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「……雅子さん?」

 唯一言葉を口にしたのは、高宏だった。それから、靴を履いて立ち上がっていた宏紀の肩を抱き寄せる。

 どうやら、三時間前に現れたという彼女は、時間を置いて再びやって来たところだったらしい。どこかで時間を潰していたのか、帰る途中で引き返してきたのか定かではないが、よほどの用事なのだろう。

 ふらり、と貢の身体が揺れ、その次の瞬間、荒っぽい足取りでずかずかと玄関を出て行く。押さえていた手が離れて扉が閉まってしまい、高宏は急いでそれを開けた。

 相手が相手だけに、意外と直情型の貢を一人で対峙させるのは不安だった。公道上で傷害罪にでもなったら目も当てられない。元妻という相手に対して、貢が手をあげない保証が無かった。

 背の低い貢とほとんど同じ身長の雅子は、貢がここにいることに、そして、離婚当時浮気相手だった高宏までそこにいることに、驚いていた。

「あなた……」

「何しに来た、雅子」

 身長が低い自覚からか偶然か、一段高い段の上に立ち止まり、貢は腕を組んで雅子を睨みつけた。その背後に、不安そうな宏紀を支えて立つ高宏の姿が見える。まるで、仲睦まじい後妻を見るようだった。

 離婚するときですら見せなかった元夫の威圧的な態度に戸惑った雅子だったが、それから気を取り直して毅然と顔を上げた。目の前にいる貢を無視するようにその背後を覗き込む。

「宏紀、大きくなったわね。元気そうで安心したわ」

 話しかけてくる母と自称する中年女性に、宏紀はただ視線を釘付けにして立ち尽くすだけだった。ショックを受けていることはわかるので、高宏はその息子を気遣って抱き寄せる。

 代わりに、貢が応戦していた。

「何今更母親ぶったこと言ってるんだ。宏紀を捨てていった分際で」

「捨てたわけじゃないわよ。宏紀がここを離れたくないって言うから仕方なく置いていったんじゃない」

「ほう。母親らしいことを何一つしてやらなくて、お前について行くとでも思っていたのか」

「何よ、あなただって、浮気相手の家に入り浸って帰って来やしなかったじゃないの。偉そうに言えた立場かしら?」

「少なくとも、父親の役目が必要なときには父親の役目は果たしたし、結局戻っても来たさ。お前とは違う。大体、今更何の用だ。十年ほったらかして、ようやく息子が恋しくなったか。自分が腹痛めて産んだ子だもんなぁ?」

「うるさいわね。あなたには関係のないことよ。私は宏紀に会いに来たのよ。何の権限があって邪魔するのかしら」

「親権者の許可なく会わせる訳にはいかねぇな」

「宏紀はもう成人しているはずよ。親権者なんて関係ないわ」

「家長、家主、雇用者。いずれにせよ、俺の許可がなきゃ宏紀はお前の話なんか聞かねぇよ。俺に話せないような内容なら諦めて帰んな」

 う、と言葉に詰まったのは雅子が先だった。貢には本当に言い辛い内容なのか、続きがない。

 黙りこんでしまった元妻を見やり、貢は呆れたようなため息をついた。

「高宏、宏紀。車に乗れ。行くぞ」

 こういう時は、こちらには聞く気も聞く義務もない、と態度で示してやるのが一番だ。





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