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 男四人で稼いでいる土方家の財政状況は実に豊かだ。そうでなくとも、警視まで上り詰めた二人の退職金やら、宏紀の過去二回の文学賞の恩恵やらで、臨時の収入額は甚大だった。現在の貯金だけでも年長組二人くらいなら遊んで暮らせると思われる。

 だが、勤労意欲旺盛な彼らは、一時の楽しみは日々の労働があってこそ、を信条としているため、日々忙しく働いており、仕事が忙しく楽しみに使える余暇がほとんどない、という本末転倒な状況にある。ついでだからゆっくり休め、とは、高宏の弁だ。

 指定された時刻の五分前に料亭に着き、応対に出てきた女将に名を名乗れば、話は通っていたらしく、そのまま奥の座敷へ案内された。

 その一角は、実に物々しい雰囲気だった。

 二間続きのその部屋は、まず入り口を屈強な男が左右に立って塞いでおり、女将に連れられてきていても信用されないのか、そこで待たされた。中から出てきた藤岡が、宏紀の顔を確認して二人を中へ促す。そこには、十人を下らない男たちがずらりと正座して並んでいた。

 藤岡は、宏紀と貢を伴ってさらに奥の襖前に座り、中に声を掛ける。

「おやっさん。お客人のご到着です」

 返事を待たずに襖を開ければ、その部屋の中央に置かれた大きな座卓の向こうに、なにやら文庫本を片手に読書をしていたらしい、初老の男が見えた。

 宏紀と貢を中へ促し、自分は礼をして襖の向こうに消えるのを、宏紀も貢も立ったまま見送ることもなく背後に感じていた。

 というより、その初老の男から目が離せなかった。

 若頭補佐だと自己紹介した藤岡が「おやっさん」と呼ぶところから察するに、この組の組長なのだろう。その肩書きに見合わない穏やかな表情を浮かべるその顔立ちは、誰が見ても血のつながりを疑わないと断言できるほどに、宏紀にそっくりだった。

 はっきりした目鼻立ちに、その年齢にしては肌理細やかな肌、薄い唇はまるで仏のごとき微笑を常に浮かべる形で、相手を見つめる視線は特に厳しくもないのに相手を屈服させる力を持っている。体格もどちらかと言えば小柄で、一見して強そうにはとても見えない。

 しかしそれでも、肩書きならではの迫力は確かにあった。

 しばらく三者で見詰め合ってしまった後、その初老の男性はニヤリと笑って見せた。

「いや、驚いたね。まぁ、ともかく、どうぞ座って」

 多少年齢にあわせて嗄れた声色だが、高めで落ち着いたその声も、宏紀によく似ていた。電話越しで話されればどちらかわからない程度に。

 促されて用意されていた二つの座布団に腰を落ち着けるのを、彼はしっかり見届けて、二人に向かって頭を下げた。

「ご足労いただいて申し訳ない。私の名は、深山純一。埼玉で深山組を興している者だ。先日、偶然雅子に会って君の存在を聞かされてね。是非会ってみたいと組の者にわがままを言ってみたのだが、どうやら迷惑を掛けてしまったようで、申し訳ない。名前を聞いても良いかね?」

 自己紹介とこの面会の意図をさらっと簡単に告げて、深山はそう問いかけてきた。招待状に名が記されていなかったのも、今まで誰も宏紀の名を呼ばなかったのも、つまり、知らなかったせいだったらしい。

 隠すほどの名でもないので、宏紀は素直に頷いた。

「土方宏紀です。こちらは、私の父です」

 実の父を名乗る相手に対して、自分が父親と慕う相手を父と紹介することで、会うだけは会ったが父と思うつもりはない、という意思表示をしたつもりだった。それは、深山も理解していたのだろう。あっさり頷いたくらいだ。

