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 学校行事が理由だった欠席予定受賞者の突然の出席表明は、主催者側にとっても体裁を保つことが出来、ほっと胸を撫で下ろすありがたい申し出だったらしい。
 なんと言っても、受賞者の欠席とは、前代未聞である。そんな事態が避けられただけでも、ありがたい話だったのだろう。

 授賞式およびパーティーは、夜の19時まで続き、修学旅行を抜けてきているからという理由で、宏紀は二次会は辞退して忠等の元へと戻った。
 未成年であるという理由だけでも二次会を免れることは十分可能だったのだが、修学旅行を抜けてくるという言い訳は、大御所と呼ばれる年かさの先輩たちにも思わぬ好印象を与えたらしい。

 忠等は、戻ってきた宏紀に、お祝いを用意していた。今回の修学旅行の宿泊先に、ダブルの部屋を取ってくれたのだ。簡単な夜食付きで。

「ここなら、夜の点呼にちょっとだけ戻ってこれるだろ?」

 そんな風に嘯いて見せるのだが、高校生の修学旅行に提供されている部屋に比べると、かなり値の張る部屋なのが見て取れる。かなり奮発したはずだ。

「良いの?」

「バイト代でね、こう見えても結構貯金があるんだよ。だから、全然平気」

 それより、と忠等は宏紀を部屋の奥へと導く。
 最上階は展望レストランになっているこのホテルの、客室の中では一番上の階で、大きくカーテンを開くと、周りには周辺のビルの屋上が見下ろせた。この部屋を外からのぞく目は、何もない。遠くに、今日授賞式のあったホテルが見えたが、望遠鏡を覗いても、ここで何が行われているかなど見えるはずも無いほどに遠い。

 カーテンを開いた窓際に立たせて、忠等は宏紀を背後から抱きしめた。遮光カーテンを後ろに引き、部屋の明かりを遮断する。

「雨が上がってるんだ。星が見えるよ」

 促されて、空を見上げる。東京ほどではないとはいえ、それでも明るい町の光が、夜の暗い空をほの明るく照らしている。目を凝らしても、二等星程度が限界だ。

 だが、空を見上げた宏紀は、あっと声を上げた。

「今年は見えるんだ」

「うん。織姫と彦星だ。ここのところ毎年、雨に隠れて見えないんだけどね」

 これを、見せたかったんだ。そう言って、忠等は宏紀を抱き寄せる。

「七夕のお話、宏紀は知ってるよな?」

 聞かれて、宏紀は頷いた。
 働き者の牛飼い、彦星と、機織の娘、織姫が、恋に落ちて結婚するのだが、あまりに仲が良すぎて仕事そっちのけでいちゃいちゃするものだから、織姫の父が怒って二人を川の向こうとこっちに引き離してしまう話だ。ただ、ずっと離れ離れはかわいそうなので、年に一度、七夕の日にだけ会うことを許されるという。

「なんだか不憫な話だよね。好きになっちゃったら他のことに手がつかなくなるのも仕方がないだろうに」

「でも、愛は無くても生きていけるけど、仕事をして収入を得ないと生きていけないだろ? 労働は尊いよ。それを放棄したら、怒られると思うけどな」

「だからって、何も引き離さなくても……」

 憮然とした態度でそんな風に怒ってみせる宏紀に、忠等は思わず笑ってしまった。それは、ただの物語だ。それに対して怒っても仕方がない。

 だが、忠等は軽く笑って、すぐに表情を引き締めた。

「あのね。今日の宏紀も、彦星と同じじゃないかな?」

「え?」

 話が自分のことになって、宏紀は聞き返す。振り返る宏紀を、忠等はそのまま抱きしめた。

「結果的に、修学旅行も、授賞式も、俺とこうして会うことも、全部こなせてるだろ? つまり、うまく調整すれば、最初から諦める必要なんてなかったんだ。それなのに、宏紀は仕事よりも俺を取ろうとした。それって、仕事を放棄した彦星と同じなんじゃない? 始めた理由は何であれ、今はプロの作家なんだから。お仕事はちゃんとしなくっちゃ。違う?」

 言い諭されて、宏紀は口をつぐんだ。忠等に見下ろされて俯き、弱々しく首を振る。

「俺はね、一生宏紀の側にいるんだ。それこそ、死が二人を分かつまで。だから、仕事を優先してよ。俺の存在を理由に、一生の仕事に影響が出るような決断はしないで。そんなことをされたら、俺自身が宏紀にそんな決断をさせた俺を許せなくなっちゃう」

 忠等に熱心に説教をされて、宏紀は口答えすら出来なかった。ひたすら、忠等の言葉を聞いている。

「俺が京都に来る決心をしたのは、宏紀に、俺の一生に関わる大学選びで自分が足枷になるのはいやだ、って言われたせいだよ。だから、俺は自分の夢を追いかけて、こんなところまで来てる。宏紀は、俺を自分の足枷にしたいの? 俺だって、宏紀の足枷になんてなりたくないよ」

