I-4
その日、初めて父の運転する車で家に帰った宏紀は、今日はもう仕事に戻らない、と言われて、びっくりして父を見つめた。何だよ、と父は息子を見下ろす。
「これでも父親としての自覚くらいあるぞ。こんな日くらい家にいなくてどうすんだ」
そなの?と不思議そうな返事をして父を見つめて、あわてて紅茶を注ぐ宏紀。
そうなんだ、と頷いてソファに腰を落ち着けた途端、貢の携帯電話が鳴った。電話を取って、彼はしかめっ面をする。何だ、と呟いて。
「今日はもうあがるって言ったろ」
相手は親しい仕事仲間らしい。そう分析してから、実の息子より仲がいいんだな、と苦笑してしまった。どうして父親と他人行儀な話をしているんだろう、と不思議になる。
「……殺人? また? いいよ。現場検証だろう? 俺が立ち合って何がわかるってわけでもない。それより、今日は定刻にあがれよ」
そこで言葉を切って、貢はにやっと笑った。相手は男だろうか、それとも女だろうか。何となく、父の口調から男だな、と思う。
「うちの息子に会わせるから。もう高校生だし、話したほうがいいだろう。良い機会だからな。一人で来れるよな?」
恋人かな?と宏紀は直感的に思っていた。だとしたら女だろうか。いや、自分の父親だから、案外男かもしれない。色々推測してみる。もちろん、推測の域を出ない。
ただ、男の恋人だったらいいな、と宏紀は思っていた。もしそうなら、忠等のことも恋人として紹介できる。
いつのまにか貢の電話は終わっていたらしい。ソファの上に足を抱えるように座って紅茶をすする宏紀を見ていた貢は、突然、いつもそうなのか?と尋ねた。何のことかわからなくて宏紀は首を傾げる。
「足。縮こまるようにして。何か恐いことでもあったのか?」
「そんなことないよ。癖、じゃないかな」
癖ねえ。と貢は呟いた。こちらは偉そうに足を組んでいる。普段の生活の仕方の違いだろう。
ふと時計を見ると、いつのまにか四時半を過ぎていた。お夕飯作らなきゃ、と、宏紀が立ち上がった。忙しい毎日を過ごしているらしく自炊する発想のない貢は、ただそれを見送っただけだ。
椅子に掛けてあるエプロンをひょいと取って身に着けながら、冷蔵庫を覗き込む。何が出来るか、数秒考えた。
慣れたもので、そのうちに鳥肉の照り焼きと肉じゃがを作ろうと思い立つ。鳥肉は丁度大量に冷凍保存したところだった。四枚取り出して、自然解凍にする。
貢の方のお客さんが来るようなことを言っていたから、これで三人分。もう一枚分は、もしかして忠等が来たら、の分だ。
ちゃっちゃっと動く息子を見やって、貢は、自分は駄目な親だな、と内心反省していた。
宏紀が手を米だらけにしているとき、チャイムが鳴った。
いくら何でも貢の方の客にしては早い。何かのセールスマンか、忠等だろう。ぱっと米を振り落として、インターホンの受話器を取る。
忠等だった。今頃部の練習をしているはずの時間だが、今日一日は活動禁止、などといったふざけた罰でも下ったのだろうか。
不安になりながら玄関を開けるために廊下に出た宏紀は、すでに玄関を開けている父親の後ろ姿を見つけた。忠等の驚いた顔がちらりと見える。
あがって、と大声で言って、宏紀は米研ぎを再開した。どうぞあがって、という貢の声が聞こえる。そのあとに、軽快なスリッパの音が近づいてきた。スキップでもするように貢がやってくる。
「今日は四人前ね。悪いね、やらせちまって」
「いいえ。毎日の日課ですから」
軽く言ってのけて、炊飯器をセットして、あ、と声を上げた。戻りかけた貢と居間に入ってきた忠等が宏紀に注目する。
砂糖がなかった。砂糖のない肉じゃがはさすがに食べさせる気になれない。自分で食べる分には、ま、いいか、で済むが、客に食べさせるのにそれではまずい。
どうした?と尋ねてくる貢に、砂糖が切れていて、と訴える。
買いに行ってきます、と言ってエプロンを脱ぎかけた宏紀の肩に手を置いて、貢は俺が行く、と強く頷いた。そうですか?と遠慮気味に首を傾げて宏紀は振り返る。任せろっ、と子供っぽく言って、貢はにやっと笑みを浮かべた。
「鬼のいぬ間に、ってね。お邪魔虫はちょっとお散歩です。急がなくても間に合うだろ?」
「ええ、まあ」
間に合うことは間に合うが、と思って、ま、いいか、と考えた。お願いします、と頭を下げられて、貢は困ったように肩をすくめた。
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