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 自宅に帰った後は、宴会に突入する。

 三間ぶち抜きの座敷に仕出しのお膳を並べ、女たちが腕によりをかけたおかずが加わり、ケース買いの瓶ビールを片手に、若手の親戚連中が酌をしに歩き回る。

 その片隅で、宏紀は父の膳をつついていた。成人しない子供はこの輪の中には数えられていないので、和彦も雅彦も宏紀の隣で同じように父の膳をつついている。だったらお酌の手伝いでもすれば、と思うだろうが、そこはそれ、宏紀は今年はお客さんだし、和彦も雅彦も父にしなくて良いと許可が出ているらしい。

 宴もたけなわ、といった辺りで、年齢と本家からの血筋の遠さ順に、人が一人二人と帰っていく。やがて、近しい親戚たちだけが残って、ようやく本家筋の人間たちは腰を落ち着けた。

 大皿に残った手付かずの料理を移し、お膳を片付けると、台所で仕事をしていた女たちもやってきて、今度は内輪での宴となる。

 そこでようやく、とうとう痺れを切らした和彦が、貢の隣に大人しく座っている宏紀の隣にやってきた。立ったまま宏紀を見下ろし、ぶっきらぼうに言う。

「決着つけようぜ」

 見上げて、是も否もなく、宏紀は和彦を見つめる。代わりに、隣の貢が肩をすくめた。

「宏紀。やめとけ。こいつの拳は凶器として認められるから」

「……何か武術をやってるんだ?」

「空手だったか。だろ? 和彦」

 おう、と頷いた和彦に、いかにも呆れたような表情を見せ、貢はその膝裏を叩いて座らせると、ぺん、と後頭部を平手打ちにした。

「空手家が喧嘩売るとは何事だ。うちの息子を殺す気か?」

「だって、貢さんの子供じゃないんだろ!?」

 そこを、父親本人はまったく問題にしていないというのに。和彦はまだ拘っているらしい。見回せば、貴彦と雅彦以外は、和彦の味方のようだ。視線の鋭さが、宏紀に向いている。

 だから、貢は深いため息をつく。

「若いくせに頭固いぞ、お前。俺の子だって言ってるだろうが」

「……お父さん。かばってくれてるとこ、悪いんだけど。やらせて?」

 せっかく庇われているのだから、そのまま背中に隠れていれば良いものを、くすりと楽しそうに笑って、宏紀はそう遮った。それから、和彦を見上げる。

「決着がつけば、納得してもらえるんでしょう? 武術の心得があるなら、受身も取れるよね?」

「宏紀っ!」

「お父さんは黙ってて。大丈夫だってば。心配しなくても、再起不能な怪我は負わせないから」

 いや、それは宏紀ではなく和彦にこそ忠告すべきところなのだが。何とも反応の返しようがなく、貢は頭を抱える。

 時刻はすでに夕方の七時を過ぎていた。まだ薄明るいとはいえ、日没からいくらか時間が経過しているのだから、程なく辺りは闇に包まれるはずだ。

 開けっ放しの縁側の向こうには、昼間はあれだけあった車が三台にまで減っていて、おかげで暴れまわるには十分なスペースが確保されている。

 さてと、と声を上げながら、宏紀はその場に立ち上がる。それから、大きな座卓を迂回して、縁側に出る。そして、おもむろに靴下を脱ぐと、裸足で外に降りてしまった。

 あまりに平然とそうするので、驚いたらしい和彦は、ただただ呆然と宏紀を見送っていたが、やがて誘われていることに気付いたらしい。慌てて後を追いかける。

「靴くらい履きやがれ」

「制服に靴跡付けたくないでしょ?」

 カモン、とばかりに人差し指で手招きして、宏紀はからかう口調でそう答えた。

 兄を追って縁側まで出てきた雅彦は、兄ではなく、今日初対面の宏紀に心配そうな視線を向けていた。この短時間で、好かれたものだ。

「あの。……兄に、負けないで」

「任せなさい」

 とん、と自分の胸を叩き、宏紀は余裕の表情で請け負った。

 と、耳元で風を切る音がして、咄嗟に首先だけ逃がす。見れば、和彦の拳が、顔のすれすれに襲い掛かってきていた。そこに拳があるということは、もとより当てるつもりはなかった一発だ。

「弟誑かしてんじゃねぇよ」

「人望ないね、お兄さん」

 人に因縁を付けられるのは慣れている宏紀は、和彦の嫌味など目ではなく、からかってくすくすと笑った。宏紀から見れば、和彦の反応はまるで子供に見える。その事実を、和彦本人は概念としてもまったく知らないわけだが。

「やるなら早くやろう。暗くなっちゃうよ」

 本来、喧嘩をするには双方共にそれなりの理由があってしかるべきだが。宏紀の反応はただただ遊び相手を見つけた子供のようで、実に楽しげだった。いきり立っている和彦が間抜けに見えるくらいに。

 その、間抜けに見える自分がわかったのだろう。無言のまま、拳が繰り出されてくる。

 危なげなく避けて、見返した宏紀の目に入ってきたのは、空手家らしい構え方をした和彦と、縁側で見守る貴彦、雅彦親子と貢と。

 はぁ、とため息をつく。

「何ため息ついてやがる。無傷では返さねぇぞ。俺をからかいやがって」

「何を言うかと思えば、またガキみたいなことを。同じ言葉をそっくり返そうか」

 首を軽く傾げ、あと五歳若かったら子供の無邪気な表情にも見えなくもないとぼけ顔をしながら、その口を出る言葉は血気盛んな和彦を煽るばかりだ。まさに、遊んでいる、という言葉がよく合う。

