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 月曜日の1時限目は、教諭陣もやる気がおきないのか、学内通じて、どこでも授業が行われていない。時間割に含まれていないのだ。

 あわてた割には余裕で講義棟に着いた宏紀は、すでに定位置となった前列席にかばんを置いた。隣にはいつものメンバーがすでにそろっている。このあたりに座るメンバーは、6人いるのだが、みな10分前には着いていて、勉強前の雑談をするのが日課になっている。

 宏紀の隣には、同じサークルに所属し、史学科専攻の同学年生、宏紀が評価するところの戦国武将マニア、河坂が座っている。いつものように宏紀を見やって、軽く手を上げた。
 学科が同じなだけあって、受講科目も同じな二人は、いつも隣り合わせの席でほとんど一緒に行動している。宏紀の一番の仲良しだ。

「何だ。今日は顔色が悪いな。大丈夫か?」

「来る途中の電車の中で少し寝たんだけどな。寝不足でさ」

 つい先ほどまで寝こけていた証拠のしわがれ声で答えて、大あくびをする。ははっと河坂は笑った。その声がよほどおかしかったらしい。

「後ろで寝てたら? ノートなら取っといてやるよ」

「いい。この授業、聞いてないとわからないし。少し寝た分元気出てきたし」

 それに、今日はこれだけだから、と言って軽く微笑んで見せた。1、2年次の内に頑張っておいたおかげで、今年申請分を一つも落とさずに取れれば、卒業必要単位はあと卒業論文だけ、なのだ。
 今年も、時間割には十分な余裕があった。3時限目は毎日フリーだし、月曜日と金曜日は午前中のみで、土曜日も休みである。暇がありすぎるくらいだ。

「今日のミーティングは休むか? その分だと、夕方までもたないだろ」

「かもね。出るつもりではいるんだけどな。体と相談するよ」

 ところでさ、と話を強引に変えて、宏紀は妙に真面目な顔で河坂を見つめた。さすがに他人に見つめられることには慣れていない河坂が、狼狽の表情を見せた。

「河坂って、時代小説好きだよな?」

「…は? あぁ、まぁ、好きだけど。何だよ」

「土方等、て読むか?」

 自分のペンネームはさすがに口にするのは恥ずかしいのだが、それが自分だということを伝えていない相手なので、そこで恥ずかしがるわけにもいかず。
 話を振られた河坂の目が、少し輝いて見えるようになった。自他共に認める戦国武将マニアの河坂だが、戦国時代でなくても、時代小説には目の色を変えるのだ。その書評も、宏紀から見る限り、見事に的を射た、信頼に足るものである。そこは、二人が所属するサークル、戦国史愛好会のメンバー全員が認めるところだ。
 その彼が目の色を輝かせるということは、彼にとって悪い印象ではないらしい。

「読むぞ。最近のは欠かさず読んでるはずだ。時代考証こそ微妙に怪しいこともあるけど、そこを補って余りあるストーリー展開、アクションのすばらしさと言ったら、現役大学生とは思えないね。時代小説で恋愛物をやるって時点でも画期的なのに、その恋愛がまた山あり谷ありで、読者の期待を裏切らないし。将来性という意味でも、すごい作家だよ、土方等は」

「…河坂には珍しい、べた褒めだな」

「最近久しぶりの大ヒットだからな。俺の中で。で、それがどうした?」

 ほとんど一息で語られたべた褒め評に、しばし度肝を抜かれていた宏紀だが、どうした?と聞かれて、ようやくわれに返った。
 話を自分に振って、自爆覚悟で聞きだそうとしているのは、これからの自分の身の振り方だ。ここを失敗するわけにはいかない。

「あの人って、同性愛ネタが多いだろ? あれ、どう思う?」

「多いも何も、男女のまともな恋愛話がたまに出てくると、どうした?って心配になるよ。
 作中の人物ってみんな、何かしら影を抱えてて、同性という壁を乗り越えるだけの理由を持ってるだろ? あれがただ単に、好きになったから、とか、一目惚れ、とかだったら、そんなのは一時の気の迷いだって感じで、わざわざ同性にすることもないと思うけど、土方作品はそうじゃないからな。
 いいんじゃないか? 要は、人間対人間の求め合いなわけだよ。あの人が書きたいのは。そしたら、同性だろうが異性だろうが、どうでもいいじゃないか」

