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 遠巻きにしている学生の集団から、二人の生徒が出てきたのに、そこに陣取ったチンピラたちが一斉に剣呑な目を向けた。

「んだぁ? こらぁ」

「関係ねぇ奴ぁひっこんでろ」

 それはおそらく、宏紀の容姿を見て判断したのだろう。しかし、それは同時に、彼らは目的の相手の顔はおろか、容姿すら知らずに殴りこみに来たことを示していた。

 芳巳の外見を言葉で説明する時、それは宏紀とほぼ同じ言葉を使うことになる。背が小さく、比較的痩せた印象の、弱そうな普通の少年。宏紀との違いといえば、実際の喧嘩の強さだけだ。

 とにかく、そんなチンピラたちの反応に、宏紀はこれ見よがしに深いため息をついて見せた。

「あんたらが呼んだから来てやったんだろ」

「用がねぇなら消えろよ。近所迷惑だ」

 宏紀に合わせて竜太も口を出す。それで、ようやく彼らが目的の相手だとわかったらしい。困った様子で顔を見合わせた。

 片方は、確かに中学で番を張っていたといわれて信用できそうな、がっしりした体格をしている。だが、もう片方はとてもそうは思えないのだ。戸惑いもするだろう。事実、人気者番長だったのだから、戸惑われても困るのだが。

「あんたら、この町の人間じゃないね? ここには、本職さんだって手ぇ出さないってのに、勇気があるというか、無謀というか」

 ちなみに、事実だ。宏紀には敵わないことは、市内全域に知れ渡った周知の事実であり、足を洗ったと知られた今でも、宏紀の周囲にちょっかいを出そうという愚か者はいないのだ。いるとするなら、そんな市内の常識に疎い、余所者である。

「怪我したくなかったら自分の縄張りに帰んな。追っかけていかねぇから」

 ほれ、しっしっ、とまるで犬か猫でも扱うような仕草で、竜太が彼らを追い払う。そんな態度に、チンピラたちは頭に血を上らせた。

「んだと、こらぁ」

「顔貸せや。こんな場所でボコられたくなければなぁ」

 肩を目いっぱいいからせて、大して恐くもない凄み方を受け、宏紀は付き添う竜太と顔を見合わせる。後ろを振り返ったので、その竜太の背後に、心配そうに見守る元担任の顔も見えた。となりで、芳巳もじっと見守っている。

「おら、ついて来いよ」

 ぐい。全体的に小柄な分、言うことを聞かせやすいと判断したのか、一人が宏紀の腕を掴んだ。

 それが、合図になった。

「怪我したくなかったら帰れ、って言ったよね?」

 ぐい、と掴まれた腕を引き寄せる。意外な力強さに引きずられてたたらを踏んだチンピラは、踏ん張った直後、後頭部に衝撃を受けて横に吹っ飛んだ。5メートル先の駐輪場の柱に叩きつけられ、地に崩れ落ちる。

 口元に薄笑いを浮かべて見ていた仲間たちは、一様に唖然としてそれを見送った。掴まれた腕を軸にして飛び上がった宏紀が、思う様、頭の下の方を蹴り飛ばしたのだ。サッカーで鍛えた足に勢いよく蹴られて、踏ん張れるはずはなかった。反対に、下手に踏ん張ってしまうと、その衝撃で脳がやられてしまう危険もあるのだが。

 蹴った方の宏紀は、その場に危なげなく着地すると、残った4人に目を向けた。

「ああなりたくなかったら、大人しく帰りな」

 ひょい、と握りこぶしの親指を立てて、無様に倒れた男を示す。その言葉が、どうやら彼らの癇に障ったらしい。4人の目が、一点に集中した。睨みつけられ、宏紀は動じることなく、反対に薄ら笑いを浮かべる。

「怪我したいなら、どうぞご自由に」

「粋がってんじゃねぇ。チビガキがぁ」

 叫びと同時に殴りかかってきた一人を平然と避け、宏紀はなんと、楽しそうに笑った。宏紀の様子にピンと来た竜太は一歩退く。振り返って、宏紀が竜太に頷いて見せた。

「竜太。下がってて。片付けるから」

 言われて、竜太はもう二、三歩後ろに下がった。普通に考えれば、宏紀とチンピラたちの体格差を考えても、下がって良い状況ではない。手を貸すのが、後輩の役目だろう。そもそも、この喧嘩の発端は自分たちなのだ。
 しかし、竜太はこんな状態だからこそ、素直に言葉に従う。おそらく、自分の立ち位置が宏紀に邪魔になることを、わかっているのだ。

