写真 1




 大学からの帰り道。駅前商店街を歩いていた宏紀を呼び止める声があった。

 振り返ってみれば、それはだいぶ古い顔馴染みの相手だった。

 一方は、警視庁でマル暴担当の刑事として活躍しているはずの武闘派刑事。一方は、この界隈を牛耳る暴力団、林野組の組長だ。

 あまりにありえない組み合わせで、宏紀はきょとんと目を丸くした。

「お久しぶりです」

「やぁ、大きくなったなぁ。そろそろ大学生か?」

 最後に会ったのは中学生の頃だった大滝刑事に、昔と同じように頭をぐりぐり撫でられて、宏紀は肩をすくめる。

 最後に会ったその頃は、宏紀は林野組長に可愛がられるこのあたりの中学生を仕切っていた総番で、将来大学に進学するようには見えなかったはずなのだが。さすがにこのラフスタイルでは社会人にも見えず、かといってはぐれ者にも見えなかったようだ。

 一方の林野組長は、このあたりに事務所を持っていることもあって、宏紀を見かけていたのだろう。くっくっと大滝刑事の反応を笑っている。

「よかったら事務所に寄っていかないか? 片付けを手伝ってくれると嬉しいのだが」

「おいおい、林野。堅気の青年を引き込むなよ」

「片付けくらい、良いだろうよ。メシならおごるぞ」

 周辺地域を牛耳る強面の暴力団組長、というよりは、お隣のおじさんといった印象の発言をする林野組長に、大滝刑事は脱力したような態度をあからさまに見せる。二人の年長者の掛け合いに、宏紀は楽しそうに笑っていたが、それから、こっくりと頷いた。

「お手伝いしますよ、時間もありますし。でも、何の片付けなんです?」

「あぁ。事務所を広いところに移転することになったんでな。引越しの準備だ。ついでに古い資料なんかも処分しようと思っているんだよ」

 宏紀の了解を得て歩き出しながらの説明に、しばらく任侠の世界から離れていたおかげでまったく情報を仕入れていなかった宏紀は、へぇ、と相槌を返す。みれば、林野にしても大滝にしても、駅前のスーパーの袋にビニール紐やらマジックペンやらといった雑貨を詰め込んで持っていて、どうやら買出しの帰りらしい。

 それにしても、その立場であれば、普通は手下のものに買出しを任せるものではないだろうかと思うのだけれど。

「大滝さんは、お手伝いですか?」

「はは。いや、林野の方が手伝いだろう。俺はこれが仕事だ。刑事を辞めてね、こいつのところに厄介になってる」

「へぇ。やり手の刑事さんじゃなかったでしたっけ?」

「叩き上げのノンキャリだしな。こっちよりサツの方がよっぽどあくどい。見切りをつけたよ」

 飄々とした態度は以前のままだが、立場はまったく正反対になっている大滝に、宏紀は改めて驚いて、それから、苦笑を返した。

「父には内緒にしておきます」

「あぁ、本庁の一課だったか。こりゃ、話す相手を間違えたな」

 双方とも、所詮はここだけの話のつもりだ。横のつながりがない組織上で課が違えば、内緒にしていなくとも大滝に不都合はない。くっくっと林野は楽しそうに笑っていた。

 連れられて着いたのは、出入りしていた当時もだいぶ老朽化していた雑居ビルだった。このあたりの再開発対象物件で、引越しの理由に納得する宏紀である。

 事務所内では、若い組員がそれぞれで引っ越し荷物の整理をしていて、実に雑然としていた。組長が帰ってきたのに気づいた一人が立ち上がって挨拶すると、広くもない事務所内から野太い男の声が唱和した。

「統率取れてるんですね。前はもうちょっとのんびりだった気がします」

「大滝のせいだろ」

「組長が舐められてる組じゃ、そのうちつぶされるぞ。ある程度の規律は必要だ」

 元刑事らしいというか、らしくないというか。組長本人はのんびりしたもので、配下の教育はやる気のある人に任せる方針らしい。

「俺は、どこを片付けたらいいですか?」

「あぁ。こっちだ。がらくただらけだから、ほとんど捨てることになると思うが、君がここに出入りしていたころのものだからな、懐かしいモノがあれば持って行っていいぞ」

 じゃあ、任せた。そう言って、林野は自分の仕事に戻っていく。見送って、宏紀は腕まくりをすると、戸棚の取っ手に手をかけた。




 中学卒業と同時に市内の総番から足を洗ったのは、今から四年ほど前のことだ。

 思い返すと、とにかく喧嘩三昧の日々だった……と思い返せれば、総番らしいのだろう。が、宏紀が思い出すのは、仲間たちと神社に集まってわいわいと騒いだ思い出くらいだ。

 実際、市内を総なめにして幅を利かせていたのは、中学の一年生の頃が最盛期だった。その後は、土方怖しと中学生は誰も近寄らず、大人たちは反対に、中学生相手にしか手を出さない宏紀に距離を置いたため、実に平和だった。二年生の夏に足の骨を折った喧嘩も、隣町のチンピラ相手に大立ち回りを演じたものだったが、前後半年は少なくとも静かだった。