 おそらく、河坂はノーマルな恋愛感の持ち主だと、宏紀は思っている。だからこその質問だったわけで、河坂の出した答えは、宏紀が心底恐れていた予想を大きく裏切るものだった。
 べた褒めする時点で気に入られてはいたのだろうが、ここまで評価されて、ここまで作者の意図を汲んでくれているとは思っていなかったのだ。思わず真っ赤になって河坂を見つめてしまっている宏紀に気がついて、河坂が怪訝な表情を見せている。

「どうしたんだ? 顔、赤いぞ」

「いや。俺、今更ながら、ものすごいものを書いてるんだと思って。びっくりした…」

 呆然とした様子で、爆弾発言をする宏紀に、河坂はもう一度頭の中を?でいっぱいにして、それから天を仰ぎ、はっと宏紀を見つめた。おかげでバチッと目が合う。

「俺って言ったか? 言ったよな、今。そうだよ。何で今まで気がつかなかったんだ、俺。東大史学科3年の土方って、お前しかいないじゃん。何? つまり、そういうこと?」

 先ほどのべた褒め口調とまったく同じ調子でまくし立てる河坂を隣に、その声を聞きながら少しずつ我に返った宏紀は、さらに真っ赤になってうつむいた。なぁ、と促されて、うつむいたまま頷く。

「うわ。マジで? じゃあ、あれも本当か? 恋人が男だっていう」

 今までとまったく同じ調子でとんでもないことを聞いてくる河坂に、さすがに宏紀があわてた。いくらなんでも、声が大きい。

「声、でかいって。恥ずかしいだろ」

「ん? …ああ、悪い。で? マジで?」

「…まぁ、一応」

 はっきりと答えるのが気恥ずかしくて、相槌程度に肯定を返す。ところが、河坂はその返事に、不機嫌そうに表情を変えた。

「一応かよ」

 言われて、はっとする。
 河坂は、自分はノーマルで、同性ということにも少しはこだわっていて、だから複雑な理由がある、という条件付で、許してもいいと考えているわけで。その相手に、普通にごまかして見せたら、その程度のものなのか、と思われてしまいかねない。
 実際、そんな印象を受けたのだろう。これは、完全に宏紀のミスだ。
 しかし、そのおかげで、宏紀はいつもの冷静な自分を取り戻せた。ちょうど、浮かれていた感情に冷や水を差されたように。

「だって、恥ずかしいだろ、はっきり言うのは。男だよ、俺の恋人。2歳年上で、今年から社会人」

 はっきりと白状したら、少し表情が和らいだ。河坂には、本当のことを話すほうがいいのかもしれない。

「遠まわしではあったけど、結局、言いたいことってそれでさ。最近、中野の奴、しつこいくらい言い寄ってくるだろ? だから、もう本当のこと言ってはっきり断ろうと思ったんだけど、それって、俺は同性愛者だ、ってカミングアウトすることだから、自分の周りにいる人には先に言っておこうと思って。土方等の名前を出したのは、同性愛っていう話をまず振ってから、って思ったから…」

「中野かぁ。最近部室に現れて、うっとうしいんだよな。そうか。そういうことか。うん。俺は土方の味方につくよ。でも、他の奴らには言ってる時間あるかねぇ」

「河坂に味方についてもらえれば、それで十分だよ。信用してる」

 わかりづらくて悪かったね、と手を合わせると、いいって、と笑って返された。

「寝不足の原因って、仕事か?」

「今日締め切りでさ。二日徹夜してやっと上げた。これ、原稿」

 かばんの下敷きになっているやけに分厚い封筒を指差す。フロッピーディスクにワープロで打ち込んだデータは入っているのだが、それを印刷もしているようだ。

「マジで? 読ませてっ! …と、やっぱやめとく。出るまで待つ」

「うん、そうして。恋人にもまだ読ませてない最新作だから。見せてあげない」

 そう答えてにかっと笑うと、残念そうに河坂はため息をついた。





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