「あとで後悔するんじゃねぇぞ」

 とりゃ。そう、声を上げつつ、繰り出されてきたのは、今度は足で。のんびりした足取りで、だがそれなりに早いスピードでその蹴りを避けて後ろに下がった宏紀に、さらにすかさず反対側から足が伸びてくる。

 さすがに余裕が保てなかったか、伸びてきた足を右手で受けて、蹴られた力を利用して相殺して跳ね除けながら、自分の身も退けた宏紀は、利用した力が思いのほか強かったらしく、着地した足に力を込めて後ろに下がるのを堪える。それから、今まででも十分楽しそうだった表情に、不敵さが加わっていた。

「叔父さん。怪我させちゃったらごめんなさいね」

 え?と反応する間もなかった。

 とんっと地を蹴った宏紀の姿は、いつの間にか和彦の陰に隠れていて、次の瞬間、和彦が身体に闘志を漲らせたまま、がくりと膝を着いた。自分が膝を着いたことが信じられなかったらしい。目が呆然と前を向いたままだ。そこですかさず背中に蹴りを入れて、さらに肩を蹴り上げる。蹴り上げられて身体を起こした和彦がそのまま立ち上がろうとするのを、わかっていたように宏紀の足が遮って蹴り落とす。

 宏紀にしてみれば、背中を蹴った足を下ろして軸足にして、反対の足を振り上げて肩を蹴り上げ、振り上げた足をそのまま下に下ろしただけだ。ちょうどそのタイミングが良いだけの。

 それで、勝負はあっさりとついたらしい。地に手を突いたまま、和彦は苦痛に眉根を寄せながら、何が起こったのかわからずに呆然としている。もうやる気はなくなったらしいと見て、宏紀は一歩和彦から離れ、父を振り返る。

「やりすぎ?」

「……まぁ、武道家相手にしたら、反撃の隙を与えないのは常套手段だがな」

 言いながらも、貢は苦虫を噛み潰したような顔をして、肩をすくめる。それから、サンダルを引っ掛けて下におりた。縁側に戻っていく宏紀とすれ違って、和彦を助け起こす。

「大丈夫か?」

「ちょ、貢さん、あれ、何?」

「本人も言っただろ。再起不能にはしないって。それだけの力があるってこった。実際、かなり手加減してたみたいだしな」

「手加減〜?」

 信じられない、というように右肩上がりの問い返しを投げて、和彦は甘えるように貢に手を伸ばす。手を貸す代わりに頭をぺこんと叩いて、貢は腕組して和彦を見下ろした。

「素人に負けてんじゃねぇよ、みっともねぇな。修行のやり直しだ、お前」

 自分で立て、と軽く蹴飛ばして、貢はさっさと戻っていく。そちらを追いかければ、縁側に座って宏紀が雅彦に濡らした手拭をもらって足を拭いているのが見えた。怖い兄を懲らしめてくれた血の繋がらない従兄弟に、弟はだいぶ懐いたらしい。それもまた、腹の立つところなのだが。だからと言って力任せでも負けてしまうし口でも負けてしまうし。

 完全なる、完敗だった。

「くっそ〜」

 貢も縁側に上がってしまって、全員が室内に入ってしまって、一人取り残された和彦は、膝と手をついたまま、足元の砂利を殴りつけた。




 翌日。

 一晩のうちに、雅彦とはだいぶ仲良くなっていた宏紀は、来る時とは真逆に、ご機嫌で家を出た。

 この家では、近しい親戚はみなこの家に泊まっていくことになっていたらしい。それだけ大きな家なのだ。布団もたっぷり用意されていて。

 玄関前には、こちらも家に帰る支度をしている貴彦親子がいた。旅行カバンを車に積んでいるらしい。ふと、和彦が手を止めて宏紀を見上げた。

「……二度と顔見せんじゃねぇ。次に会ったときは容赦しねぇぞ」

「だから、どこのガキだよ、って」

 いつまでもどこまでも頑な従兄弟に宏紀はくすくすと笑って。代わりに、すぐそばにいた雅彦に手を振った。

「またね、雅彦君」

「うちにも遊びに来てください」

「うん、雅彦君も」

 ばいばい、と手を振って、それぞれ車に乗り込んで、右と左に分かれて。

 帰り道、わかっていた通りに中央道の上り線渋滞にはまってのろのろと道を進んでいたとき。

 ずっと黙っていた貢が声をかけた。

「どうだった? 田舎は」

「楽しかったよ。雅彦君、いい子だし。和彦とも仲良くなりたいね」

 あれだけからかって喧嘩しておいて、意外と和彦も宏紀は気に入ったらしく。くすくすと楽しそうに笑ってそう答えた。それから、正面を向いたままの父の横顔を見やった。

「また、連れて行ってくれる?」

「そりゃ、お前も土方家の人間だからな。次はお客さん扱いしないぞ」

「今回だって、お客さん扱いしなくて良かったのに」

「ダメ。たまには上げ膳据え膳の幸せも味わっとけ」

 ふふん、と笑ったそれは、いつも頑張る宏紀を労ったのか、それともからかったのか。そうだねぇ、と宏紀も笑って頷いた。





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