初日の出



(2006年正月限定SS)



 それは、十二月三十日の夜のことだった。

 そもそも、小説家という仕事は土日休日など関係の無い仕事であって、それは盆暮れ正月も変わらないのだが。
 そうはいっても、四人で生活していると大掃除やら正月の準備やらと言った普段には無い仕事も発生するわけで。
 おせち料理の材料などを大量に買い込んできて、明日は一日料理と大掃除、という予定を控えた年末一日前。
 テレビの年末特番を見ながら簡単に作ったごった煮鍋を突いていた時だった。

「宏紀。初日の出を見に行こうか」

 ちなみに、親がその場にいるときに出かけるお誘いをするのは、多分これが初めてだ。
 そもそも、忠等はけっこうインドア派で、車の免許を取ったのもつい最近のことである。それも、身分証が無いと困るから、という、本来の目的とは違った理由だった。

 その人が、突然誘ったのが、初日の出だった。

 ちょっと、唖然とした感じも否めない。
 何の前フリも無い、突然のことだったし、そもそも明日の予定はおせち料理を作ることだというのに、正月一日に家を空けるとは。

「……なんで?」

「今年は晴れるから」

 もう、自信満々で断言されて、しかし、普段から家にいて仕事場もリビングな宏紀は、おもいっきり首を傾げた。
 もちろん、相手が気象予報士であることは納得した上で。

「天気予報では、下手すると雪が降るかも、って言ってたような」

「公表予報ではね、全体的な予報を出すから、局所予報は当たらないんだよ」

 しかし、だ。晴れるから日の出を見に行こう、は理由になるのだろうか?

「どこに行くの?」

「千葉。鴨川がね。多分ベストスポットだよ」

 涼しい表情で鍋をつつきながら、普通に誘われてしまったことが、さらに戸惑いを増幅するのだが。

 へぇ、良いね、と賛同したのは、高宏だった。

「最近元日の朝は曇ってばかりだったし。現役気象予報士のオリジナル予報だしねぇ。良いと思うよ。行っておいで」

 にこにこと満面の笑みで言われて、宏紀は今度は高宏に目を向けた。

「良いんですか?」

「たまには年寄りのことなんか気にしないで、二人でゆっくりしておいでよ」

 ねぇ、と同意を求めたのは自分の恋人で。
 話を振られて、貢ははっとしたように顔を上げ、それから軽く頷いた。

「良いんじゃないか? 行ってくれば。俺たちも二人っきりで残してって」

「あれ? 実はお邪魔虫でした?」

「まぁ、お互い様だから、なんとも」

 父親としては、ここは否定するところではないか?という恋人の苦言はあっさり無視だ。
 このあたり、貢の性格は宏紀よりも忠等に近い。涼しい顔で鍋のうまみが凝縮されたスープをすすっている。

「お許しもでたし、決定な。ついでに水族館行ってこようぜ。シャチのショー、見たい」

「忠等が水族館好きなんて、つい最近まで知らなかった」

「行く機会が無かったもんなぁ。そういう宏紀だって好きだろ? イルカショーとか」

「っていうか、実物をまだ見たことが無い」

 ぼそりと重大発言をする宏紀に、そこにいた三人が揃って宏紀を見つめた。
 それこそ、ガバッと身を乗り出すように。

「今、何て言った!?」

「イルカのショー、見たこと無いのっ?」

 そんなに驚くことだろうか?と首を捻る宏紀に、高校生になるまで構ってやれなかった父親と、今年十三年目の付き合いになる恋人が、揃って肩を落とす。
 二人とも、責任を感じてしまったらしい。

 水族館といえば、動物園と並んで、子供を連れて行く場所、デートに選ぶ場所、の上位にランクインするスポットである。
 そして、水族館ではイルカのショーをしていないところの方が珍しい、集客イベントだ。
 つまり、水族館に行ったこと自体が、宏紀にはないのだろう。
 そういえば、双方共に、宏紀を連れて行った記憶が無い。

