホテルには無縁の生活をしていたハンペータには、スイートルームに泊まる経験などあるはずがない。思わずいろいろと探検してしまう。
入り口に一番近いドアの中はゲストルームのようで、大き目のベッドが一台とナイトテーブルのみの比較的小さな部屋。リビングからは主寝室へつながる大きな扉とパウダールーム行きの小さな扉がつながっている。パウダールームへは主寝室からも抜けられるようだ。
主寝室のベッドは、呆れるほどに広かった。詰め込めば、大人の男が八人くらいは余裕で寝られる。
先に部屋に入っていたルフィルは、早速ソファが気に入ったようで、ノペッとそこに長く伸びている。
「眠たいならベッドに行けば良いのに」
『湯浴みが先だろう。動き回ってだいぶ汚れたからな。寝台に外の汚れを持ち込む気はない』
それで遠慮して椅子に伸びていたというわけだ。なるほどと頷きながらもそんな気遣いに思わず笑ってしまうハンペータだ。
バスルームにはシャンプー、リンス、ボディソープに、数種類の入浴剤まで揃っていた。湯張りを設定してリビングに戻り、空調の効いた室内は喉が渇くから、といって買ってくれたスポーツドリンクを口に含む。普通ホテルの室内は持ち込み不可なのだろうが、宿泊代以外の経費を誰かわからない相手に押し付ける気にはどうにもなれない。
「随分疲れてるね」
『ハンペータをあんあん言わすくらいの体力は残ってるぞ』
「無理に言わさなくて良いよ、もう」
普段からこのくらいの猥談は口にするルフィルだ。ハンペータも慣れたもので、もう、と呆れるくらいが関の山だった。
その代わり、ルフィルが伸びているソファの空いているところに腰を下ろし、手触りの良い恋人の毛並みに手を伸ばす。細い指に身体を撫でられて、ルフィルは気持ち良さそうに目を細めた。
「この世界でこんなに楽しいと思えるなんて、思わなかったな」
『そうか。ならば来て良かったな』
以前のハンペータならば、自分からこの世界に返って来たいと思うはずもなかったが。どうせ拒んでも強制送還なのだろうと受け入れたこの旅が、意外な収穫だった。つまらないと思う旅よりは楽しい方が何倍も良い。確かに、来て良かった。
「それでも、僕の住むべき世界は向こうだけどね」
『そうでなくては俺も困るな。まぁ、時々旅としてくる分には構うまい。どう繕っても、ハンペータの故郷に変わりはないからな』
こんなにも文明レベルの高い世界に生まれ育って、不便な生活を強いられるとわかっていてもヴァンフェスを選んでくれたハンペータだ。一日や二日程度の里帰りを許さないほど狭量になるつもりはなかった。そうはいっても、迎えに来る手段がない限り同行することは譲れないが。
「またいずれ、遊びに来るのも良いかも知れないね」
『また差出人不明の招待状が来ればな』
「そうそう。結局、誰なんだろうね、この招待状の主」
それはきっと古代人の精神体とは違う天地創造の神様だろう、と何気なく想像して、ハンペータはくすりと笑った。
「やっぱり、神様っているんだね」
『……ん?』
「なんでもない」
これだけ近くにいて聞こえなかったはずはないが、問い返すルフィルに笑って返して、ハンペータはその場に立ち上がり、隣の恋人に手を差し伸べた。
「お風呂に行こう? 洗ってあげる」
『ざっとで良いぞ、ざっとで』
「駄目だよ。泡でぶくぶくにしてあげる」
『拷問だ』
「ほんっと、ルフィルって猫だよねぇ」
抗議の声を上げながらそれでも素直に従うルフィルに、ハンペータは嬉しそうにくすくすと笑っていた。
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