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 そもそも、町の同年代の暴れん坊を取りまとめていた宏紀だ。考え方は刑事よりやくざの方がよくわかるし、だいぶ近い。あの林野組長から跡継ぎにスカウトされたほどなのだ。まさに折り紙つき。父親が刑事という方が違和感がある。

「元気だったか? 大滝さん」

「うん。相変わらず飄々としてた。なんか、下っ端たちの教育係に就任したみたいで、ビシバシやってるよ。林野さんとこは、だいぶのんびりしてるから、ちょうどいいみたい」

「……宏紀よ。つかぬ事を聞くがな。まさかとは思うが、林野以外にも出入りしてたのか?」

「ん〜? うん。林野さんのお使いとか、たまにしてたし。お隣の戸田組は、組長一人でもってた恐怖政治だったからね、長く続かないだろうと思ってたら、案の定去年解散したでしょ? M市の方の横峰組は、組長より幹部の二人が有能さんで、最近大きくなってきてるし。林野さんとこの上の銅膳界の本家も一回行った事ある。凄いかっこいい日本家屋でねぇ、素直に感動してたら会長さんに気に入られちゃった」

 次々に出てくる大手の名前に、二人とも額に手を当てて宙を見上げてしまった。家を逃げ出して一人息子をほっぽらかしていたことは確かに事実だ。だが、その間に一人息子がそこまで裏の人脈を広げているなどと、誰が予想するだろう。

「その辺の伝手で、一回空手習ってみたんだけどね、ほら、俺って我流の喧嘩術持ってるじゃない? 癖ついちゃってて直すの大変だ、って師範に困られちゃったんだよ。埼玉の方の、土橋組さんの組長さんなんだけど、すごい強いの。やっぱり、本格的に武道してる人には敵わないよねぇ」

 結局、高校受験のために辞めちゃったんだけどねぇ、と懐かしそうに振り返る。随分遠方の名前まで出てきて、もう、開いた口が塞がらなくなった年長組だ。

 懐かしいついでに、いろいろと記憶が甦ってきたのか、写真を広げながら、宏紀が一人で楽しんでいるのに、ようやく我に返った高宏が、大きなため息をついた。

「よくそれで足洗えたな」

「え? だって、もともとそのつもりだったもん。馬鹿やるのは中学生の間まで。ちゃんと大学まで出て、忠等のこと、胸張って迎えようと思ってたし」

「忠等君だって、大学に行ってるとは限らなかっただろうに。彼は、宏紀の先代だったんだろう?」

「そう。でも、中学変わって真面目さんになったのは知ってたし。引越し先が市内だってのは知ってたし、俺、市内全中学牛耳ってたからね。あの人の話聞かなきゃ、やめたんだ、ってのはわかるよ」

 つまり、そんな風に消息をたどれるくらいなのだから、中学生時代にも会おうと思えば会えたはずなのだ。きっと、宏紀には、意地でも会わない強い意志があったのだろう。それで自殺未遂などしていれば世話はないが。

 高宏と宏紀の会話をぼんやりと聞きながら、貢は広げられた写真の一枚を手に取った。そこに写っているのは、怪我の一つもなく、周りに怪我人の山を築き上げていく宏紀の雄姿。少し長めの髪を風に躍らせて、鋭い視線を周囲に流し、昼間のシャッター速度の速い写真でもぶれて写る位の豪速打を放つ。文句なく、かっこいい姿だ。

 周りに倒れているのが、制服だから気付かなかったが、おそらくは高校生で、貢は驚嘆というよりも唖然とした表情で見入っていた。まったく、この息子はとんでもない常識破りだ。

「しかし、写真多いな」

「うん。その頃は、富樫さんがまだ生きてたからね。たぶん、カメラマンしてたのは、富樫さんだと思う」

「生きてた、とは?」

「アフガンで流れ弾に当たって亡くなったよ。戦場写真家を志してて、俺が中学卒業した頃に渡米して。いつアフガンに渡ったのか知らないけど、高校生の頃に、ニュースで訃報聞いた」

 それを聞いて頭に浮かんだのは、数年前の報道番組の映像だ。最近名前が伝わりだした写真家の訃報を、アナウンサーが神妙な表情で伝えていた。それが、林野組にいたという事実は、きっとその頃林野組にかかわっていた人物しか知らないだろう。

「もともと写真家だったんだけど、しばらくはまったく芽が出なくてね。生活苦で林野さんのとこの闇金に流れてきたんだよ。それでね、富樫さんの写真を見て、林野さんが自分の組で引き取ったわけ。当座の資金が貯まるまで自分のところで下働きしろって。最初に富樫さんの写真が売れたのって、確か、俺が大暴れの後の一服したところを撮った写真じゃないかな。ヤバイ写真だから、大衆に知られるものではなかったけど」

 あの写真、ないかなぁ、と言いながら、写真を掻き分けていく。

 不遇の人生を送る人間など珍しくもないが、そこに手を差し伸べたのが、社会のゴミとも言われるような立場の人間だという事実に、話を聞いていた二人はなんともいえない表情を見せた。そうして救いの手を出すのは、本来であれば、日の当たる世界で堂々と生きている人間であるべきではないだろうか。

 なるほど、そんな人間に気に入られて可愛がられて、無意識に教育された宏紀なら、今の慈愛に満ちた青年の姿もありうるはずだ。そんな教育者ほど、表立って活躍して欲しいものだが、世の中は本当にうまくいかないものだ。

