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 部室のアルミ製引き戸を開けて、小池は突然注目の的になってしまった。騒ぎを見に行かず、ここで留守番をしていた後輩たちだ。窓辺には、寝ると言っておきながら、宏紀がこちらに背を向けて座り込んでいる。

 入ってきたのが小池と河坂であることを確認して、後輩たちは半ば宏紀から逃げるように近寄ってくる。

「土方先輩、どうしちゃったんですか? 入ってくるなり窓辺に座り込んで、ああやってため息ばっかりついてるんですけど」

 その雰囲気が声をかけづらいもので、後輩たちが戸惑ってしまっていたらしい。小池は隣に立った河坂と顔を見合わせ、次いで入り口あたりから様子をうかがうように宏紀を見つめる中野を振り返る。

「お前さぁ、怖くなったなら、諦めたら? 土方のこと。あいつ、恋人いるしさぁ。逃げ出したって誰も咎めたりしねぇよ。弱虫だって俺に笑われるのが関の山さ」

「べ、別に怖くなんかっ…!」

 せいぜい強がって見せるが、すでに目の色は逃げ出したい気持ちが如実に現れている。へっぴり腰で返事もどもっていては、恐怖心を隠しようもないのだが。

 中野の、少し大きかった声で気づいたのか、宏紀が振り返った。少し涙目なのは、今回の件を後悔しているのだろうか。へへっと力なく笑う。

「びっくりしたでしょ? やだなぁ、もう」

 すっかり脱力してしまっているのは、落ち着いた上に暴れたおかげで目が覚めたせいなのだろう。正気に戻ったとも言う。いやいや、と首を振ったのは、河坂だった。

「今日は土方に驚かされてばっかだな。強いじゃんか。そのちっこい身体のどこに隠してたんだ?」

「…え?」

「頼もしいよねぇ。優しくて強くて賢くて才能もあって。男としては理想じゃない?」

「絶対女が放っとかねぇよなぁ。何でこれでわざわざ男好きになるかねぇ」

「運命ってやつでしょ。仕方ないんじゃない?」

「もったいねぇよなぁ。そのせいで何人の女が泣いたのかねぇ。罪な男だよ」

「その分幸せにならなきゃ嘘でしょ。ねぇ? 土方?」

 ぺらぺらと勝手に盛り上がる二人を呆然と眺めて、宏紀はそこから動けないでいた。どうやらこの二人には怖がられてはいないらしいということまではわかったのだが。

「…何で? 怖くないの?」

「何だよ。怖がった方が良かったのか?」

 問い返して、けらけらと河坂が笑う。小池もにこにこと嬉しそうだ。

「知ってるもんさ。土方がS市の総番だったこと。隣町くらいなら常識って範疇だったしね、俺たちの世代はさ。さすがに俺も、ついさっきまでは同姓同名の別人だと思ってたけど」

「小池に聞いたよ。んなこと言ったって、昔の話だろ? 友達やってる分には、俺には特に影響もないだろうし、心強いくらいさ。怖がる必要ないだろ。そりゃまあ、びっくりはしたけどな」

 なぁ、といつの間にやら意気投合して、小池と河坂が顔を見合わせ笑う。いくら頭の回転には自信がある宏紀でも、これにはさすがについていけなかった。ぽかん、とした表情で二人を見つめている。

 中野はといえば、戸口に張り付いたまま、まるで奇異なものを見るようにこちらをうかがっている。突然小池に振り返られて、驚いたらしい。びくっと身体が縮こまる。それを、小池は見逃さなかった。軽くため息をつく。

「ほらな。こっちは怖がってる。ったく、情けないやつ。そんな程度で、男が好きだなんて身勝手なこと主張するなっての。言われる方はいい迷惑だよ」

「わぉ、きびし〜い」

 河坂がふざけたようにそう言って笑った。小池は小池で勝ち誇ったようにふんぞり返っている。

「そ〜んな甘っちょろいお前さんにこそ、土方等の小説を薦めたいね。恥ずかしくて自分で穴掘って埋まるんじゃない?」

「…土方等? 何だそれ」

「時代小説作家。東大受かるくらいだから、本くらい読めるだろ? 難しい本じゃないし。一冊読んでみな。で、考えが改まったら、土方に謝るんだね。失礼なことして悪かったって」

「これの『火鉢』なんかいいんじゃねぇ? 権左あたり、ちょうど中野そっくりだろ?」

「え、やだ、そんなに露骨だった?」

 これ、と手にとって見せたのは、喧嘩騒動の直前まで河坂が読んでいた本だ。サイン本にするのしないのと話をした、それである。ようやく自分のペースを取り戻せた宏紀が、その河坂に軽口を叩く。3人そろって、はっと宏紀を見やり、小池と河坂はそれからにやりと笑いあった。

「復帰したね」

「土方って案外確信犯だしな。ボケてるように見えて」

「けどまぁ、あれだ。やっぱりモデルかい、こいつ」

 怪しいとは思ってたけどさぁ、と河坂がぼやいた。今日正体を知って今日怪しいと思ったということは、もともと、似てるなぁ、くらいは思っていたのだろう。言われて、宏紀はくすくすと笑った。それが肯定の返事代わりだった。

「それ書いたの、いつだっけ。今年の春くらい? その頃ってちょうど、中野につきまとわれ始めた頃じゃない。いい加減嫌んなっちゃってさ。嫌なのだよ?中野さん」

「そ、そんなこと、今まで一度も…」

「言ったじゃない。迷惑だ、とも、恋人がいるから、とも。俺、聞いてるよ。聞いてないだけじゃないの?」

 そう反論するのは、何故か宏紀本人ではなく、ほとんどいつもそばにいる河坂で。宏紀はそれに、うんうんと頷いている。小池はそのそばで、けらけらと笑っていた。初めて振られたかのようなショックの受け方が、どうやらツボにはまったらしい。
 中野は一人、呆然と立ち尽くしていた。





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