「ふむ。雅子の元旦那だね。警察官だと聞いていたが、今日は非番か?」

「早期退官で辞めましたよ。聞いていたと言うことは、不倫の自覚はあったわけですか」

 見る限り、貢より年上らしい深山に、相手が暴力団の親玉であることもあり、貢はわざわざ敬語を使って問いかける。それでも、疑問を隠さなかったのは、宏紀の出生には貢も心に引っかかるところがあったからに他ならないのだろう。

 その質問には、深山も神妙な表情になった。

「当時、彼女の遊び相手はたくさんいてね。そのうちの一人に過ぎない。私もすでに妻子がいたし、所属していた組ですでに肩書きを持っている立場だった。私にとっても遊び相手でしかなかったのさ」

「でも、母は貴方の子供を産んだんでしょう?」

「誰の子供かわからなかった、というのが真相だろうね。ずいぶん派手に遊んでいたようだし。ただ、子供は欲しがっていたよ。誰の子でも良い、などと、冗談半分に言っていたものだ」

「……一人じゃなかったのか」

 二十五年目の真実に、貢はショックを隠せなかった。

 そもそも、家に帰れないほど忙しく妻に構ってやれなかったのは、仕事のせいだ。それがわかっていて警察官と結婚した妻が、一方的に貢を責められるわけはないと、宏紀は思っているのだが、貢はそれでも、家庭を顧みなかった自分が悪いと自覚していたらしい。

 過去の事ながらがっくりと肩を落とした貢に、深山も申し訳なさそうに頭を下げた。

「雅子がどう言うかはわからないが、少なくとも複数の男と関係を持った点は、旦那だけの責任ではないだろう。そう気を落とすことはない。私も責任の一端を負っている。今更だが、申し訳なかった」

「いや、それがなくとも、とっくに夫婦仲は冷めていたから、アンタの責任ではない。出産に相手の男が姿を見せなかった理由がわかっただけで十分だ」

 どうやら、父親のわからない息子の境遇にわだかまりを感じていたらしい。貢のそんな物言いに、宏紀は苦笑するしかなかったが。

 貢が黙ってしまったので、宏紀が改めて問いかける。

「だったら、貴方の子だと証明する術はないでしょう?」

「これだけ似ていれば十分だろう。雅子も、成長した君を見て、父親が私だと確信したようだ。先日会った時に、彼女は開口一番『やっぱり貴方の子供だったわね』と言ったからな」

 その意味深な言葉に、深山は興味を引かれたらしい。

 接待を受けた先のナイトクラブで、再婚相手と一緒に客として来ていた彼女とばったり会い、再婚相手には元彼だと正直に紹介されての、会話だった。そこで、二十五年前に出産していたこと、その顔立ちから父親は深山であろうということ、そして、今は戸籍上の父親と暮らしていることを聞かされた。

「共に暮らしている父親が実の父でないことは知っていて、家を出るつもりがないらしい、というところまでは、雅子から聞いていた。きっと幸せに暮らしているのだろうと思っていたが、こうして心配してついてきてくれる父親に育てられていれば、さもありなん、だな」

 いや、良かった、と本気で安心しているのがわかって、貢は肩の力を抜いた。宏紀を奪われる心配が、ずいぶん減ったからだ。幸せに暮らしている子を引き離そうとするようには見えない。

 一方、安心した様子の相手に、宏紀は首を傾げるのだが。

「だったら、別にこうして会うこともなかったでしょうに」

「うむ、まぁ、そこは、私のわがままだな。話をしてみたかった。それに、一応私も組を背負う人間だし、ずいぶん歳をとった」

「後継者問題に巻き込まれる可能性があるってことですか」

「私は、息子や娘婿に跡を継がせる気はないが、私の死後、周りがどう動くかは未知数だ。血が繋がっていながら、組の外部に位置している君の立場は、野心を持つ人間には好都合だろう。誰にも知られていないからこそ、どうとでも言える」

