里帰り 1




 叩き上げ警察官の安月給でどうやったらそんな費用が捻出できたのか、たぶん前の代からの遺産なのだろうと宏紀が勝手に思っていたその大きな一軒家は、父親が若いうちに建てたものだったらしい。

 というのも、今父の運転で車の助手席に座り向かう先は、父の生まれ育った家なのだ。本人は毎年行っていたという父の里帰りに、初めて同行することになったのである。

 高校一年生の夏休み。サッカー部の活動もなく、友達はそれぞれ親の里帰りについて行き、同居を始めた父の恋人も実家に帰ってしまったので、暇なら付き合え、との父のお達しの元、ちょっぴりわくわくしながらの道行きだった。

 父の田舎は山梨県にあった。都留市内にある木材卸売り問屋で、次男の父は跡継ぎを兄に押し付け、大学入学のために東京に出てそのまま居ついてしまったというわけだったらしい。宏紀の祖父は七年前に癌で亡くなっており、今年が七回忌にあたっていた。その遺産のおかげで、かなりの返済年数が残っていた住宅ローンが半分以下になったと、父は喜んでいる。

 宏紀が父の血を引かない子であることは、親戚にはすでに知られていることであるらしい。思わず口が滑って、と申し訳なさそうに貢は謝っていた。が、自分の息子だ、と常日頃から胸を張ってくれる貢は、お前に嫌な思いは極力させないから、と請け負ってくれた。

 都内23区から少し離れただけの都心に近い自宅から、中央道を走って峠を越え、大月ジャンクションを富士山方面へ分かれていくと、一つ目のインターが都留である。鈍行でゆっくり移動しても小旅行程度の距離だから、車で移動すればあっという間だ。




 インターを下りて街中を走り抜け、少し雰囲気が郊外風になったあたりに、その家はあった。

 木材置き場と事務所と自宅が同じ敷地内にある、家族経営らしい造りの家だった。

「こんにちは〜」

 色とりどり車種もメーカーもばらばらな乗用車の列に車を並べて、貢が先に立って玄関の引き戸を開き、中に声をかける。都会では無用心なこの行動も、田舎ではこれが礼儀だ。何しろ都会っ子の宏紀には、その行動の一つ一つに感心してしまう。

「あら〜、みっちゃん、久しぶりねぇ」

 貢の声掛けに答えて出てきたのは、恰幅の良い女性だった。貢と面差しが似ているから、親戚の誰かだろう。それにしても、この柔道有段者の貢を「みっちゃん」呼ばわりには、少し可笑しく思える。

 貢のすぐ後ろにしたがっている宏紀に気づいた彼女は、その途端に、表情を硬くした。そんな行動だけでも、宏紀が歓迎されていないのは見て取れる。

 その彼女の表情の変化を、まるで気づいていないかのように無視して、貢は笑って見せた。

「姉さん、久しぶり。兄貴は?」

「……奥で叔父さんたちと飲んでるわよ」

「もう酒盛り始まってんのか。まったく、田舎の男はのんべえだなぁ」

 呆れたように笑って、貢はそのあたりに散らかっている黒い革靴の群れの中に自分の靴も脱ぐ。

 今日は法要があるので、集まった人々はみな、礼服姿だ。宏紀もこの暑いのに制服のジャケットを持たされている。脱ぎ捨てた父の靴をそろえてやって、自分もその隣に靴を脱ぐと、困った顔でそこに立ち尽くす伯母に、おじゃまします、と頭を下げた。

「宏紀。先に仏さんに挨拶するぞ。ついといで」

「あ、うん」

 ずかずかと勝手に入っていく父を見送り、宏紀は小走りに後を追いかけた。




 仏間は二間続きで客間にもなっていて、どっしりした座卓の上に酒の肴とビールが並び、その周りでは黒いネクタイに黒スラックスというお決まりのスタイルをした壮年の男たちがコップ片手に語り合っている。

 ふと、貢に歳の近い人が、顔を上げた。隣にいる人のほうが貢に似たところが多いのだが、何しろ全員親戚で誰も彼も少しずつ似ているものだから、相関関係が良くわからない。

「おぉ、貢。久しぶり」

「貴彦。今年は早かったな」

「いつも法要の時間ぎりぎりに来るからよ、今日はちょっと頑張ったぜ」

 ははっと悪びれもせずに笑った彼に、貢も苦笑で返し、その間にも近づいていた仏前の座布団に正座を下ろした。斜め後ろに宏紀が座ったのを見て、線香を二本あげる。もう一本は宏紀の分らしい。実は仏前参りなんて初めての宏紀は、とにかく貢のやることを見様見真似で繰り返す。それは、幼い子供のように頼りなげな態度も否めなかった。