「……ごめん、なさい……」

 珍しく、宏紀には反論の余地が無かった。素直に謝って、頭を下げる。

 それは、確かに、忠等が受験生だった当時、宏紀が言ったことなのだ。京都大学に行きたいと思っていた忠等が、宏紀と再会したことで志望校を変えようかとまで考えたことに、自分がそこまで重荷になるのが嫌で、そう言って説得した。さらに、重荷にならないようにと、頑張ったのだ。

 同じ思いを、宏紀は恋人に味わわせるところだった。自分が経験している分、それがいかに辛いことか、身に染みてわかっているはずなのに、だ。迂闊だった。

 素直に謝る宏紀に、反省の色を見て取ったらしい。忠等はくすりと笑って見せた。

「珍しいよな。俺が宏紀に説教するなんて。いつもは反対なのに」

「え? 俺、説教してる?」

「いやぁ、説教って言うか、励ましって言うか。宏紀ってば、さすが文系。言うことが筋道立ってて、俺、反論できないもん」

 ここ数年で、俺結構助けられてるよねぇ。そんな風に感慨深げに呟いて、忠等はクックッと笑った。そして、宏紀を大事に大事に抱きしめる。

「ずっとそばにいてね。俺は、宏紀が東京で待っていてくれるから、一人でも頑張れるんだから」

「……説教くさい俺なんかで、良いの?」

「だから、良いんだって。
 あのねぇ、宏紀。お前、俺がお前の言葉で何回軌道修正してると思ってるの? 中学でグレてた時だって、受験で悩んでた時だって、こうやって一人で暮らしてる時だって。宏紀が励ましてくれるから何とかやってきてるんだよ。
 そんな宏紀が辛そうにしてたら、俺だって励ましてあげたいって思うじゃない。それだけのことなんだ。
 俺たちほど、お互いに励ましあって、助け合って生きてるカップルって、実際珍しいと思うしさ。助け合えてるって、俺は実感してるんだよ。もう、胸張って自慢できるもんね。
 だから、宏紀もそう自信を持ってて欲しい」

 ふ、と遠くでイルミネーションの明かりが消えた。どこかの店で、閉店時間になったのだろう。夜が着実に更けていく。

 宏紀は、自分を抱いてくれる恋人の腕を、両手で大事に抱きしめた。

「俺たちはまだ若いから、きっと、これからもまだまだ、大小さまざまな試練が待ち受けてると思う。就職しなきゃいけないし、一生独身でいるからにはお見合い騒動とかもありえるし、男二人で生活するにはそれなりの世間の波風も覚悟しなきゃいけないしね。
 でも、俺は、宏紀と二人なら乗り越えられると思う。宏紀だって、俺が側にいるから頑張ってくれてるんだって、そう思ってるから。自惚れだとしてもね」

「……事実だよ」

「ありがとう。嬉しいよ。だったら、もっと自信持って。
 俺と天秤にかけて俺を選んで欲しいのは、恋敵だけだよ。後は、生きていくのに必要な方を選んでいけばいいんだ。わざわざ俺を優先しなくたって、俺は宏紀から離れる気はないんだから。
 今回の件だって、先に話しておいてくれれば、俺は確実に、授賞式を優先しろって言っただろ? それは、宏紀だって深く考えるまでも無くわかってたはずだよ。
 だったら、事情を話してくれたら、夜から会う事だって出来たし、それが心細かったら俺に付き添わせても良かったんだ。違うかな?」

「そう、かも」

「そうだよ。だからさ、もっと、愛されてる自信、持ってよ。愛してるなら、授賞式くらい待ってろ、って言ってよ。俺は、宏紀にとって、他人じゃないんだから。すでに運命共同体なんだからね」

「……うん」

「反省、した?」

「した」

 それはもう、ものすごく。

 そうやって、深く頷くのに、忠等は慈しむようにその宏紀を見下ろし、そして、もう一度強く抱きしめてやった。

「さ、そろそろ点呼の時間だよ。行っておいで。待ってるから」

「うん」

 促されて、名残惜しそうにその腕の中から抜け出していく。そんな宏紀を送り出して、忠等は部屋を出て行く恋人をじっと見送った。

 どうせ、30分ほどで戻ってくるはずだ。その間に、今夜の恋人との逢瀬に妄想を膨らませるのも悪くない。

 宏紀の出て行った扉をしばらく眺めていた忠等は、ふ、と目を細めると、それから再び、空に目をやった。

 京都の明るい夜の空で、年に一回しか会うことの許されない気の毒な恋人たちが、ここからでは見ることの出来ない天の川の向こうとこちらで、お互いに熱い視線を送りあっている。
 そんな彼らに比べれば、自分たちはよっぽど幸せだと実感して、忠等は一人、満足そうに微笑むのだった。



おわり





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