「実は影で可愛がられていた秘蔵っ子だ、とか?」

「そんなところだ。頭の回転が速いな、君は」

 普通なら相槌で済ますところを、簡単に要約して問い返すところに、感心したらしい。肯定ついでに褒めてみせて、それから、腕を組んだ。

「それに、度胸もある。たとえ巻き込まれかけても、自ら切り抜けられそうだね」

「断って、良いんですね?」

「あぁ、もちろんだ。私が一代で興した組だが、ここに子供や孫を縛り付けるつもりは毛頭ない。はっきり断ってくれて良いとも」

 それは、どうやら気も強いらしい息子に対して、言質を与えたとも言えるものだ。はっきりと、身振り付きで断言されて、宏紀もようやく安心して笑って返した。

 それから、ところで、と深山が話題を変える。

「先ほどから気になっていたのだが、その指輪は、結婚しているのかね?」

「戸籍上は、独身ですよ」

 宏紀のプライベートを知らない相手には、かならずこうして答える。自分自身は他の選択肢など思いつかないほどに自然な相手なのだが、世間一般に同性愛は禁忌だ。承知して見守ってくれている相手なら惚気ることもあるが、普段はその話題は避けて通る。

 意味深な回答は、何か複雑な事情でもあるのだろう、と人に思わせる効果がある。だからこそ、わざわざそれを選択するのだ。

 他人ならば、それ以上は踏み込んで来られない位置で抑止を掛けた説明だったのだが、どうやらはっきり息子と認識した相手のその台詞は、彼の興味をそそるものだったらしい。

 誤魔化すということは、つまり、それなりの相手がいることには違いない。その相手との間に子供ができれば、彼にとっても孫に当たる。興味を持つなというほうが難しいのだろう。

 そうは言っても、男同士で子供を作ることは、クローンでもない限り、今の技術では不可能だが。

 興味津々の様子で身を乗り出す深山に、宏紀は困って鼻の頭を掻きつつ苦笑を返す。

「どう頑張っても、子供はできない相手ですよ」

「病気か何かか?」

「いえ、性別の問題です」

 嘘をつけば簡単にバレる、と思えば、本当のことを言うしかなく。深山は少し驚いた表情をみせ、しかし、なぜか普通に受け入れたらしい。

「父親の影響かな」

 どうやら、ダブル不倫のもう一方の相手が同性であったことは知られていたらしい。

「どうでしょう。あの頃は、あまり父の影響はありませんでしたし。元々の性癖だと思いますが」

「だったら、うちの叔父だな。その手の性癖は遺伝するらしい。深山の血に因子があるんだろう。人前に指輪をして出られる相手なら、幸せにやっているのだろう。叔父はずいぶん苦労していたからな。良かった」

 深山の世代ではまだまだ同性愛は受け容れられ難いはずだ。さらにその一世代前では、軍国主義教育体制真っ只中だろうから、そのさらに上を行く。そんな状況下で同性愛者は、きっと苦労したに違いない。

 なるほど、簡単に受け容れたのも道理だろう。叔父の苦労を良く知っていたなら、息子が苦労するだろうことも容易に想像がつくはずだ。

 良かった良かった、と何度も頷く深山に、何故この会見を望んだのか真意がわからずにいた宏紀だったが、ふと、自分の置かれた状況に気付いた。

父親のわからない子供を置いて家を出た母から状況を聞かされて、実の父親として、宏紀の現状を心配したのだろう。血のつながらない父親と暮らして不自由していないだろうかと、父親の自覚を持って息子を思えば、そんな心配も自然と湧いてくるものだ。まして、別の女性との間に子を持つ親であるのならばなおさら。

「こうしてお会いしても、お父上が君を心から愛してくれているのは良くわかる。きっと私の心配は無用だろう。だが、こうして面識もできたのだ。何か困ったことがあれば、いつでも頼ってきてくれ。できる限りのサポートはさせてもらうよ」

 改めてそう請け負われて、きっと頼る機会はないだろうが、宏紀もそれを素直に頷いて受け入れた。知らなかったとはいえ、外に作った子供だ。そういう感情を想像できてしまえば、悪いことにはならないだろうと察するのも容易いものだ。





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