 一方の宏紀はというと。

 信頼できる後輩を後ろに下がらせて、自分の立ち回り場所を確保すると、改めて相手を見回した。4人いる、全員が戦闘体勢に入っている。そして、向こうで先ほど蹴飛ばした男も、意識を取り戻して頭を振っていた。つまりは、5対1。

 この状況を見て、相手にとって不足はない、という程度の感想しか持たないところに、宏紀の自信が垣間見えるわけだが。

「かかっといで」

 ひょいひょい。軽く身構えた状態で、手のひらを上にしてそちらに差し出し、手招きをしてみせる。カンフー映画などでよく見られる、挑発のポーズ。こんなものに素直に乗ってくる相手も相手だ。

 まず一人。殴りかかってきた腕を寸前ですり抜け、がら空きの懐に入り込むと、ゆったりしたシャツを胸元と腹辺りで掴んで、勢い良く投げ飛ばす。

 次に、いつの間に出したのか、ナイフを突き出した男には、わき腹直撃のキックを食らわせ、ふらついたところでさらに肩口を掴むと、手前に引きずり倒した。倒した先に一人目が倒れていて、積み重ねられる。おかげで、一人目の男は完全にノックアウトした。

 二人目を引きずり倒した反動でくるりと身を翻した宏紀は、三人目の肩に掴まり、ふわりと飛び上がる。その隣にいた4人目の顔面に、ジャストミートの蹴りを食らわせ、そのまま捕まった男の後頭部に着地。踏みつけてそこを飛び降りた後、少し助走をつけて、顔面を蹴った相手の苦痛に曲がる腹に、まるで吸い込まれるように膝蹴りを叩きつけた。

 四人目がうずくまったまま白目をむいたのを確認し、振り返った宏紀に、二人目と三人目が同時に襲い掛かってきていた。が、宏紀はまったく慌てることなく、三人目を自分の前に引き寄せ、二人目のナイフの壁を作る。ナイフは勢いを抑えることが出来ずに仲間を傷つけた。刺された腹を抱えて三人目はそこに倒れこみ、刺した方も気が動転してそこに立ちすくむ。

 ナイフの傷口から思ったよりたくさんの血が流れ出していて、さすがの宏紀も表情を変えた。

「竜太、フジさん! タオルっ」

「はいっ」

 宏紀の叫ぶような指示に応え、芳巳は周りに持っている人を探し、竜太は運動場へ走り出した。まだ春のこの時期、タオルを持ち合わせている人などそうは多くなく、運動部の人の方が持っている確率は高い。さらに、芳巳の横にいた元担任は、校舎の中へ駆け込んでいった。おそらく、保健室へ向かったのだろう。

 その間に、宏紀は羽織っていたジャージを脱ぎ、ためらいなく、怪我人の横にしゃがみこんだ。

「ちょっと、そこのっ。呆然としてる暇があるなら手伝え。それから、そっちの人。動けるならそこの二人つれて出て行け。もっと痛い目に合いたいのか」

 そこの、は傍らに立ち尽くす、ナイフを持っていた男。そっちの人、は何とか起き上がっていた最初に蹴り飛ばされた男だ。のろのろと動き出して、気を失っている仲間を引きずり起こすのを確認し、宏紀はナイフが刺さったままの傷口に視線を向けた。

 脱いだ自分のジャージを傷口の周りにあてがい、流れ出る血をせき止める。

「あんた、ちょっとこれ持ってろ」

「……は?」

「は?じゃねぇよ。自分で刺したんだろうが。責任くらい取れ」

 刺さったナイフは、刃の部分のほとんどが見えている状態なので、そんなに深くは刺さっていないはずだ。だが、この流血量は尋常ではない。刺さりどころが悪かったか。おそらくは、太い血管を傷つけている。

 太い指輪でゴテゴテに飾った手で宏紀のジャージを押さえたその手の、心臓に近い方を強く上から押し付け、押さえていろ、と強引に指示を下す。そこへ、芳巳がやってきて、タオル地のハンカチを差し出した。柄が、おそらくは女物だ。ごく小さなそのハンドタオルを受け取って、それはナイフの刺さっている傷口に押し当てられる。

