男はコブシで会話をするか?




 高校二年生の夏。長期休暇の間だけ帰ってくる恋人と暮らして、毎日好きなサッカーに明け暮れて、シアワセな日々を送っていた、そんな盆休みのこと。

 毎年恒例の法事のため、宏紀は父の運転する車に揺られていた。

 昨年、半強制で参加させられた夏の法事は、これからも毎年恒例となるらしい。高宏は実家に戻ったし、一人残される忠等も、たまには、といって実家に帰っていった。だから、土方家の大きな一軒家は今、無人だ。

「どうした? 機嫌が悪いな」

 盆でも正月でも事件が起きれば駆けつけなければならない立場の父親は、そんなそぶりはまったくみせず、のん気に車のハンドルを握っていた。その助手席に座って、宏紀は何故か機嫌が悪い。

 山梨行きの予定は昨年から決まっていた決定行事であるから、今更不機嫌になる理由にはならず、忠等との関係も至って良好で障害ではない。部活はこの盆休み中は必然的に休みだから心配対象から外れる。となると、宏紀のこの反応の理由が思い当たらない。

 それに対して、宏紀は深いため息をつき、片手で弄んでいた携帯電話をパカリと開いた。

「法事が済んだら一仕事しなくちゃいけないみたいでね」

「……あぁ?」

 何の話だ?というように、ちらりと宏紀を見る貢に、宏紀は軽く肩をすくめた。

「雅彦からメールが来たんだ。去年のリベンジを狙ってるから気をつけて、ってさ」

「あぁ、和彦か。……って、いつの間にメル友になったんだ、お前ら」

「こないだ遊びに来てたじゃない。あの時に、メルアド交換したんだよ」

 それは、宏紀にとっては従兄弟に当たる兄弟の話だった。

 宏紀と同い年の和彦は、宏紀が血族の一員ではないことにこだわっているらしく、それ以上に宏紀とは馬があわないらしい。初対面から実に仲が良くない。

 代わりに、その弟の雅彦とは、乱暴者の兄をやっつけてくれる頼もしい従兄弟に懐いてくれることもあって、だいぶ仲が良い。親戚と言うよりはお友だち感覚の付き合いだ。

 宏紀がこないだと言うその時は、叔父が貢に用事があって来たそのついでに遊びに来てくれた、その時を差しているらしい。和彦は空手の道場があって来なかったので、実に平和だった。

「それが、憂鬱なのか? 喧嘩好きだろう?お前」

「お父さん、それは誤解だよ。ただ単に、やれば強いっていうだけで、好きなわけじゃないから」

「暴力行為中のお前はだいぶ楽しそうだがな」

「……それを楽しそうに言う父親もどうかと思うね」

 実際にやにやと笑って言う貢に、宏紀は呆れた様子でため息をつく。

 都留インターを下りて街中を走り抜け、少し雰囲気が郊外風になってくる。もうすぐ目的地だ。見覚えのある景色に、宏紀は改めて大きなため息をついた。くっくっと貢は他人事だと思って楽しそうに笑う。

「ま、諦めるんだな。去年のツケだ」

「冗談じゃないよ。互角に渡り合えるようになってから再戦して欲しいね、俺としては」

「武道家をなめると怪我をするぞ」

「なめるもなにも、事実だよ。俺が敵わないほどの相手なら、そもそも俺程度の人間相手にムキになったりしない」

「……それもそうだな」

 いくら強いとは言っても宏紀は完全な我流だ。心身ともに鍛え抜かれた武道家が相手では、いかな宏紀でも足元にも及ばないし、反対に、そこまでの相手であれば宏紀の強さの底など簡単に見破るだろう。