「忠等君」

「はい」

「父からの指令だ。宏紀を水族館に連れて行くこと」

「承知いたしました」

 そんな父と恋人のやり取りを見ていて、宏紀は一人、不思議そうに首を傾げていた。




 年が明けて一月一日。
 除夜の鐘を聞きながら家族で新年の挨拶を交わし、二人は父カップルに追い出されるように家を出た。

 土方家の愛車は、宏紀が大学に入ったのとほぼ同時期に新車で買って五年目の、ハイブリッドカーだ。
 宏紀が免許を取って初めて乗った車も、忠等が免許を取って初めて乗った車も、これである。それなりに愛着がある。

 水族館付近では車を停める場所が無く、南にしばらく走ったところで、海に面した道の駅を見つけた。

 さすがに元旦の早朝は初日の出狙いが多く、空が白みだす前から駐車場は車でいっぱいだった。
 2、3しか見当たらない空きスペースに車を停め、エンジンを切る。
 エアコンが切れてしまうのは確かに寒いが、エンジンをフル回転させていない間はモーターで動いている車だ。
 バッテリーの蓄電がなくなってしまえば、家に帰れない。

 代わりに家から持ってきた毛布に、二人身を寄せ合って包まった。
 予想よりも早く着いてしまって、日の出まで後一時間ほどの猶予がある。
 徹夜で水族館も厳しいので、少しだけ眠っておこう、というつもりだった。

 互いの体温で温まって、幸せを感じる。

 少し空が明るくなってきたらしく、空の雲が見えてきた。
 星も見えるし雲も見える。海と空の境目も、周りに建つ家々も、ちゃんと見える。不思議な明るさだ。

「曇ってるよ?」

 太陽が昇ってくるであろうと思われる海の、水平線上には、平行して雲の線が伸びていた。

「大丈夫。日が昇る時間には雲が切れるから」

「……なんでわかるのさ?」

「雲の流れから予測してね」

 いや、その説明ではさっぱりわからないのだが。
 理解できない、と眉をひそめれば、忠等はただ面白そうに笑って、宏紀の眉間の皺をこすった。

「専門家の予言を信じなさいな」

 予言、といわれれば、それを否定する材料が無い以上、反論も出来ない。
 納得できないまま、宏紀は改めて毛布を鼻下まで引き寄せ、そばのぬくもりに擦り寄った。

 エアコンの熱で暖められていた車内は、外気温には逆らえずに、どんどんと冷えていく。
 フロントガラスが白く染まっていく。

 そうして外が見えなくなると、コートを着込んで毛布を二枚ほど身体に巻きつけて身を寄せ合っている二人が、世界に二人だけの存在のような錯覚まで覚えた。
 一人だったら、寂しくて凍えてしまったかもしれない。
 けれど、全身をそっくり預けてしまえるほどに信頼した人がそばにいると、それだけで何も恐くないのだ。
 本当に世界に二人だけになっても、きっと生きていける。二人でなら、したたかに生きていくだろう。

 なんだかちょっぴり幸せを実感して、宏紀は微笑みながら目を閉じていた。
 抱きしめられて、さらに身体を摺り寄せる。

「宏紀。そろそろ外に行こうか」

「もうそんな時間?」

 声をかけられて時計を見れば、ここに着いてから三十分が経過していた。
 曇ったガラスの向こうも、だいぶ明るく感じられる。

 思い切って扉を開ければ、外気温でかなり冷えたと思われる車内よりもずっと冷たい風が入り込んできた。

「さむっ」

「毛布被って出るか。温さに慣れちゃってるから、いきなりこんな冷たいと風邪を引く」

 今まで被っていた二枚の毛布のうち片方を広げて宏紀を包み、抱きしめる。
 毛布を引き寄せる宏紀の手に渡して、自分も同じように毛布を被った。

 車に鍵をかけて、海岸の方へ歩いていく。

 海岸と駐車場を区切る柵の周りには、この駐車場に車を停めた人々がそれぞれに群がって、新しい日の出の時刻を待ちわびていた。
 海の向こうの上空は、ここに着いたときはまだ雲の筋が残っていたはずだが、今は雲の切れ間に入っていた。

