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寝室で七時を待っていた二人が放り出されたのは、一軒の豪邸の門前だった。
ひらりと目の前を舞う紙切れには、ホテルの名前と部屋番号、それに一文が添えられていた。
「明朝七時にお迎えにあがります、だってさ」
つまり、制限時間は十二時間というわけだ。しかし、宿泊場所を提供されただけでも十分至れり尽くせりなご招待だと言えるだろう。空を舞うことのできる彼には交通機関の心配は不要なのだから。
「まずは活動資金だな」
連れはいるものの独り言をやけにはっきり呟いて、シンは自宅の門扉に手を伸ばした。
それは、夫婦揃って会社経営に精を出す高杉家の自宅だった。鉢植えの小さな木が門前に添えられている程度で前庭はなく、両開きもできる大きな玄関を持つ三階建ての豪邸がデンと眼前にそびえている。母の実家である鳳生家の資産も相当だが、この家もまた資産価値は億をくだらない。
隣に控えているリャンチィが、箱のような家を見上げて不思議そうな顔をシンに向けた。
「ここは?」
「俺の実家。とりあえず着替えよう。この世界でこの服装は浮くから」
何の気構えもなく恋人の実家に連れて来られて、一気に緊張したらしい。居住まいを正すリャンチィに、シンはくすりと笑った。
「心配しなくても誰もいないよ。この時間はまだ二人とも仕事してる」
早くても夜の十時までは帰って来ない両親だ。確信を持って言ってのける。だが、フェンシャン王国において夜七時といえば家族が全員食卓に揃う時間だ。寂しい幼少時代を過ごしたのだとユウに聞いていたこともあり、リャンチィは少し胸が痛くなった。
通されたリビングで、リャンチィはソファに座らされてしばらく待っていろとシンに命じられた。
とにかく見たことのない道具に囲まれた部屋だった。ガラスの筒に覆われた六連のランプは炎の明かりではここまでの明るさは出ないと断言できるほどの、まるで昼間の太陽の明るさで部屋を照らしている。背の低い食器棚の上には長短二本の棒が据えられた円盤を上部にいただくからくり箱があり、金属製であるらしくキラキラと輝いている。透明なガラス張りでその技術力の高さは驚くばかりだ。
厚いカーテンを閉められたその隣には真っ黒な鏡がでかでかと置かれているのだが、姿見にしては横倒しになっていて適当な立ち位置が見当たらず、映し出される自分の姿も真っ暗で詳細が良く見えない。あれだけの透明なガラスを製造する技術がありながら鏡がこんな代物であるとは思えず、何か別の用途に用いられる箱なのだろうとは思うのだが、その本来の用途は想像の範疇外だ。
その隣には木製の箱が大小いくつも組み合わさった物体が鎮座している。両端に置かれた大きめの箱は中央が丸くくり抜かれていて、紙か布か不明だが黒い幕が張られていた。間に挟まれた箱にはツマミやボタンがたくさんついていて、一つ一つにその用途を記しているらしい記号が付与されている。だが、言葉とも思えないただの記号で、何を意味しているのかはさっぱりわからなかった。
室内には観葉植物もいくつか置かれていて、居心地は悪くない。荒く編まれた麻のラグがこの暑い季節には涼しげだ。
やがて、シンが服をいくつか抱えて階段を降りてきた。
「夏で良かったよな、ホント。ジーパンだとつんつるてんになっちゃうだろうから、ハーフパンツにしたよ。上はそのままで良いや。下だけ履き替えて」
言われてみれば、シンも上着は着ていたシャツをそのままにズボンだけを履き替えていた。どうやらそれは元々シンの物であるらしい。腰を紐で止めるタイプのハーフパンツはフリーサイズにできていた。
着替えるのを待って、シンは何枚かの紙幣を尻ポケットに突っ込むと、リャンチィを促してリビングを出る。
「まずはどちらへ?」
「せっかくの機会だからね、カメラの作り方を復習したいんだ。まずは本屋。その後軽くなんか食って、ホテルにしけこむって予定でどうかと思うんだ」
「はい。おまかせします」
お任せも何も、本当に右も左もわからない世界だ。普段に輪をかけて従順なリャンチィにクスリと笑ったシンは、リャンチィの腕に自分の腕を絡め、恋人気分で家を出た。
しっかりと戸締りをして、鍵を秘密の隠し場所にしまいこむのは忘れずに。
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