ルーツ 1




 それは、ある寒い冬の日のことだった。

 大学を卒業して三年が経ち、玄関先に新築以来はじめて掛けられた表札も、他に比べれば新しいながらも周囲に馴染み、家族全員が公私共に充実した日々を送っていた。

 探偵社をはじめた年長組は、普段から外に出て仕事に飛び回り、結局遠方に単身赴任する機会もないままに管理職コースを歩み始めた忠等の苗字変更に関する噂話も下火になっていた。宏紀は三つ目の文学賞にノミネートされており、多少のドキドキ感に満たされていたが、日常生活には支障なく、次々と新作を発表し続けている。

 それはちょうど、一人で留守番だった宏紀も、原稿を送付するために郵便局へ出かけており、帰りに駅前のスーパーで買い物も済ませて、散歩がてら、のんびりと家に戻ってきたところだった。

 自宅前の、狭いとはいえ車二台が楽にすれ違える程度の道幅がある、住宅街らしい道を、人が埋め尽くしていた。野次馬などでないことは、一目瞭然。全員がスーツにシャツにネクタイという姿ながら、醸し出す雰囲気は、紛れもなく人に倦厭される職業のそれだ。

 彼らに目をつけられる理由が思いつかず、宏紀はその一団を遠くから見やって、首をかしげた。

 何しろ宏紀自身はこのあたりを仕切る組の首脳陣と深い付き合いのある知り合いであるし、父親二人は元警察官だが管轄は殺人などの重犯罪担当だ。忠等に至っては、まったく何の関わりもない一般市民である。最近は宏紀も随分と大人しいし、誰かがそういったトラブルにあったという話も聞いていない。

 ここで、警察に頼る、とか、知り合いの同業者に頼る、といった手段ではなく、自ら飛び込んでみようとするところが、宏紀の危なっかしいところだ。同じ穴の狢であるはずの林野組組長にまで心配されていたりするのだが、本当に危険なことには鼻が利くらしく、宏紀自身は今まで怖いと感じたことがなかった。

 他人から見れば、勇気というよりは無謀に近いのだが、宏紀は大して意気込む様子もなく、止めていた足を前に踏み出した。

 道の向こうからやってくる宏紀にまず気づいたのは、宏紀よりは年下かもしれない若いチンピラ風の男だった。怯える風でもなく堂々とこちらへやってくる宏紀に、自分からも近づき、普通にしていれば愛嬌もあるのだろうに、目を眇めて凄んで見せた。

「見てわかんねぇのかよ。ここぁ今、通行禁止だ。他ぁ回んな、兄ちゃん」

 通せんぼをするように、細身だが上背のある体を宏紀の前に立たせる。尻で履いたスラックスのポケットに両手を突っ込み、片足に体重をかけて宏紀を見下ろすその姿は、あまりにもそれらしくて、宏紀の関心をまったく引かない。

 従って、宏紀は彼を一瞥することもなく、するりと横に抜けた。人の間を気配も殺してすり抜けて、勝手に明けられた鉄製の小さな門を抜け、玄関前に進んでいく。

 これだけの人だかりが、誰一人引き止められなかったことに、玄関前にいた四十代ほどの男はさすがに驚いて目を見張った。

 レジ袋を片手に提げ、ジーンズのポケットから家の鍵を取り出す宏紀の様子で、この家の住人だということは伝わったのだろう。これだけいる人の中でもっとも貫禄がある、その四十代だと思われる男が、宏紀に話しかけた。

「君は、この家の息子さんだね?」

「それを、貴方に答える義務が、俺にあるんですか?」

 玄関扉についた二つの鍵を開けながら、宏紀は人を食った問い返し方をする。それはけして、彼らを恐れていないからという理由ではなく、彼らが上から目線を強調するからに他ならない。人に妙に偉そうにされるのが我慢ならないのは、中学生の頃から変わらないから、おそらくは宏紀自身の性格故だろう。

 問い返されて、男はなぜか息を呑んだものだが。

「失礼。私は、深山組で若頭補佐をしている、藤岡という者だ。土方雅子という女性が二十五年前に産んだ子供を捜しているのだが、君で間違いないだろうか?」

 最初の居丈高な態度に比べれば、かなりの譲歩だろう。その態度で、難癖をつけにきたわけではなさそうだ、と判断した宏紀は、素直に頷くことにした。

 その後の男の台詞は、土方家の平和な日常に爆弾を落とすようなものだったが。

「実の父親が君に会いたがっている。同道してもらえると助かるのだが」

「お断りします。私には、育ての親一人で十分です」

「興味はないと?」

「私の方にはまったく。会いたいとおっしゃるなら、後日改めてお誘いをいただけますか。アポイントを取ってくだされば、会うくらいはしますよ」

 常識で考えれば、同居している父親が血の繋がらない相手というのはきわめて稀だろう。だからこそ、藤岡と名乗った男は、自分の言葉がこの青年の意識を自分に向けるだろうと予測して、わざと事情説明を飛ばして問いかけたのだろう。

 しかし、宏紀にとってそれは既知の事実だ。興味のない姿勢を改めることなく言い放ち、それじゃ、と頭を下げて、自宅へ入り込み玄関を閉める。

 逃げた宏紀にしばらく話しかけていた彼らだったが、やがて諦めたのか、ぞろぞろと引き上げていった。




 ポストに、切手のない封書が届いていたのは、翌日だった。

 表書きは何もなく、裏書の差出人と思われる位置に、藤岡の名乗った組の名と共に、同名の姓を持つ人物の名が記されていた。深山純一。組の名を冠しているからには立場も推して知るべしで、肩書きを見事に裏切った名前だ。

 それは、宏紀に対する招待状だった。昨日の訪問を詫び、面会時間と場所を告げ、都合が悪いところがあったら連絡が欲しい、と、無料登録できるインターネット上のメールアドレスと携帯電話の番号が記されていた。

 日時は明後日金曜日の十四時。場所は市内では格式の高い料亭を指定されていた。日の高い日中に、こちらの地元を指定するあたり、一般人相手であることを考慮した、ぱっと思いつくだけの不都合要因を排除した指定だった。平日を指定したのは、おそらく、平日の昼間に宏紀がいたことから、在宅勤務か夜間勤務かを想像したのだろう。

 どうやらこちらに危害を与えるつもりはないらしい、というのは、家族全員一致の見解だった。

 ここで、家族三人の反応は見事に分かれた。

 普段から見守る立場を崩さない高宏は、宏紀の好きなようにすると良い、といつも通りの反応。幼少期に対する罪の意識と、血が繋がらないからこそかえって意固地になっている気持ちから、貢は大反対。反対に、実の父親の存在に心の中ではいつまでも引っかかっているらしいと見ていた忠等は、会ってスッキリしてくると良い、と勧める立場だった。

 その結果、家族会議の末に出た結論は、貢同伴で招待を受ける、というものだった。

 事前に先方に知らせたその決定に対し、相手も否やを言うことはなかった。だからこそ、先方の意図が掴めない不気味さがそこにはあるのだ。跡継ぎに求められているならば、貢の存在を受け入れるのは不都合だろうし、ただ会いたいというならまったく今更だ。

 さて、投げられた賽はどこへ転がっていくのか。家族のそこはかとない心配をよそに、宏紀は少しワクワクしていた。





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