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 貢に促されて、宏紀は玄関に鍵をかけ、高宏の手に捕まって、車のドアを開けた。貢も車の方へ足を踏み出す。

「ど、どこへ行くの」

「買い物だよ。お前が現れたせいで宏紀が不安定でな。気分転換だ」

「……不安定?」

「俺とお前の罪さ。ガキの頃、親に甘えられなかった反動で、家族問題になると精神のバランスが崩れる。少しでも不憫だと思うなら、もうその姿を宏紀の前に見せるな」

「あなたは良くて私がダメな理由がないわよ」

「あるさ。俺はここに帰ってきて宏紀を見守って七年、償い続けてきた。お前は十年を無駄に過ごしてきた。それだけの差だ。わかったらそこをどけ。車が出せない」

 あっさりと言ってのけたそれは、宏紀の心に残った一生消えそうに無い傷の話だ。宏紀の前では一言も言葉にしたことはなかったが、これでもずっと見守ってその経過を観察してきた。だから、宏紀のちょっとした変化にも敏感なのだ。高宏も。

 だが、今日久しぶりに息子の顔を見た彼女には、貢の言葉がわからなかったらしい。非常に怪訝な表情で、貢を見返し、この男では埒が明かないと思ったか、元夫を押しのけて宏紀に足を向ける。貢に腕をつかまれても構わない。

「おい、雅子……」

「宏紀。お母さんとまた一緒に暮らさない? お母さん、再婚するの。こんな小男なんて放っておいて、新しいお父さんと一緒に暮らしましょう? あなたのことも快く受け入れてくれる人なのよ」

 どうやら、高宏の想像は当たったらしい。貢に邪魔されても気にもせず、強引に宏紀に話しかけてくる。そうして、羽交い絞めに近い格好になりながら、宏紀に手を伸ばした。この手を取れ、とでも言うように。

 が、その手を見つめる宏紀の目は冷ややかだった。

「お昼にうちにいらした方ですよね? 私には母はいないんです。何をおっしゃっているのかわかりません」

「宏紀?」

「確かに私の名は宏紀ですが、あなたに呼び捨てにされる覚えはありません。お引取りください」

 言葉を重ねて元妻を追い払おうとする元夫よりも、実の息子のその態度の方が余程説得力があった。取り付く島も無いほどの冷ややかさで言い放ち、さっさと車に乗り込んでしまう。

 助手席のドアの前に立ち尽くす高宏が、困惑の表情で右の雅子と左の宏紀を何度も見比べた。

「雅子。わかっただろう? もうお前の側に宏紀の居場所は無いんだ。諦めて帰れ。これ以上宏紀を苦しめるな」

 抵抗の止まった雅子から手を離し、貢はその背中に追い討ちをかける。そうして、車の運転席に向かって歩き出した。

 納得の行かない雅子は、そこに立ち尽くし、宏紀の横顔を見つめる。

 そして、すでに土方家では決着のついている、根本的な問題を口にした。

「宏紀。あなたと貢は、赤の他人なのよ」

 それは、家族内でこそ冗談として「血の繋がらない」親子関係を話題にすることもあるが、体外的には秘密の話になっている。その言葉に、宏紀は敏感に反応してしまった。閉めてしまっていたドアを再び開け、車から降りた宏紀は、その場で雅子をじっと見つめる。

 それから、くっと喉で笑った。

「知ってますよ、そんなこと。だから何だって言うんですか。その再婚したって言う旦那さんだって、俺の父親では無いんでしょ? 血の繋がりがそんなに大事? 父さんは、俺が辛かったときにそばにいて助けてくれた。あなたは俺が辛かったときに追い討ちをかけるように家を出て行った。俺があなたを選ぶ理由が無いよ。俺にとって親孝行すべき相手は父さんや高宏さんであって、あなたじゃない」

「でも、あなたは私がお腹を痛めて生んだ本当の子どもなのよ」

「俺には母親に愛された記憶が無い。一番古い頃の記憶は三歳のときだけど、その頃は保育園のお迎えに向かいの加納のお兄ちゃんが迎えに来てくれてた。お袋の味も加納家の味付けだし、もっと大きくなったら店屋物だったよね。顔も声も覚えてないのに「きょうはいえにかえれません」っていう字だけ覚えてるよ。そのまま、俺の母親という人は家を出て行ったんだ。ねぇ、こんな記憶で、どうやって母親を信用するって言うの?」

「で、でも、あなたがこの家を離れたくないって言ったのよ?」

「だって、母について行ったって、住む場所が変わるだけで何も変わらないんでしょう? 学校の友だちとかお向かいの幼馴染とかと別れてまで一緒に行くメリットが、俺にはなかったもの。この家も、広いキッチンとか広いお風呂とか、ベランダも広いし、気に入ってるんだ。引越したくない。今も、父さんや高宏さんやうちの旦那と別れてまでついて行くメリットが俺には無い。だから、一緒には行きません。帰ってください」

 母への愛情と今までの生活を秤にかけて、悩むまでもなく後者を取った。母への愛情など無いに等しかった。

 それは、親へ向ける愛情を知った今だからこそなおさら、思考力を傾ける価値すら見出せない。

 血の繋がらない父は、父として愛しているし尊敬している。父の恋人である高宏も、父の恋人だからと言って母親とは思わないが、家族の一員として尊敬すべき年長者として、大事に思っている。恋人に対しては言わずもがなだ。

 その彼らと目の前の中年女性を、同じ秤に載せることすら、宏紀には許せなかった。

 バタン、と音を立てて後部座席のドアを閉める。普段、物音は最小限にしか立てない宏紀だからこそ、平静を装ったその内心の苛立ちが手に取るようにわかった。

 これは強引に引き離すに限る、と判断した貢と高宏は、慌てるような急ぎ方でそれぞれに席につき、車を発進させた。

 残されたのは、血の繋がりという絆を完全否定されて立ち尽くす、女性の姿だった。





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