「んー。ちょっと小さいか」

「せめてフェイスタオルサイズが欲しいですね。季節柄、他にはないみたいですけど」

 困った表情で宏紀は芳巳と顔を見合わせ、もう一人の仲間が行った運動場の方を振り返る。そちらから、竜太と一緒にサッカー部の友達が走ってくるのが見えた。

 近くまでやってきた松実が、怪我をした人が宏紀でないことを確認して、あからさまにほっとしてみせる。

「はい。タオル」

「ありがとう」

 礼を言って、汗でほんのり湿っているそのタオルを受け取る。目の前にある命の危険と比べれば、人の汗など大した問題ではないわけだ。

 そのタオルでナイフをくるむように傷口を押さえると、宏紀はそのナイフを慎重に引き抜いた。途端にどっとあふれ出る血を、タオルに吸い込ませ、そのまま押さえつける。白地のタオルが、あっという間に血で赤黒く染まった。

「それにしても、まさかこの学校に殴りこんでくる命知らずがまだいたとはねぇ。ひろがここに通ってるのって、常識になってるんじゃないの?」

 タオルを半分ほど血で染めて、とりあえずそこで留まったことを見守っていた松実が、実に意外そうに問いかけた。宏紀が番を張っていた時代でも宏紀の親友でい続けた松実は、それだけに不良仲間たちの間でも顔を知られていて、竜太と芳巳は申し訳なさそうに松実の言葉にうなだれて見せる。

「それがね。隣町の、なんだってさ」

「……他人の縄張りに入り込んできたってこと?」

「うん。まぁ、最近は、俺の時代でも竜太たちの頃でも、この辺の中坊はみんな大人しくしてたから、調子に乗ったんじゃないの? これで、少しは懲りたでしょ」

「だといいけど。ひろも笈川くんも藤原くんもいるんじゃ、先が思いやられるよ?」

「この上なく安全なメンバーじゃない?」

「本人たちがめちゃくちゃ強いから、敵も多いんでしょうに」

 毎度毎度とばっちりを受ける学校の身にもなれ、と呆れたように言う松実に、さすがに宏紀は苦笑を浮かべた。足も洗ったことだし、自分の本意ではないのだが、敵が多いのもまた事実であり、反論の余地がない。竜太と芳巳も、顔を見合わせて苦笑する他に術がなかった。

 やがて、そこへようやく、養護教諭を伴って戸塚教諭が戻ってきた。若い男性の養護教諭は、そこに倒れ伏している患者の傷の状態を確認すると、感心したように声を上げた。

「応急処置は出来てるね。戸塚先生。病院に搬送しましょう。車を出していただけますか? そこの君、この子の仲間だね? 一緒に来て」

 テキパキと指示を出し、それから、手当てをしたらしい、手を血まみれにした宏紀に視線をやる。そして、困ったように目を細めた。

「この傷は、君がつけたの?」

「だとしたら、手当てなんてしませんよ」

「……言い切ったね。まぁ、いいや。良く手当てできてるよ。ご苦労様」

 手を洗っておいで、そう声をかけて、養護教諭はそこから立ち上がった。人だかりの方へ目を向け、いまだ遠巻きに見守っている人々の中に教師を見つけ出し、呼びつける。反対に、戸塚教諭は再び校舎へ走りこんでいった。

「彼を運びます。先生方、手伝ってください」

 うむを言わせない強引な物言いに、教師たちは顔を見合わせ、それから渋々集まってきた。すでに老齢に達していて手伝いにならない世代と、女性の教員は、そこに集まった学生たちに、解散するように指示を出し始める。

 それでようやく、人々は動き出した。

 男性教員と仲間の男が手分けしてそっと怪我人を運び出していくと、反対に、女性教諭が近づいてきた。三年生の英語教諭である彼女は、直接はそこに集まったメンバーと面識がなく、どうも腹を立てているようすだ。

「そこの三人。話を聞きますから、職員室まで一緒にいらっしゃい。それから、君たちはサッカー部員? 部活に戻りなさい」

 高校教諭特有の、学生に対して厳しすぎるほどの口調で言いつける彼女に、竜太と芳巳はあからさまに嫌そうな表情をする。そんな反応に、女性教諭は声を荒げかけたが、一歩早く、宏紀が二人の肩を汚れていない腕で突き、彼女に従うように促した。

「ちょっと行って来るね。多分遅くなるから、まっちゃんもかっちゃんも、先に帰ってて」

 言われて顔を見合わせた松実と克等の表情には、不安がくっきりと刻まれていた。それを見なかったふりで、宏紀は歩き出した女性教諭についていく。遅れて、竜太と芳巳は駆けつけてくれたサッカー部の人々に深く頭を下げ、宏紀を追いかけて走っていった。

 彼らの姿が、動き出した学生たちの波に紛れ込んでいく。

 後に残されたサッカー部の仲間たちは、互いに顔を見合わせて、心配そうに彼らを見送った。





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