 やがて、あったあった、と嬉しそうに声を上げて宏紀が取り上げたその写真は、地べたに這い蹲る玄人らしい男たちの真ん中で、一人の男の背中に腰を下ろし、左手首の傷を晒したまま、缶コーヒーを飲んでいる宏紀の姿を映したものだった。半眼に落とした瞼と、厳しい光を失わない瞳、くしゃくしゃになった髪。コーヒー缶を持っていない方の手は、まだ緊張したまま拳に握られている。実に荒々しい現場だというのに、その姿はまるで苦悶と憤怒を併せ持った表情を浮かべた武神のようでもあった。一点、左手首の傷跡が、彼の苦しかったに違いない過去を垣間見せている。

 まるで絵画のような写真で、二人はくいいるようにそれを見つめた。まるで、映画の一幕のような絵になる構図。被写体の彼も、だいぶ整った顔立ちで、凄惨さを和らげるのに一役買っている。

 これが、まだ中学生だった宏紀の姿だ。今よりも年上にすら見える姿だけれど。

 こんなに気を張らなければいけなかった宏紀の過去に、親の立場である二人は打ちのめされてしまった。こんな顔をさせてしまった責任が、ないわけではないのだ。本人は、まったく気にせずに懐いてくれているとしても。

「宏紀」

「ん〜?」

 懐かしそうに眼を細めてその写真を見ている息子に、貢が改めて姿勢を正して話しかける。生返事を返しながら紅茶を啜っていた宏紀は、そんな貢の表情にびっくりして、目を見開いた。

「ど、どうしたの? お父さん」

「すまなかった」

 事ある毎に謝ってきた貢だが、久しぶりに心底反省した。できることなら、妻と正式に離婚したあの時点まで戻ってやり直したいと、切実に思う。

 それ以前だって、宏紀を放置していたのは変わらないが、自分が引き取ったあの時点からは、唯一責任を問われる立場なのだ。それを、丸々四年も放棄した罪が、この写真には凝縮されている。

 なんども頭を下げられている宏紀も、もう、その謝罪の姿に、戸惑うこともなくなった。ただ、困ったように笑って返すだけだ。気にしていないのは、事実だから。

「今、俺を守ってくれているのは、お父さんだよ。随分歳相応になったでしょ? ちょっと子供返りしちゃってるけど。お父さんは、ちゃんとお父さんで居てくれるんだから。それ以上の罪滅ぼしはないと思わない?」

「だが、養育義務を放棄していた事実は変わらないんだ。本当に、申し訳なかった」

「もう、良いんだってば」

 ふふっと笑って返して、宏紀は父から視線をはずし、写真に下ろす。ばら撒かれた写真は、林野と大滝が掃除そっちのけで選んでくれたもので、どれもこれも、宏紀が良い表情で写っている。彼らの前で涙を見せた覚えは確かにないけれど、無表情だった時の方が多かったはずだ。それなのに、写真に写る宏紀は、戦場にいる時は実に厳しい表情で男のカッコ良さがよく撮れているし、寛いでいる写真はどれもこれも笑っている。とても、リラックスした表情で。

「ねぇ、お父さん。写真の中の俺、笑ってない?」

「え?」

 言われて、貢も、貢の罪の片棒を担いでいた高宏も、それを見下ろす。男前な表情を見せる宏紀と、実に歳相応の笑顔を見せる宏紀が、そこにばら撒かれている。家の中にはなかった、中学生時代の宏紀を写し取った写真の数々。宏紀を可愛がってくれていた人が選んだだけあって、どの写真にも年少者を可愛がる愛情が伺える。

「そんな写真を撮ってもらえるくらいに、幸せだったんだよ、俺。確かに、一人で放っておかれて、寂しかったんだと思う。でも、一人だったわけじゃないんだ。ちっちゃいころは、お向かいさんに可愛がってもらったし、中学生の頃は、林野さんのとこで息子のように愛情をもらってた。高校生になってからは、お父さんたちに大事にしてもらってる。俺には、十分なんだよ。すごく、幸せなんだ。だから、謝っちゃ駄目だよ。過去は過去。取り戻せないんだから。これからも、ずっとここにいてくれるんでしょ?」

 ね、と確かめるように念を押して笑う宏紀に、二人は強く頷いた。

 幼少期に受け取る愛情の少なかった宏紀は、少なかったからこそそれが愛情だと認識する力はとても強くて、だからこそ、人を愛する力も人一倍に成長した。その強請り方もとても上手だ。

 たくさんの愛情はいらないから、小さくて平凡でも、ちょっとずつ愛して欲しい。それが、宏紀の望むことだ。だからこそ、周りの人間は無償の愛情を注いでしまうのだろう。望まれないからこそ、それ以上の愛で満たしてやりたくなるのだろう。

 今現在宏紀を守り慈しんでいる立場の二人だけではなく、離れていてもずっと宏紀を支え続けている忠等も、町のはぐれ者を牛耳ってきたヤクザの親分も、今でも時々夕飯のおすそ分けに来てくれるお向かいさんも。

 世間一般から見れば、随分少ないささやかな愛だが、そのぶん濃厚だ。そうして、無償の愛情を受けてきた宏紀だから、まるで菩薩のような慈愛を他者に向けることができるのだろう。それが、どんなに貴重なものかを、本能から理解しているから。

 今の宏紀を形作っている過去を、自らの罪で否定する権利など、貢にも高宏にもあるはずがなく。幸せそうに笑ってくれる宏紀に、これからの人生をかけて守っていくことで償う決意を、二人は改めて確認するのだった。



おわり





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