 しばらく拝んでいた貢は、それから正面に置かれた位牌を見上げ、相好を崩す。

「親父、お袋。やっとつれて来れたよ。あんたたちの孫だ。可愛がってくれよな」

 仏前に話しかけるということは、もうすでに亡くなった人なのだろう。歳をとると涙もろくなるのか、貢の目尻に光るものが浮かぶ。

 仏壇の前を辞し、貢はそのまま宴席には行かずに、仏壇のあるそばの鴨居に掛けられた何枚かの写真を見上げた。

「あれが、お前の祖父さん。その隣が祖母さんな」

 よく見れば、祖父は確かに貢の父親と言える年代の写真だが、その隣に掛けられた祖母の写真はもっと若く、貢と同じくらいの歳に見えた。目元が貢にそっくりで、写真で見ても小柄だったことがわかる。

「母さんは、宏紀が生まれてすぐの頃に亡くなったよ。宏紀が生まれたのを、母さんだけは心から喜んでくれたなぁ」

「血が繋がってないのに?」

「関係ないさ。子供は天からの授かり物。何の因果か俺の戸籍上の息子として生まれてきたんだ。それは、俺の息子で間違いないだろ」

 まだ、血が繋がっていない父親に拘りを持っているらしい宏紀を、貢は事あるごとに自分の息子だと言い聞かせ、ぐりぐりと頭を撫でる。少し子ども扱いの仕草だが、本当に子供だった頃には双方共にそんな経験をする機会を失っていたから、今取り戻そうとしているのかもしれない。

 それからようやく、貢は宏紀を伴って宴席に移動した。途端、集まった全員の視線が、貢と宏紀に注がれた。

「息子の宏紀です」

 その視線の意味はわかっていて、覚悟もついていることだ。だから、貢はまったく動揺せず、息子の肩を抱いた。

 その貢に、一番近くにいた男が、眉根を寄せる。

「血が繋がらない子供は息子とはいわないぞ、貢」

「うわ、失礼な言い草だな、兄貴」

 軽口で答えるということは、本当にまったく気にしていないのだろう。そんな貢の態度に、宏紀はほっとするのだ。父のそばにいれば、大丈夫。そう思える。

「誰がなんと言おうと、これは俺の息子なの。いい加減、認めろよ。まったく、頭固いなぁ」

 怒って、というよりは、呆れているらしい。ははっと笑い飛ばしてしまう。父親本人にそうされれば、それ以上に咎めることなどできず、親戚一同はまたそれぞれの歓談に話を戻した。

 先ほど貢に声を掛けた貴彦という名の男が、ビール瓶とコップを二つ持って近づいてくる。

「ま、飲めや。宏紀くんも飲める?」

「いえ、あの。未成年なので」

 はい、とコップを差し出され、宏紀が遠慮して手を振ると、隣にいた貢がそのコップを受け取った。

「いいよ。飲め」

「あのね、父さん。だから、未成年だって」

「俺の酒が飲めないって?」

「飲む前からクダ巻いてどうすんの」

 わけのわかんない絡みかたすんじゃないの、と父親をたしなめて、それでも仕方なくコップを受け取る。よしよし、と頷いたのは、貢と貴彦と同時だった。

「宏紀。俺の弟の貴彦だ」

「はじめまして。……父さん、兄弟多いね」

「多いぞ。三男二女の五人兄弟だからな。おかげで、子供の頃に一人でいたことがなくてな。寂しい思いをさせて悪かった」

「外で遊んでた分寂しくなかったからかまわないけど。兄弟かぁ、羨ましいかも」

 特に実感のわかない、兄弟という響きに想いを馳せている間に、宏紀のコップにビールをなみなみと注いで、貴彦は宏紀と貢の間に割って入った。

「宏紀くん、今いくつくらい?」

「高一になりました」

「おう、じゃあ、うちの悪ガキと同い年か。宏紀くんはうちのガキどもと違って大人しいなぁ」

 へぇ、と感心したように宏紀を眺める貴彦の向こうで、貢はどうやらその言葉に大受けしたらしく腹を抱えて笑っている。声を出さないものだからしばらく気づかなかった貴彦が、兄を振り返って首を傾げた。

