I-5




 待っている間に野菜を切っておこうと包丁を取り出した宏紀に、忠等が抱きついてきた。危ない、と睨みつけると、忠等がびっくりした目で宏紀を見ているのがわかった。

 この宏紀からは想像のつかない父親を見せられて、イメージががらがらと崩れてしまったようだ。たしかに、それは宏紀もそうだった。

「バレてる、みたいだね」

「そうっぽいね」

 答えて、急に笑いがこみあげてきた。どうしたのかと心配して忠等が宏紀の顔を覗き込む。

「なんか、びっくり。あんまり会わなかったからわからなかったけど。うちの親って、すっごくお茶目かも」

 口に出したら笑いが膨らんだ。ちょっとやそっとじゃおさまらなくなる。笑いながら、自分は本当に親のことを何も知らないんだなと実感していた。

 こんな楽しい人だとは知らなかった。ただ無責任な奴だとばかり思っていた。今日の彼の言動を見るかぎりでは、信用仕切ってくれていたらしい。そう思って、すごく嬉しかった。

 笑いながら、涙が出てくる。淋しかったんだ、と気が付いて。今までわからなかった。自分のことだったのに。まったくわからなかった。

 宏紀の涙を見てびっくりしたのだろう。忠等がきつく抱きしめてくれる。

 嬉しくて、宏紀は今度はくすっと笑った。
 忠等に抱きしめられている。突然降ってきたこの奇跡は、こうして、夢じゃないんだと教えてくれるのだ。優しく包み込んでくれるのだ。とげとげになった宏紀の心をなめらかにしてくれるのだ。一瞬で。

 なんだ、俺って結構幸せ者なんじゃない、と宏紀は突然思った。

「今夜、泊まってく?」

「でも、親父さんいるんだろ? 迷惑じゃないかな?」

 そう聞かれて、また宏紀は笑った。楽しそうに。

「いいんじゃないかな。父さんの恋人も来るらしいよ。ていうか、電話の声から想像しただけだけど。ね、泊まってって。明日が心配なら、俺が責任持って起こすから」

 剥いたじゃがいもを水に浸けて、宏紀は忠等に寄り掛かる。仰向いた宏紀の額に忠等がちゅっとキスをした。
 丁度その時、玄関の開く音がした。


 貢はキッチンに顔を出すと、その手に持った紙の箱を持ち上げて見せた。この近くにある洋菓子屋の箱だった。なかなかおいしくて、宏紀もよく買いにいく店である。

 わぁいと喜んでみせると、貢もまた嬉しそうに笑った。

 白いスーパーの袋には、砂糖の他に酒が何本か入っていた。果汁入りのサワーとどうやらアメリカ産の有名なビールらしい。二人で飲むには少し多い量だが、ま、いいかと宏紀は砂糖の袋を開けた。

 もう一人の客が来たのは、肉じゃがも煮詰まってきた丁度良い頃だった。
 あとは鳥肉を焼くだけにしてテレビを見ていた宏紀が、インターホンの受話器をとる。聞こえてきたのはやはり男の声だった。

「父さん、船津さんって人」

 宏紀が最後まで言いおわらないうちに、貢は部屋を飛び出していた。
 見送って、忠等は宏紀を見、びっくりしたようにまばたきをする。宏紀は見送って、忠等の視線を受けとめ、くすっと笑った。

 ご飯の支度をしよう、と再びキッチンへ。手伝おうかと言った忠等にまだいいと答えながら、フライパンを火にかけ、たれに漬けた鳥肉の入ったパットの上のラップを外す。

 父に声をかけられてフライパンに蓋を乗せながら、何?と振り返った宏紀は、うわぁ、と呟いた。
 身体は大きくがっしりとして、それなりに年もとっているのに、なぜか第一印象は可愛い人だった。優しそうな目と童顔のせいだろうか。それとも、実際若いのかも知れない。

「船津高宏。俺と同じ警視で、未だ独身。この顔で俺と同い年ってんだから嫌んなるな。高宏、あれがうちの息子の宏紀」

 ぺこ、と頭を下げた高宏に、宏紀も頭を下げ返す。

「初めまして、土方宏紀です。父がお世話になっております」

「いえ、こちらこそ。船津です。よろしく」

「で、こちらが、宏紀の先輩のチュウトくん。祝瀬忠等くん」

 どうも、とまたお辞儀の応酬。

 火力を弱めて、宏紀は冷蔵庫を開けると、父を呼んでビールを放ってやった。グラスはリビングの食器棚にあった。グラスとティーカップだけの食器棚である。
 高宏にグラスを持たせて、貢はそこにビールを注いでいる。どうも、と両手でグラスを支えて、頭を下げる高宏。もう一つグラスを持ってきて、高宏に注ぎ終えた貢からビール缶を取り上げ、かわりにグラスを持たせる。忠等はなかなか飲ませ方を心得ているらしい。貢も調子に乗って、おっとっとっとかやっている。

 貢がビールを空けた頃、ようやく肉も焼けた。サラダと冷めかけの野菜炒めを乗せた四つの皿に、肉を一枚ずつ乗せながら、ご飯出来たよ、と呼んでやると、三人がそれぞれビールを持ってやってきた。忠等も飲みはじめたらしい。
 それぞれの椅子の前に皿を置いて、好きな所に座るようにと宏紀が言う。

「ご飯欲しい人、言ってくださいね。じゃ、いただきます」

 酒を飲んでいるときはご飯は後で出すという酒飲みの常識。つい最近中学を出たばかりの宏紀がよく知っていたものだ。





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