 つまり、ムキになって再戦を挑んでくるということは、宏紀に敵うほどの精神力を持ち合わせていないという結論が導き出されるのだ。確かに喧嘩は強い宏紀だが、その強さのほとんどは瞬発力と一瞬の判断力によっている。力比べなら宏紀が敵うはずが無い。そのかわり、力比べに持ち込まないだけの知恵が宏紀に備わっている。その知恵を上回らなければ、宏紀には敵わない。

「でも、付き合ってやるんだろ?」

「……あぁあ。この面倒見の良い性格、誰に似たのかなぁ」

「父親だろ、きっと」

「だと良いねぇ」

 目の前の血の繋がらない父がからかうように「父親」と発言するときは、それは貢自身ではなく、顔も名前も知らない宏紀の実の父親を指している。何しろ、手がかりのまったくない相手だ。宏紀について、貢や母親に似ていない部分は、大抵、見知らぬ父親のせいにされるわけだ。

「さて、見えてきた」

 信号を左に曲がる。道路端に看板が立てられたその材木問屋の奥が、土方本家の邸宅になっている。

 生涯で二度目の本家を前にして、宏紀は少し緊張の表情を見せた。




 引き戸の玄関をガラガラと開くと、声をかけるより先に、向こうから声がかかった。

「あ、貢さん、宏紀さん」

 それは、話題の従兄弟兄弟の弟、雅彦だった。空のビール瓶を三本抱えて、宴会の手伝いらしい。

「雅彦、手伝ってるのか。偉いな」

「兄さんがうまく逃げちゃったから、しょうがないよ。今年は時次兄さんが仕事で留守だし、手が足りないんだ」

「……時次さん?」

 知らない名前に、宏紀が首を傾げる。その宏紀を見やって、貢もまた首を傾げた。

「時次、知らないのか?」

「うーん。俺が顔と名前一致するの、雅彦と和彦と貴彦叔父さんだけだけど」

「……紹介してなかったか。お前らの従兄弟だよ。この家のちびっ子の父親」

「あぁ、あの若いお父さん」

 今更の反応に、雅彦が楽しそうにくっくっと笑って、台所へ行ってしまった。宏紀は、貢に連れられて仏壇へ。

 まずは先祖への挨拶をするのは、本家に来るからには当然の行為だ。

 仏間に続く座敷部屋では、すでに宴会が始まっていた。これも、去年と変わらない景色だ。

 貴彦がいち早く二人を見つけ、手を挙げる。

「宏紀くん、待ってたよ。和彦が探してたよ」

「……貴彦〜。息子の喧嘩を助長する奴があるか」

 おそらく、和彦が宏紀を探していた理由を、貴彦はいまいち把握していないのだろう。兄に言われて、あぁ、と納得している。

「まぁ、いきまいてるのはうちの息子だけみたいだしな。怪我しない程度にあしらっといてくれれば良いよ」

「投げやりな父親だこと」

「あれは、手が付けられないんだよ、俺には。貢と違って武道のたしなみも無いしな」

 すでに息子の教育は放棄したらしい。父親とも思えない投げやりな台詞に、宏紀は貢と顔を見合わせる。

「それで、宏紀に任せようって?」

「……いや、放置しておこうと思って。自分で勝手に育ってくれ、って感じだな。幸い、犯罪に手を染めそうなタイプじゃない」

 仏壇の前に歩み寄る二人にくっついてきながら、父親としては放任主義宣言も等しい台詞を吐く貴彦に、貢は深いため息をついた。線香を二本あげ、仏壇に手を合わせる行動もそこそこに、弟に向き直る。

「あれは、放っておくと突っ走るだろう」

「すでに突っ走ってるさ。もう、俺では手が届かない。だが、家の行事には文句も言わずについて来るから、悲観はしてないんだ。宏紀くんだって、貢の手で教育したわけじゃないだろう? それでも、こんなに良い子に育ってる。息子は信じて見守るべきさ」

