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勧めに従って風呂で汗を流してから部屋に戻れば、さすがに起こされたらしい4人が大人しく見守る中でちょうど食事の支度がされているところだった。
夏という季節がらなのか、涼しげなメニューが並んでいる。
京名物である鱧と夏が旬になる京野菜がたっぷり使われた会席膳だ。
メニューは、牡丹鱧、玉蜀黍豆腐、京トマトと水玉胡瓜の梅肉旨酢和えの3種盛りに、鱧寿司には京茗荷と焼いた万願寺唐辛子が付け合せ、刺身は鱧のあぶり、剣先いか、真蛸の3種盛り、鮎をあっさりと塩焼きで、鱧のしゃぶしゃぶに京豆腐、京水菜、生麩、湯葉が付け合せ、揚げ物としては鱧の難波揚げに賀茂茄子、伏見唐辛子、笹打ち九条葱を煎り出汁に付けて食べるように添えられている。
ご飯ものは白飯ではなく筍のおこわで、生麩の吸い物と、ぬか漬けと浅漬け、佃煮昆布が漬物として小皿に出されている。
あとで水羊羹が出るそうだ。
それにしても鱧尽くしな品書である。
6人分の料理は大きな座卓を2つ並べても溢れそうなほどの皿で埋まって、見るだけでも圧巻だ。
鮎の塩焼きは先に皿だけ並べておいて、後で焼きたてを持ってきてくれるそうだ。
これは旅館を経営する親からの差し入れだと提供された地酒を手に乾杯すると、温かいうちにみんなの箸がそれぞれの膳の上を巡っていく。
そうしながら、会話は遠くからの客人に焦点があてられた。
初対面から2週間。
その間に宏紀はようやく夏休みに入ったばかりの恋人を放って近隣の観光に飛び回っていた。
京都市内は有名どころをくまなく巡っていて、寺用と神社用に分けた御朱印帳はそれぞれ2冊目だし、パンフレットをスクラップしたファイルも3冊目になっている。
「壬生とか先斗町あたりは楽しかったですよ。二条城も、あれはすごいですねぇ。あそこで歴史が変わったのだと思うと感慨深いものがあります」
「もしかして幕末好きか?」
「江戸時代あたりが好みですよ」
あたり、というのは、大体そのあたり、という意味ではなく、江戸時代を中心とする前後含めて、という意味だ。
ゆえに、戦国史や幕末史も守備範囲で、つまりは武家社会の作り出す国家社会の変遷にロマンを感じるタイプである。
それは、宏紀がその指先から作り出す小説の舞台が当てはまることでも実は広く知られている。
戦国時代の雑兵とお転婆姫の恋を描いたシリーズ作やら、新撰組の隊士と祇園で下働きする禿の恋を描いた中編作は人気作だ。
どちらも恋愛話はもちろんだが冒険活劇としても描かれており、史実も交えながらの時代ファンタジーに作られている。
「観光するのは良いんですが、問題は海外からの団体客ですね。どこに行っても団体さんが道を塞いでしまっていて行動が不便なんです。来るなとも言えないし、困っちゃいますよね」
ただでさえ修学旅行や慰安旅行などで団体客の多い土地柄だ。
そのうえ、国家事業として海外からの観光客を多く受け入れるセールスを展開しており、そうすると目的地はやはり日本らしい観光名所である京都や奈良は外せない。
自然、観光客で街の中があふれかえる仕組みになっている。
「修学旅行では二条城とか行かなかったのか?」
「中学は修学旅行不参加だったし、高校は京都奈良大阪で全てフリープランだったんですよね。京都の日は忠等とイチャついてました」
「授賞式メインで俺とデートすらしてないだろ、あの日は」
「あ、そうだったね」
結局京都で観光などする暇はなかったという結論だ。
授賞式?とここで他のメンバーが首を傾げるわけだが。
一方、恋人自慢をしていると聞いていた宏紀も同じように首を傾げた。
現役高校生で時代小説作家など、自慢のネタにもってこいの肩書ではある。
そして、話してなかったか、と忠等まで首を傾げていた。
「こいつの本職……本職で良いのか? 副職?」
「職業的には本職だよ。大学生は職業じゃないから」
「ふむ、だな。こいつの本職なんだが、え〜、土方等って知ってるか?」
直接職業を明かせばいいものを、なぜかワンクッション置く忠等に友人たちは顔を見合わせた。
残念ながら全員理系で、読書には馴染みのないメンバーが揃っていたらしい。全員そろって首を振る。
「司馬賞最有力候補の現役大学生作家って、今文壇でそこそこ有名な時代小説作家だ。一昨年の作品で去年の新人賞を獲っててな。それが、こいつだ」
