I-5
着替えた宏紀を待っていたのは、祝瀬兄弟の弟の方だった。
話がある、と言われて、宏紀は困った表情で更衣室を振り返った。視線の先にはまだ着替えている松実がいる。
「貝塚ぁ。土方借りるぞ」
「あ、うん。先帰ってる」
どうやら松実と克等はすぐに仲が良くなったらしい。人見知りの激しい松実が顔だけ向けて返してくる。行こうか、と言って、克等は先に立って歩きだした。
つれてこられたのは体育館の裏だった。人に聞かれたくない話なのだろうが、何もこんな典型的リンチ場所を選ばなくても、と思わなくもない。
まわりに人がいないことを確認もせず、克等は宏紀の顔を覗き込んできた。
「何でお前、マネージャーなんだ?」
「まだそれ?」
疲れたように宏紀は首を振った。先程も部長に尋ねられて、適当に誤魔化してきたところなのだ。
他の人も、口には出さないがそう思っていることはわかった。克等は、なぜか怒っているようで、腰に手を当てて目を怒らせていた。
「言ったでしょ? 身体弱いんだって。信じてないの?」
「そういう嘘は、知らない奴に言えよ。M中の土方って言えば、この辺りじゃ有名だぜ」
「どういう意味で?」
そう返して、くすくすと笑った。というより、無理遣り笑っている。そのことに、残念ながら克等は気が付かなかった。
「俺は不良たちが何やってんのかは知らないから、サッカー以外のことじゃない。ま、それを聞いて思い出したってのは本当だけど。M中のサブが番張ってるって」
「まあね。たしかにいろいろ危ないことしてたからなあ。噂になっちゃった時はマジで焦ったけど」
コンクリートの上にじかに座って、宏紀が克等を見上げる。座ったら?と自分の隣を示した。
「中学で番張ってたのって、もしかして兄貴の代わりか?」
きょとん、と宏紀は克等を見つめた。兄貴という言葉が忠等を示す言葉とは、一瞬わからなかった。納得して、宏紀は苦笑する。
「そう、思う?」
「兄貴はともかく、お前には似合わねえよ」
「そうかな? 誰かの代わり、で出来るほど楽な仕事じゃないんだけどな。あれは、自分の意志だよ」
残念でした、とふざけてみせ、宏紀は楽しそうに笑った。
克等の表情を見るかぎり、納得できていないらしい。そう確認して、自嘲の笑みを浮かべた宏紀は、はあっと息を吐きだした。
「本当にね。部活に打ち込んでいる余裕ないんだ。体が弱いってのは確かに嘘だけど。家庭の事情ってやつ」
赤く染まった空を見上げ、笑ってみる。黄昏た仕草の妙に似合う宏紀に、克等は顔をしかめた。
「でもよ、サッカー、好きなんだろ?」
「遊びでやる分にはね」
足を抱え、克等の顔を覗き込んで、笑ってみせる。どういう意味なのか、克等にはわからない。
「本気でやったら疲れるだろう? 家に帰ってぱたっと寝ちゃえるんなら良いんだけど、そういうわけにもいかないから。家事全部、俺の仕事なんだよ。自分で作らないと、夕飯抜き」
久しぶりに昨日切っちゃってさぁ、と、絆創膏を貼った指を見せる。そして、背伸びをした。気持ち良さそうに。
ふと、宏紀の方を見やった克等がびっくり顔を作る。何だろう?とそちらを見て、宏紀は急に顔を背けた。そこに忠等が立っていた。
「克等、先帰ってろ」
嫌そうに兄を見上げ、ふと肩の力を落とした克等は、ひらひらと手を振って一人で校舎の方へ戻っていった。空いた場所を兄が埋める。宏紀は俯いていた。
なあ、と呟いて、忠等はぼんやりと空を見上げた。その彼を見やって、宏紀は首を傾げてみせる。
「何?」
忠等は宏紀を見返し、そして俯いた。宏紀の態度は、昔からの知り合いにしてはあまりにもそっけない。
「怒ってる?」
「どうして?」
不思議そうに返して、宏紀はまた目をそらした。目を合わせるのを恐がっているように。
強い風がやってきて、宏紀のサラサラの髪を掻き上げていく。二人とも、気まずい雰囲気を振り払うきっかけが掴めず、時間だけが過ぎていく。
「……俺のこと、もう嫌い?」
「そんなことっ! ……そんなこと、ない、けど……」
叫ぶように言って、はっと声を押さえる。
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