「なんだよ、貢。何笑ってるんだ」

「いや、宏紀が、大人しいって、ははっ」

 笑っているほうは、もちろんその根拠を知っているので可笑しくてしかたがないらしいが、その根拠をまったく知らない貴彦にしてみれば、兄の悶絶ぶりの意味が掴めずに困惑してしまっている。そんな兄弟を、宏紀は傍観者の立場ですました表情で見守っていた。自分の過去の悪事を自分で明かすのも憚られるし、とぼけるのもおかしな話なので、他に対応のしようがない。

 その時、玄関がガラガラと音を立て、ある程度年老いた人の声らしいだみ声が挨拶の声を上げた。にわかに、玄関先が騒がしくなる。廊下をバタバタと走って子供がやってきて、貢の兄らしい人にベタンと抱きついた。

「じいちゃん、おぼーさん、きたよ」

 どうやら、伯父の孫であるらしい。もうそんな歳なのか、と思わず貢を見てしまう宏紀である。

 そこに酒とつまみを広げていた人たちが力を合わせて座卓を移動し、仏間に人が並ぶスペースを確保すると、座布団がバケツリレーの要領で回されてくる。どうやら毎年の作業らしく、それは手馴れたものだ。その間に仏間にやってきた、近所の菩提寺の住職らしい袈裟を掛けた僧侶が、仏壇の前を片付ける。

 家長を先頭に人々が席を決めていくので、ここへきて宏紀はふと、自分の居場所があるわけがないことに気づいた。

「父さん。俺、台所手伝ってくるよ」

「ダメ。ここにいなさい」

「だって、俺、この家の人じゃないよ?」

「俺の息子なんだから、この家の人だろ。いいから、ここに大人しく座ってろ。数珠、持ってるな?」

 珍しく有無を言わさない口調で命じて、貢は改めて宏紀を見つめ、泣き出しそうなその顔を肩に抱き寄せた。

「誰がなんと言おうと、お前は俺の子供なんだ。だから、俺の言うことだけ聞いていれば良い。わかるな?」

「……うん」

 納得して、というよりは、強い口調に驚いて、宏紀は戸惑いながら頷く。それを満足そうに受けて、貢は自分の定位置に座りなおした。そのすぐ後ろが、宏紀が指示された位置だった。

 不安を拭い去れずに、ただ父の命令を忠実に守ってそこに座っていると、宏紀の左右に若い年代の青年がやってきて、腰を下ろした。左隣は貴彦の後ろだから、先ほど言っていた宏紀と同い年の彼の息子なのだろう。その向こうに少し年下に見える少年がしたがっている。右隣は落ち着いた雰囲気で、すぐそばに先ほど貢の兄を祖父と呼んだ子供を従えているから、おそらくその子の父親だ。

 父親である年齢だから、とっくに社会人ではあるのだろう。初対面の宏紀に対して、軽く会釈をする。

「はじめまして」

「あ、はじめまして」

 声をかけられて、てっきり無視されるか嫌味を言われるかと思っていたから、宏紀にしては珍しく反応が遅れた。ぺこり、と頭を下げる。

 と、反対隣から、憮然とした声が聞こえた。

「ふん。どこのウマの骨とも知れねぇもやしっ子は礼儀も知らねぇや」

 きっと、そのそばにいる人にしか聞こえなかったのだろう。宏紀を挟んだこちら側の青年は、聞き取れなかったらしく不思議そうな表情をし、前にいた貢と貴彦が揃って振り返る。

 もちろん、親も伯父も口を開く前に、本人がやり返すわけだ。この宏紀を相手にまわしたのが運のつきだろう。

「いつの時代のどこの田舎の何歳のガキだよ」

 つい先ほどまで、借りてきた猫のように大人しくしていた人の言葉とは思えないのだが、その台詞を聞いて、貢が思わずといった風情で吹き出した。

 伯父に笑われて、彼はさらに言い募ろうと口を開く。が、それは事前に阻まれた。ガツン、と音がして、見ればその頭に父親の拳骨が落ちている。

「って〜」

「和彦。高校生にもなって、何だ、その態度は。親戚なんだから、仲良くしなさい」

「宏紀も。喧嘩を買うなとは言わないから、せめて法要が済むまでは大人しくしててくれ」

 それは、息子を咎めたというよりは、息子はこう見えて喧嘩を買うタイプの人間だ、と暴露しているようなものだった。狙い通り、こちらを注目していた全員から、好奇の眼差しを向けられて、宏紀は軽く肩をすくめた。





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