I-6




 さり気なく手を伸ばして、忠等は宏紀の頭を引き寄せた。そこから逃れようともがく彼を押さえ付け、額にキスをした。

「愛してる」

「うそ」

 突然否定されて、驚いて忠等は宏紀を見つめた。宏紀は真面目に見つめ返してくる。忠等はあまりにも真剣に見つめられて、目を背けてしまった。

「嘘、言わないで。同情なんて、欲しくない」

「何故? どうしてそんな簡単に否定するの?」

 悲しそうに宏紀を見て、気が付く。

 宏紀が泣きそうなのを懸命に堪えているのを。びっくりした。本気でそう言っているのだ。わけがわからない。

「壊さないで」

「え?」

 宏紀の呟きに、耳を疑った。何を壊すなというのか。何も見えないのに。

「せっかく作ったのに。三年かかって、やっと出来たんだから。壁、壊さないで」

「ひろ……っ!?」

 ショックは大きかった。心に壁を作らなければいけないほど傷ついていたとは。言葉が続かなかった。言葉が見つからなかった。これだけは言わなければいけない、という言葉だけが心を埋めた。

「愛してる。宏紀。愛してるよ。ねえ、こっちにおいで。愛してるから」

 嫌、と宏紀は激しく首を振った。その宏紀にディープキスを仕掛けた。言葉は否定されてしまう。でも、心は否定できない。だから、行動で示すのだ。

 最初は嫌がっていた宏紀も、やがて大人しくなって、忠等の首筋に手をかけ、深く口付けた。

 再び宏紀を見つめて、忠等は彼を優しく抱きしめた。宏紀は泣いていた。大きな涙の粒を落として。
 それはきっと、壁の残骸だった。ぽろぽろとこぼれ落ちていく。宏紀のすべてが愛しかった。もう何年も会えなかった事が嘘のように、忠等は彼を抱きしめた。

「宏紀……」

「……愛してる」

 忠等を強く強く抱きしめて、宏紀は自分の頬をその胸に押しつけた。陽が沈んでいく。

「まだ、信じられない」

「俺だって。同姓同名の別人じゃないよね?」

「チュウトさんこそ。本当に本物だよね?」

「もちろんだよ。宏紀」

 もう離さないように、しっかり抱きしめた。二人とも、二人で。愛してる。そう思う。

 陽はすっかり沈んでしまった。




 ガコン。

 自販機の前に立って、宏紀は連れを振り返った。

「何がいい?」

「ミルクティー。あったかい方で」

 再び、ガコンと音がする。

 彼らが通っている高校は、市の北東端にあった。宏紀の家のすぐ近くである。歩きの宏紀に合わせて、忠等も自転車を押している。途中の公園で足を止めた。

「懐かしいな、ここ」

「うん、そうだね。めったに来ないな、最近」

 チュウトさんとの思い出の場所だから。そう言いかけて、宏紀は口をつぐむ。小さなアスレチックにのぼって、そこに腰掛け、足をぶらぶらさせた。

「長かったな。さっき俺、さらっと言ってのけたけどさ。もう、四年経つんだよ」

「あ、まだ四年だったんだ」

 え? 宏紀を見上げて忠等がどういう意味なのかと首を傾げる。宏紀が苦笑混じりで説明した。

「あれから、十年くらい経ってる気がしてた。俺だってまだ高校生だもん、変だよね」

「……ごめん。そうだよな。宏紀は待ってるしか出来ないよな」

 ごめん、とまた呟いて、缶の中身を喉に流し込む。ううん、と宏紀は首を振った。

「若かったね、あの頃は」

「今は?」

「角、取れちゃったみたい。いろいろ問題はあるけど、チュウトさんが側にいてくれたらなんとかなりそう」

 いろいろあったんだ、と懐かしそうに目を細めて宏紀はそう言った。いろいろねえ、と忠等が呟く。

 街灯の電球がちかちかとウインクした。





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