「……乱暴者で困ってるぞ」

「良い子じゃないか。何か理由がなきゃ、自分からは手を出さないタイプだろう?宏紀くんは」

 去年初めて会ってから、まだ数回しか顔を合わせていない割りに、貴彦は随分と宏紀を理解しているらしい。貢ですら知らない宏紀の普段の行動を、具体的に知っているわけではないはずなのに、貴彦の断言は疑う余地すらないらしい。

「相変わらず、人を見る目だけはあるんだな」

「おかげで、付き合う相手の選定だけははずしたことが無いよ。人が持つ雰囲気なんて、一番本性を隠し辛いものだからな。その、自分の人を見る目を信じて、宏紀くんに頼みがあるんだけどね」

「引導を渡して欲しい、ですか?」

「ご明察。宏紀くんは面倒見が良いから、引き受けてくれるだろう? 手加減無しにこてんぱんにやっちゃって」

 それを実の父親が言うのはいかがなものかと思うわけだが。

「手加減無しにやったら、病院沙汰になりますよ」

「あぁ、じゃあ、擦り傷程度で済むくらいに手加減してくれると助かる」

 宏紀の大袈裟にも思える表現に、貴彦はあっさりと前言を翻す。が、流血沙汰自体はむしろ望んでいる様子だ。その父親の反応に、宏紀は困って肩をすくめた。

 と、ちょうどその時だった。どこで聞きつけたのか、駆け足の足音と同時に広間に現れた和彦が、親戚一同のいぶかしむ視線もなんのその、まっすぐこちらへ荒々しい足取りでやってきて、宏紀の目の前に仁王立ちになった。

 ちょうど、仏壇の前に座っていたため、その見下ろす視線の先には貢もいるのだが、どうやら視界に入っていないらしい。

「お寺さんが来るまでに、決着つけようぜ」

「決着なら去年ついてるよ。リベンジしたいならそれなりの態度で臨むべきじゃないの?」

 まさしくその通りで、父親が宏紀の方に軍配を上げるのを、和彦はじろりと一瞥する。そして、宏紀の意思など意に介しないつもりを態度に示し、庭の方に顎をしゃくる。

 他のお客さんに迷惑にならないように裏庭でやってくれ、という二人の親に懇願されて、和彦は半ば無理やり宏紀の腕を掴んで玄関を出、裏庭まで引きずっていった。

 野次馬は、貢と貴彦と、後から気付いてやってきた雅彦の三人だけだった。




 この家の裏庭は、貢たち兄弟の兄嫁とその家の若嫁の二人が精魂こめて育てている家庭菜園になっていた。ナスやらキュウリやらの夏野菜が立派に実っている。

 その家庭菜園と家との間のちょっとした空間に、和彦は宏紀を放った。腕を放されて蹈鞴を踏む宏紀を、冷たい目で見やり、和彦はすぐさまファイティングポーズを取った。

 和彦の方を向き直って、二人の後ろを追いかけてきた父親たちを振り返り、少し困った表情だ。

「これから法事なのに、服汚したらまずいよね?」

「宏紀の?」

「和彦の」

「あぁ。気にするな」

 チャリ、と貴彦の手元で鍵束を弄る音がする。何か考えがあるらしい。

 とりあえず、親の確認は取って、もう一度和彦を見やる。

 反射的に左に避けたその空間を、和彦のコブシが通り抜けた。

「何をゴチャゴチャ抜かしてやがる」

「どうしたの、頭に血が上っちゃってるよ」

「うるせぇ! この機会をずっと心待ちにしてたんだ。容赦はしねぇぞ」

「うーん。それはこっちの台詞じゃないかと思うなぁ」

 あいかわらずのんびりした宏紀の反応に、ただでさえ最初からキレ気味だった和彦は、怒り心頭の様子。問答無用とばかりに今度は足が伸びてきて、宏紀はそれも危なげなく避けた。

