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 しばらく談笑していると、襖の向こうが俄かに騒がしくなった。怒号がないところを見ると敵襲ではなさそうだが、それにしてはやけにざわざわと落ち着きがない。

 何だろう、と背後を振り返った宏紀の耳に、隣の部屋に控える人々の中では一番上役のはずである藤岡の声が、すぐ近くで聞こえた。

「お待ちください、坊ちゃん!」

「うるせぇ、藤岡! 邪魔すんじゃねぇ!!」

 藤岡の声を遮るように、若い男の乱暴な声が続き、突然、スパンと良い音を立てて襖が左右に開かれた。

 そこに仁王立ちするのは、宏紀とほぼ同年代の若い男だった。茶髪に染めたツンツン頭で、チンピラ風に着崩したスーツ姿。柄シャツと太いチェーンネックレスが人物をやけに安っぽく見せているのだが、本人はかっこいいつもりで身に着けているのだろう。身にまとう雰囲気も、二十代半ばほどの年齢にしてはヤンチャすぎるようだ。

 その若い男は、足元から見上げる宏紀と貢を一瞥し、目の前に鎮座する深山を見据えた。

「親父! まさか、この小っちぇえ野郎を息子だとか認める気じゃねぇだろうな!」

「隆昌、口を慎め。お客人の御前だぞ。お前には家で留守番しているように言いつけたはずだが、何故ここにいる」

 小さいといえば、目の前にいるこの深山もあまり変わらず、きっと遺伝子にそう刻まれているのだろうが、この隆昌と呼ばれた息子も大して身長は高くない。

 それを棚に上げて、言いたい放題の息子に、深山が一喝した。さすが、一家を預かる親分だ。その迫力は堂に入っている。

 貢は、大人な対応の深山に感心していたはずだが、この息子で一気に評価が下がったらしい。眉間に皺が寄っている。

 一方、宏紀は反対に少し安心したようで、一人でくすくすと笑っているのだが。

「んだ、てめぇ。何笑ってやがる」

「どうでも良いけど、座れば?」

 はい、どうぞ、と自分が座っていた座布団を譲る宏紀に、深山の方が驚いていた。

「良いのかね?」

「弟に当たるんですよね? まさか二十五歳を越えてるようには見えないし。ヤンチャで可愛いじゃないですか」

 ニコニコと笑いながら、結構辛辣な台詞だ。格好から随分若く見えるが、二十五歳のラインでは微妙な年頃だろう。それも、成人年齢の若者に対してヤンチャというのは、あまりにもからかい過ぎだ。

 案の定、宏紀の台詞に隆昌はこめかみを引きつらせた。

「ヤンチャだぁ? てめぇ、何様のつもりだ!」

「親分さんの息子だという自覚があるなら、もう少し威厳を身につけた方が良いと思うけど? そんなんだから、いつまでも坊ちゃん呼ばわりなんだろう」

 それは、襖の向こうから聞こえた藤岡の声から推測したものだ。成人男性に「坊ちゃん」呼ばわりは、本来は失礼な物言いのはずなのだ。この年頃なら、「若」か、名前を「さん」付けで呼ぶのが普通だ。跡継ぎ候補のライバルが増えることを警戒しての抗議であればなおさら、部下に当たる藤岡に舐められている現状をまず、打開するべきだろう。

 宏紀の指摘に、深山は恥ずかしそうにする一方、言われた隆昌はその意味を理解できていないようすだった。ただ、からかわれたのは態度で感じたようで、いきり立って掴みかかってきた。

 貢はその隆昌の行動に、息子を庇うどころか、その場が宏紀にとって邪魔だと察知して、身を避けた。

 そもそも、宏紀の喧嘩術は合気道に近い。相手の勢いを利用して、人間の体の鍛えにくい部分に攻撃を加えて、相手をなぎ倒す。足技の多い宏紀にとって、座っている状況ならばなおさらだ。

 襟元に延びてきた手首を引っ掴むと、もう片方の手でその肘をペッと払い落とし、ついでに正座していた足を崩して膝裏を蹴り飛ばした。体勢を崩したところで掴んだ手を引いて転ばせる。さらに、横に倒れたその身体に馬乗りになって、掴んでいた手は背中へ、もう片方の手で隆昌の頬を畳に押し付けた。

 抵抗する隙などまるでなかった。まるで人形を操るような自然な作業だ。

 これまで手元で育ててきた極道一筋の息子が、今日初めて会ったばかりの一般人育ちの青年に手玉に取られる光景は、深山には実に驚くべきものだったのだろう。この青年もまた実の息子だという意識があるためか、隆昌がこうも簡単に倒されたことに、怒りが湧くよりも驚嘆が先に立つ。

 一方、宏紀をこれまで守ってきた立場の貢にとっては、貢自身が武道家であることもあり、宏紀の力で適う相手だと瞬時に判断していたので、特に何とも思わないいつも通りの状況だ。

「お前は本当に、そういうのを呼び込む体質だな」

「しょうがないでしょ、この人の息子らしいし。血だよ、血」

 呆れたような貢の言葉に、宏紀は余裕で笑みを浮かべて、普段どおりに返してくる。今までならば、まったく根拠のなかった「実の父親の影響」だが、それは間違っていなかったようだと、貢は深く頷くところだ。

 その親子の会話が、深山の興味をそそった。

「今までも、喧嘩を売られることがあったということかね?」

「中坊の頃はそれなりに荒れてましたし。それより、良いんですか? 息子さん、伸しちゃいましたけど」

「む? あぁ、そうだった。すまないね、手数をかけた」

 藤岡、と人の名を呼ぶ。まだ開け放たれたままだった襖の向こうで困ったように立ち尽くしていた藤岡が、その指示の意味を持つ呼びかけにこたえ、はっきりと応えて、宏紀の手元から隆昌を引き取った。藤岡自身は武闘派の極道らしい立派な身体つきの男だ。暴れる隆昌を軽々と担ぎ上げ、深山の指示を待つまでもなく、部屋を出て行く。

 顛末の一部始終を呆然と眺めていた配下の組員たちが、ふと気付いて大慌てで襖を閉めてくれた。

「騒がせて悪かった。今後こういうことのないように、きつく言いつけておく」

「兄さん、ですよね?」

「うむ。今年二十七になる。不肖の息子だ。子供の頃に放っておいたのが、今になって響いているようだ。面目ない」

 遠ざかっていく隆昌の喚き声に、深山はこめかみに手を当てて、力なく首を振る。他の子供がどうかはわからないが、少なくとも隆昌は深山にとって頭痛の種であるらしい。情けない表情の深山に対し、心中お察しします、とでも言うように、宏紀は軽く頭を下げた。





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