太くとも脆い糸 1




 大学を卒業して執筆に専念するようになった宏紀は、ますます土方家のお母さんになっていた。

 自宅が事務所になっているとはいえ、仕事中の年長組は日々忙しく調査に飛び回っており、国家公務員の忠等は日勤ならば定時に帰ってくるものの、週一の夜勤と月一の休日出勤当番に組み込まれて忙しくしている。

 したがって、家にいて家の仕事を片付けられるのは、比較的自分の好きなようにスケジュールできる宏紀だけだったのだ。

 それも見越しての職ではないのか、と身内全員に心配されていたりもする。まぁ、きっかけがきっかけなので、そんなはずは無いのだが。

 そんな、自由人一年目の秋のことだった。

 普段のように、リビングにノートパソコンを持ち込んで宏紀が執筆に打ち込んでいると、玄関でチャイムが鳴った。

 父と同居人が共同経営する探偵事務所の玄関も自宅玄関と兼用のため、来客も珍しくは無いのだが、電話連絡無くこの民家に尋ねてくる客は珍しいし、今日は来客の予定もない。

 不思議に思いつつ、インターホンの受話器を上げて応答すると、向こうから女性の声が聞こえてきた。

『……宏紀?』

 それは、なんとなくうっすらと聞き覚えのある、中年女性の声だった。宏紀の名を呼び捨てにするくらいなので、血縁的に近しい間柄の相手のはずだ。父の親類だろうか、と毎年盆になると父の里帰りについていくその田舎の大きな家とそこに揃う親戚一同を思い返すが、該当する女性の声は見当たらない。

 なので、ここは素直に問い返すことにした。何しろ、近頃このあたりも物騒で、振り込め詐欺ならぬ突撃訪問詐欺も横行しているのだ。伯母を名乗る他人だったりしたら目も当てられない。

「どちら様でしょう?」

『宏紀、何言ってるの。お母さんよ』

「……は?」

 それは、思ってもいなかった答えだった。さすがに、息子に母を名乗る詐欺は聞いたことがない。が、宏紀が知る母は、この家に訪ねてくるような人ではないはずなのだ。

 宏紀の母といえば、貢とは違う男の子供を不倫の末に身ごもり、貢と離婚しないままその息子として産み落とし、宏紀が小学六年生だった頃に別の男と駆け落ち同然に家を出て行った女性だ。家を出る前も、二、三ヶ月に一度、偶然顔を合わせる程度の希薄な関係だった。

 その人が、どの面下げてこの家を訪ねて来られるというのか。

「……何の冗談です? 私に母はいません。お引取りください」

 誰にでも優しく親切で気遣いのある態度を貫く宏紀には珍しい突き放し方で、インターホンの受話器を置いた。彼女の声をそれ以上聞く必要性を見出せなかった。

 別に、恨んでいるわけでも憎んでいるわけでもない。ただ、宏紀に母はいないのだ。

 母にほとんど変わりない程度の関係だった父は、それでも戸籍上は父親であり、生活費を入れてくれたし、高校進学など人生の節目には相談にも乗ってくれたから、比較的簡単に父親として受け入れた。

 だが、母は自分の養育を放棄してこの家を出て行った人である。血の繋がりのない父を父親として認め、慕っている宏紀にとって、血の繋がり程度の絆は実に希薄で真実味の無いものだった。戸籍関係も金銭関係もまったくの赤の他人である母を、家族として受け入れる心の余裕は、宏紀にはない。

 通話を絶ってしまった宏紀を呼んで、しばらく玄関を叩き声をかけてきた騒音は、数分の後、出直すことにしたのか諦めたのか、静かになっていた。

 仕事に戻るが、なんとなく気力が湧かず、集中力も散漫で、宏紀は諦めてパソコンを閉じると、テレビのスイッチを入れた。気分転換に、と、たまに遊んでいるテレビゲームに電源を入れ、テレビの前に陣取る。

 最近では、毎日が平穏で幸せだったから鳴りを潜めていたが、一応、母親の件は宏紀にとっては心の傷の一つだった。何しろ、恋人と強制的に離れ離れにされた直後の出来事だ。それこそ、宏紀にとっては、恋人と引き裂かれ母に捨てられた、二重の喪失感に苛まれた最悪の夏休みだった。

 その事態を招いた張本人が、今更現れたのだ。心穏やかでいられるはずも無かった。





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