 そこからは、和彦の連撃に、宏紀は防戦一方だった。攻撃を避けて右へ左へ移動しているだけなので、防戦というのも厳密ではないかもしれない。

 確かに、この一年リベンジの機会をうかがって自らを鍛えていただけのことはあって、拳にも蹴りにも鋭さが増している。流れるような一連の攻撃は、演武でも見ているかのようだ。

 が、それが宏紀に通用するのかというと、まだまだ疑わしいようだった。

 一通りの攻撃の流れが終わったのか、一瞬和彦に隙ができる。そこを、宏紀は当然逃さない。

 それは、反撃というには少し勢いに欠ける行動だった。一歩踏み出して和彦の右肩を掴み、そこを軸に体を回転させて、和彦の背に飛び乗る。

 そもそも喧嘩をしているつもりの和彦にとって、宏紀のその行動はあまりにも突拍子がなかった。そもそも、相手の背に乗るなどという発想自体、普通はしない。その先に攻撃する手段がまったくないのだから。

 けれど、宏紀はそもそも、喧嘩をするつもりもなければ、リベンジに負けてやるつもりもなく、普段から相手を小馬鹿にする行動で戦意を奪い取る戦法を用いているおかげで、こういう突拍子も無い事の方が得意だったりするのだ。

 突然背中に飛び乗られて、まったく予期していなかった重量に、和彦が膝を突く。宏紀はその下に下がった反動を利用して、宙返りすると、和彦の背後に柔らかく着地し、立ち上がりかけたその背中に回し蹴りを喰らわせた。

 まったくの無防備だったわけではない背中に、宏紀の蹴りは見事命中し、和彦は低く呻き声を上げた。

 蹴った足を戻した宏紀の表情は、少し驚いた様子だった。やば、と呟く。

「ごめん、思いっきり入っちゃった。大丈夫?」

 喧嘩相手を気遣う宏紀の視線の先には、完全にダウンして蹲る和彦の姿があった。心底困った表情で父親を見る宏紀に、貢は代わって和彦に近づいた。

 シャツを捲くってみれば、宏紀に蹴られたその場所はくっきりと赤くなっていたが、骨の無いところでもあって骨折の心配はなく、強めに押しても和彦の反応が変わらないから、内臓も痛めていなさそうだと判断する。

 ささっと触診して異常なしと太鼓判を押し、貢は和彦の後頭部をペコンと叩いた。

「お前、打たれ弱すぎ。武道家なら、相手の実力ぐらい拳を交わす前に判断しろよ。それも、今日のメインイベントの前に仕掛けてくるなんて、何考えてんだ。少し反省してろ」

 ほら来い、とその耳を引っ張って和彦を立ち上がらせ、まっすぐ向かったのは、木材資材置き場だった。鍵のかかる事務所の扉を貴彦が開け、貢にその中に放られる。

「中に救急箱があるから、自分で手当てしろよ。夕飯には出してやる。よーく反省してろ」

 貴彦が持っていた鍵の束は、そのためのものだったらしい。父親の前で喧嘩を吹っかけたのだから、やる前に叱るのが通常だろうと宏紀は思うのだが、この兄弟の判断は違ったらしい。やらせるだけやらせておいて、つまりは宏紀に勝っても負けても、このお仕置きは決行の予定だったようだ。

「熱中症にならない?」

「大丈夫だろ、ガキじゃないんだし。クーラーも扇風機もある。一人で頭を冷やすのも必要さ」

 戻るぞ、と促され、貴彦と雅彦が先に母屋へ入っていくのを追って、宏紀も貢に手を引かれてそちらに足を向ける。そして、心配そうに和彦のいる方を振り返った。




 翌朝、去年と同じように一泊して帰り支度をする宏紀の前に、和彦がまたも仁王立ちした。何事かと目を丸くして見上げる宏紀に、和彦は相変わらず不遜な態度だ。

「来年こそ、仕返ししてやる」

 反省は、していないらしい。直後、和彦の頭に父親と伯父の二人の拳骨が炸裂していた。





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