大切な人 1
隣に並んで空を見上げると、都会の光に掻き消されながらも、いくつかの明るい星がその存在を主張していた。
中学を卒業して、もうすぐ一月が経とうとしているのに、ずっと母校の問題に首を突っ込みっぱなしだった二人は、ようやく仕事から解放されたというのに、どうもその場を離れがたく、中学生たちが帰って言った後でも、寺の石段に並んで腰を下ろして、空を見上げていた。
相変わらず、自分たちの尊敬する先輩は、ひたすら非常識なまでに喧嘩に強い。それは、危険な状況でほど嬉しそうに笑うのが、気の毒になってしまうほどだ。
そんな先輩を追いかけて、死に物狂いで勉強して、学区一番の都立高校に進学した。その理由はそれだけではなかったけれど、今にして思えば、一途だったと思う。
「なぁ、フジさん」
「……それ、やめろって。他人行儀だろ?」
「でも、もうこれで慣れちゃったしな」
ちぇっ、と舌を鳴らす。実に不本意だが、呼び名が気に入らない程度で離れられる仲では、とうにない。それが、悔しいらしい。
隣でふてくされる親友を見やり、竜太は複雑なため息をついた。今、自分の隣に彼がいてくれるという幸運と、はぐらされたままの自分の恋心。強引に押せば拒否されることはわかりきっているから、どちらかを優先すれば、どちらかを諦めなければならない。それが、辛いのだ。両立できれば、それに越したことは無いのに。
「で? 何だよ。言いかけてやめるなよな」
外見だけを見れば、この時間に不良の溜まり場で知られる寺の境内にいる事が不思議に見えるほどの、真面目な高校生なのに。芳巳は、自分の外見と中身とのギャップを気にした様子もなく、隣に座る大柄な親友を不機嫌を隠さずに見やった。
もちろん、その程度の態度で嫌われることはない、と確信しているからできる反応である。
「うん……。あのな? ……俺、望みないのかな?」
情けなく肩を落としたまま、竜太はそう問いかける。聞かれた方の芳巳は、ぴくっと肩を震わせた。全身が凍りついたのがわかる。それを、誤魔化せない。
芳巳の無意識らしい反応に、竜太は大きくため息をついた。
「ごめん。困らせるつもりじゃなかったんだ」
謝って、しばらくその場に固まっていた竜太が、急に立ち上がる。どうしたのかと見上げる芳巳の隣で、大きく手を広げた。
「あぁあ。不毛な恋しちゃったよ、俺」
「……うるさいよ、竜太。近所迷惑」
はっきりと眉をひそめて、とっさに返した言葉が、そんなものだったのに、芳巳は言ってしまってから自己嫌悪に陥った。こんなことを言っているから、竜太を追い詰めるのだと、わかっているのに。
芳巳に怒られて、しゅん、と肩を落とした竜太は、それから座ったままの芳巳を見下ろす。
「帰ろうぜ。明日も学校だし」
「……竜太の口からそんな台詞が出てくるようになるとはなぁ」
「ふん。心を入れ替えたって言ってくれ。俺自身びっくりしてんだから」
自分自身が驚いているのなら、心を入れ替えたとは言わないと思うのだが、そこには言及せず、芳巳は肩をすくめると、差し出された手を取った。引っ張りあげてもらって、立ち上がる。
芳巳が喧嘩に弱いのは、もちろん体の小ささも原因の一つではあるだろうが、それ以前に、体が弱いというところもあるのだ。自分自身が認めたくないことだから、それを知っているのは竜太だけなのだが。
知っているからこそ、竜太は自然に芳巳をサポートしてくれる。こうして引っ張り起こしてくれるようなさり気なさで。
実際、ほだされかけているのも否定できないのだ。宏紀に言われるまでもなく。
「今日の夕飯、どうするんだ?」
「……うーん。中華丼、かな? もと、買ってきてあるし。あ、でも、飯炊かなきゃ」
あぁ、めんどくさい。そんな風にぼやいて、芳巳は竜太が背後を守ってくれるのに甘えて、先にたって石段を降りていった。二、三段後ろを、竜太がちゃんと追いかけてきてくれる。
「ラーメンでも、食いにいかねぇ?」
「お、良いねぇ。久しぶりに『とん太』行くか」
「おう。ついでに、送ってってやるよ」
「いいよ、別に。俺、か弱い女の子じゃねぇぞ?」
「女の子は違うけど、か弱いのは合ってると思うな」
「ふん。言ってろ」
言い合っているうちに、石段を降りきっていた。二台並んで停まっている自転車にまたがり、所々を電柱の明かりが照らす住宅街へ、漕ぎ出していく。その楽しそうな会話が、自転車の車輪が回る音と一緒に遠ざかっていった。
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