ついでに、直木賞やら芥川賞やら錚々たる名前が候補として挙がっている。
いやいやちょっとまって、と宏紀本人は苦笑いで本気にしていない様子ではあるが。
日本全国津々浦々100人に当たれば何人かは正解を出してくるくらいには有名な名前で、初めて耳にした4人はそんな有名人を知らない自分にこそ驚いた様子だった。
読書が趣味でなければ出てこないのが当たり前なので気にすることもない。
「そんな有名な先生様の取材旅行なんだ?」
「様付けなくて良いですよ。本人はそんな自覚ないですから。まだまだ駆け出しのひよっこなんです」
実際、本人やその筋の人間から見ればまだ一人前にも満たない駆け出しで、ただ派手な賞を得ている分周りの反応が過大評価だという見方もある。
そこまで知っているから忠等も訂正やフォローをせず笑って見守るだけだ。
「それに、取材旅行といっても全面的に趣味なんですよ? 神社とかお寺とかは仕事にあまり使わないネタですし。中高生が日本史で習うような史実は題材に使わないことにしてるんです。時代背景としてちょっと出てくるくらいですね」
たとえば、戦国期を舞台背景にすればそれなりの風俗が登場し、幕末を舞台背景にするならそれ相応に風俗描写も変わるという、その程度の影響しかない。
それに、現代人が読んで読みやすいように、話し言葉などもあえて当時には存在しない言葉を使ったりしているのだ。
わかっていて堂々とやっているからこそ、嫌味こそあっても批判はない。
その新人作家の授賞式が何故かわざわざ京都で開かれていて、狙っていたかのごとく修学旅行とブッキングしたくだりは、話題にちょうど良かった。
酒の肴として事実を大袈裟に着色して話す二人に、聞いている友人たちも面白そうに聞いていた。
「去年の七夕ゆぅたらアレや。園部が嫁さん見つけてなぁ。祝瀬おらんで良かったなぁて話になったあの合コンのあった日やわ」
指摘された園部も、そうだったね、とのほほんとした様子で頷いている。
彼女ではなく嫁と言われているのは、既に彼女が受胎していて入籍済みだからだ。
大学に在籍していながらベンチャー企業を立ち上げて夫婦の生活費も二人の学費も捻出できているものだから学生のデキ婚でありながら全く批判を受けていない意外としっかり者の新米お父さんである。
人生色々だなぁ、と宏紀もはじめて聞く話に感心しきりだ。
嫁の話で思い出したようで、その園部が突然自分の荷物をごそごそといじりだす。
取り出したのは1枚のチラシだ。
「京野菜使った料理に興味があるらしいって話をしたら嫁から預かったんだよ。嫁の通ってる学校で夏休みの短期講座があるらしくてな」
それをくれるようで渡されたのは、家政科大学で学外向けに開講されている夏休みの特別講座のチラシだった。
話題の嫁がそこの学生なのだ。
講座はいくつか用意されているが、その中に『京都の郷土料理を学ぶ』のお料理教室があった。
全3回で材料費込みで2万円というのは高いのか安いのか良く分からないが、材料の選び方や出汁の取り方から始まって皿選びに配膳のルールなどトータルで学べる内容であるらしい。
興味を持ったようで、宏紀は食事の手を休めてチラシを熟読中だ。
「あまり大々的に宣伝してないおかげでまだ参加枠が若干名残っているらしい。申し込むなら嫁に取ってもらうよ」
ちょうどまだ大学にいる時間だし、と続く。
手間にならないのならお願いしたいところだが。
「良いんですか?」
「嫁の方から言い出してるんだしな、遠慮はいらないよ。興味あった?」
「えぇ、是非」
それなら、と奥方に連絡を取るために携帯電話を手に取り宏紀に手招きする。
宏紀もまた、いそいそとそちらへ向かった。
残された忠等がその背中を見送っていれば、その視線の熱にあてられた他のメンバーからからかいの餌食になるのも当然の成り行きで。
「料理上手で稼ぎも良いとか、ホンマにできた嫁さんやなぁ、おい」
「ガキの頃からアイツには敵わないと諦めてるさ。それでも、そんなヤツを繋ぎ止めておける自分に満足してるし、精進は怠らねぇ」
「……なしてそう、自然に惚気るんや」
「からかい甲斐のないヤツめ」
呆れ半分微笑ましさ半分というところか、甘味過多のせいにして、料理の端に添えられていた煎り塩をなめなめ日本酒を煽る面々だった。
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