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「それで? その後、その中野って奴は、諦めたのか?」

 夕方のマクドナルドには、学校帰りの高校生がうようよしている。その中の1テーブルに、3人は固まって座っていた。少し窮屈そうだ。時刻は5時半を回っている。一人はスーツ、残りの二人はカジュアルルックだ。

「そうみたいだな。以来姿を見かけなくなったってさ」

 答えるのはスーツ姿の忠等である。宏紀は同席していなかった。向かいに座った二人がそろって、へぇ〜と返す。

「それにしても、宏紀、よっぽど眠かったんだろうね。骨折っちゃうなんて、手加減できてないじゃん」

 座っていても、小柄に見える、実際小柄な童顔の青年が、そう、半ば呆れたように言った。とたんに忠等がうつむく。

「それは、半分は俺のせいだ。一言もない」

「まぁまぁ、松実。そう兄貴を責めないで。仕事と学業を両立しているうちは、仕方ないさ」

 間に割って入って、とりなそうとするのは忠等の弟、克等だ。小柄な青年はその恋人で松実という。双方の両親にも認められた仲で、こちらは忠等の実家である祝瀬家で、仲睦まじく暮らしていた。二人とも同じ大学に通う大学生で、宏紀とは同級生である。
 東大前のマクドナルドという場所から察するに、この3人は宏紀と待ち合わせをしているらしい。

「だからよぉ。あんまり腹が立ったんで、警察にチクってやったのさ。他人の好意をもてあそびやがるから悪いんだぜ。おかげで清々した」

「中野、お前、結構ひどいやつだなぁ。懲役とかなっちゃったら、彼女かわいそうじゃんか」

「そんな乱暴な女に惚れた、お前もお前だろ」

 あっはっは。笑う声が続く。ちょうど会話が途切れたところに聞こえてきた話だった。
 ちょうど忠等が背を向けた隣の席の会話で、そちらもどうやら大学生らしく、4人固まって座っている。

「彼女じゃねぇよ。男。土方って奴。かわいい顔してとんでもない奴さ。もう、裏切られたぜ、って感じ」

「何だよ。男かよ」

「何、お前。そういう趣味? やめとけよ、いいことねぇぞ」

 自分勝手なことを喋る男に、からかい口調で楽しんでいる友人たち。話を聞くところによると、それはもしかしなくても、今まで話題に上っていた宏紀に片思いをしたはた迷惑な男が、つまり、今ここでべらべらと喋っていた男だということになる。
 そして、中野の話が本当なら、宏紀はお尋ね者にさせられたかもしれないのだ。この男によって。
 思わず、ガタンと音を立てて、忠等が立ち上がった。無表情だが、弟の目から見ると、明らかに怒っている。

「兄貴っ!」

 あわてて、克等が声を上げた。それが少し大きすぎて、周囲の注目を集めてしまった。隣にいた中野も、こちらを見ている。
 そんな周囲の反応を、忠等はあっさりと無視した。すでに、中野しか見ていない。おかげで、中野とばっちり目が合った。

「てめぇ、今、何て言った」

「…あぁ? 何だ、てめぇ!?」

 上から見下ろされるのに我慢ならなかったのか、中野もまた、即座に立ち上がる。中野の仲間たちは、突然の状況変化に対応できないらしい。ぽかんとした様子で二人を見ている。
 克等も松実も、はらはらと事態を見守るしかない。忠等や宏紀と違って、こういう揉め事には慣れていないのだから無理もなかろう。

 と。

「忠等? 何してるの?」

 一触即発と呼べるまでに高まった緊張感を一瞬で萎えさせる、落ち着いた、優しげな声。それも、双方に十分聞き覚えのある。

「あれ? 何事? なんでまた中野なんかと睨み合っちゃってるの?」

 あたりに漂っていた緊迫した雰囲気を、何事もなかったかのように追い払ってしまう。凄い存在感。もの凄い影響力。周囲の視線を一身に受けて、平然としている。

「あぁ、宏紀」

 先に反応できたのは、忠等だった。中野は逆に、宏紀の登場ですっかり気迫を失っている。

「こいつが、宏紀の事をサツにチクったって言うから。頭にきちゃって」

「チクる? 何を?」

 ちょっと首を傾げた様子が小動物を連想させるらしい。宏紀に集まった刺すような視線があっという間にやわらかくなる。その宏紀に、忠等は今度は心配そうな目を向けた。

「こないだの件。骨、やっちゃったろ?」

「…あぁ、なんだ、そのこと? 大丈夫だよ。被害者かそれに連なる人が訴えない限り、傷害は立件されないから。そんなの相手にしてないで、帰ろ?」

 ということは、絶対に訴えられることはない、と確信しているということで。
 それに、それもそうだ、と忠等もあっさり納得してしまう。考えてみれば、あの程度のチンピラ連中が警察に訴えることなどまずないし、あったとしても、東大文系学部の小柄な青年に骨を叩き折られた、などというアホらしい話を、警察がまともに取り上げるわけがないのだ。冗談でももっとマシな冗談を考えろ、と笑われるのがオチであろう。少し考えればわかることだ。

 そうそう、と頷いたのは松実だった。自分の中で解決してしまえば、後は気にしない彼である。ごみを一まとめにしてトレーを重ね始める。

「早く行かないと、『とりとも』のナンコツ、売り切れちゃうよ」

「おぉ、そりゃ大変だ。帰るぜ、兄貴」

「あ? …あぁ」

 キレの悪い返事をしながら、弟に引きずられるようにして、忠等たちが外へ出て行く。騒ぎの中心人物の突然の退場に、店内は唖然と事を見送っていた。

 と、出て行ったはずの宏紀がひょっこり戻ってくる。

「中野。今度会った時に、落とし前つけてもらうから、覚悟しといてね」

 じゃ、また来週、と手を振って、今度こそ本当に帰っていく。そんな美青年を見送って、中野の仲間たちは、共通の友人に同情の眼を向けた。中野はといえば、声を上げることさえできずに、頭を抱えてうずくまってしまっていた。

 さしあたり、中野の受難の日々がこれから始まるらしいことだけは、間違いなさそうである。
 ようやく、自分が、触れてはいけない人間をそうとは知らずに小突き回していたことに気づいた、中野武人、21才であった。



おわり





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