 おかげで、やんちゃな中坊どもを手懐けた、見込みのある奴、と見なされて、林野のメガネに適い、こうして足を洗った今でも可愛がられている。

 したがって、その頃の宏紀の姿を納めた写真が、林野の事務所にたくさん眠っていた。中学時代の同級生たちと談笑する姿や、隣中学の仲の悪い中学生と睨み合う姿、喧嘩中の姿など、一体どこで撮ったのだろう?と首を傾げるほどの量だった。

 その一部を、片付けたお礼にと持たされて、宏紀は予定より五時間も遅く、帰宅した。

 すでに家でくつろいでいた二人の父親に心配されて、宏紀は正直に今までいた場所を告げた。

「林野組長のところで、事務所の片付けを手伝ってたの。懐かしいものをいっぱいもらってきたよ」

「林野ってぇと、この辺の締めか?」

 まだ宏紀が産まれたばかりの頃に、ちょうどこのあたりを管轄していた警察署の刑事課に所属していた二人が、さらに心配そうに眉を寄せて問い返す。それに対し、宏紀の反応は実にあっさりと頷くだけだ。

「中学生の頃に随分と可愛がっていただいたんだよ。なんか、今の事務所が手狭になったから、引越しをすることになったんだって。商店街の真ん中でばったり会って、手伝って行かないか?って」

「で、のこのこと行ったのか、お前は。あのなぁ。そりゃあ、お前がそこらのチンピラに負けるとは思わないが、相手は玄人だぞ。少しは自分の身を守ろうと思ってくれ」

「うーん? どちらかと言えば、組長のそばが一番安全だけど?この辺では」

 可愛がって、と言えば、人はその意味を二つ思い浮かべる。文字通り気に入って贔屓にするか、執拗に痛めつけるか。

 宏紀の言うそれは、完全に前者だ。それが、本人の様子から伝わるのだろう。だが、相手がヤクザ稼業に属する者であることもまた事実で、警察官としては警戒対象でしかない。まったく噛み合わない反応に、傍で見守っていた高宏も、呆れた顔をした。

「それより、結構可愛く撮れてるよ。見たくないの? 俺の中学生時代の写真」

 結局、中学以前の宏紀の交友関係に口出しする権利のない貢は、これ以上は小言を聞くつもりはありません、と宣言するように話を変えた息子に、がっくりと肩を落とすしかなかった。

 ひらひら、と見せびらかすようにして、写真を居間のガラステーブルに置き、宏紀は台所へ出て行く。どうやら飲み物を取りにいったらしく、冷えた緑茶を入れたコップを持って戻ってきた。

「それで? メシは?」

「あ、いただいてきちゃった。元々、お手伝いの見返りにお約束してたから、遠慮なく。っても、引越しで皆さんお忙しくて、仕事しながらお寿司とかピザとかを摘んだだけだけど」

 そうは言っても、寿司はカウンターの寿司屋の出前で、ピザも下っ端を一人近所のピッツェリアに走らせて持ち帰りしてきた本格派だ。美味しかった、と宏紀の表情もご満悦だった。

「そうそう。大滝さんにも会ったよ。刑事さん辞めちゃったんだね、あの人」

 もらってきた写真を一枚ずつテーブルの上に広げながら、宏紀は口止めされていたことをあっさりと漏らした。

 同じ警察官と言っても、東京都だけでも随分な人数が所属している。同じ所轄にいるならともかく、名前だけで伝わることは稀だ。したがって、大滝?と貢は首をかしげ、高宏を見やった。高宏もまた、同じように貢を見る。

「俺が知ってる人か?」

「多分、知ってると思うけど? あの土方の息子か、って昔驚かれたし。一緒に仕事してたんじゃないの?」

「……? まさか、あの、大滝さんか?」

「うん。たぶん、その」

 目的の人物を知っていた時期がまったく重ならない二人が、指示語だけで対象を表現しあう。それだけ、大滝のキャラクターが特徴的だったせいだ。あの、その、で伝わるだけの知名度があると二人が認識していたに他ならない。

 その大滝の存在は、高宏も知っていたようで、懐かしそうに眼を細めた。

「内偵じゃないのか?」

「大滝さんにこのあたりで内偵は無理でしょ。刑事さんだって顔売れすぎてる。組長もよく知ってる相手だもん」

 それに、あの信頼度だ。前身を知っていて林野が引き取ったというのは、疑いようがない。

「そうかぁ。大滝さんが、なぁ」

「良い刑事はどんどん辞めていくな。確かにあの人は出世に向いてないけど、刑事魂は人一倍だと思ってたのに」

 広げた写真を手に取りながら、年長組が二人とも感慨深げで、宏紀はそんな二人を眺めてにこにこと笑っている。





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