「すごい。局所予報大当たりだね」

「あと五分もすると、日が昇ってくるよ」

 自慢げに胸を張り、傍らの宏紀を抱き寄せる。
 男同士肩を寄せ合っているこの状況は、本来であれば衆目を集めるはずなのだが、今はみな、これから始まるイベントに夢中で、他人のことには目が行かないらしい。
 これだけの人だかりに埋もれていながら、二人の世界はそのままだ。

 やがて、水平線上に、オレンジ色の光の線が走った。
 小さな点に見えたそれは、どんどんと幅を広げ、やがて一本の線となって空と海を分ける線となった。
 そして、中央が縦に盛り上がっていく。

 それは、真っ赤な光の球。
 ゆっくりと、しかし着実に、この薄暗かった世界に光をもたらす。
 未来を優しく力強く照らし出す、第一歩だ。

 水平線上に頭を覗かせた太陽は、まるで陽炎のようにゆらゆらと輪郭をぼかしながら、海を離れていく。
 上下が潰れた、楕円形のようにも見える太陽が、刻一刻と空の階段を昇っていった。
 昇るにつれて、楕円に見えたそれは真円に近づいていく。

「……良いものを見せてもらった。ありがとう」

 呆然とした様子で、どんどん色を淡くしていく太陽を見つめていた宏紀の、おそらくは太陽そのものに対する、呟き。
 本当は毎朝繰り返されている一大スペクタクルに、声も出ないほど感動していた。
 ようやく出た言葉は、礼の言葉だった。

 気付けば、周りにあれだけ群がっていた人々は、それぞれに車に戻ってしまっていた。

「さ、そろそろ車に戻ろう。水族館の会場時間まで、ちょっと眠っておかないと」

 肩を引き寄せられて、ようやく太陽から目を離し、愛しい恋人を見上げる。
 宏紀の目には、涙が浮かんでいた。

「え? どうした?」

「……うぅん。なんでもない。なんか、感動しちゃって」

 一年の幕開けに、愛しい人と、今年最初の日の出を見る。
 ただ、二人並んで日の出を見ただけなのに、宏紀の胸を締め付けるほどの感動に、出会った。

「今年も、良い年になるね」

「あぁ。今年も、良い年にしよう」

 こんなにすばらしい初日の出を拝んだのだから、きっと今年は良い年だ。
 新年早々、幸先が良い。
 そして、自分たちもまた、自然の成り行きだけに任せず、良い年になるように努力していこう。
 二人の、輝かしい未来のために。

「ねぇ、忠等」

「ん?」

「今年も、宜しくお願いします」

「こちらこそ。よろしく」

 ふわりと微笑んだ宏紀の額にキスを落とし、自分の毛布の中に宏紀を包みいれる。
 そうやって抱きしめれば、宏紀は嬉しそうにくすくすと笑った。

「水族館の開園は何時?」

「九時だったかな?」

「じゃあ、一時間半は眠れるね」

 楽しみだなぁ、と浮かれながら先にたって車に戻っていく宏紀を追いかけ、ふと、忠等は足を止めると、空に昇っていく太陽を振り返った。

「今年も良い年になりますように」

 今年初めてのお天道様に、願い事は一つだけ。

 早くおいで、と呼ぶ宏紀の声に促されて、忠等は太陽から目を背けると、小走りに恋人の下へと駆け寄っていった。

 ゆっくりと頂点を目指して昇っていく太陽は、余すところ無くこの地上を照らし出す。
 今年一年の皆の幸せを、その熱い腕に抱きしめて。





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