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 ほぼ15時間ぶりに戻ってきた貢を迎えたのは、まず、閉ざされたドアだった。

 一か八か、鍵を出さずにドアノブに手をかける。ゆっくりと引けば、それはほとんど抵抗なくこちらに開かれた。

 玄関先には、貢が落としたそのままに、貢の旅行カバンとたくさんの土産物が、落とした状況のまま左右に山を作っていた。

 音を立てないように鍵を閉め、そっと廊下を進んでいく。

 リビングのソファに、高宏は呆然と座り込んでいた。寂しそうに膝を抱え、身体を毛布で包んで。

 ここに座らせてくれたのも、毛布をかけてくれたのも、おそらくは吉野だろう。

 気配を消して、彼の隣に忍び寄る。

 高宏だって武道習得者で、人の気配には敏感な方だが、今の彼には気付くことも出来ないのだろう。

 思い出したように、はらりと涙が零れ落ちる。

「高宏……」

 声をかけながら、小さく見える肩を抱き寄せた。

 びくっと、大きくその肩が震えた。抱き寄せられてようやく気付いたらしく、目が驚愕を表して見開かれている。

「ただいま。待たせてごめんな」

「……みつ…ぐ?」

 どうやら、泣き嗄らしてしまったらしい。しわがれた声が、貢を呼んだ。ここにその姿があることが信じられないように、疑いのこもった声色で。

 毛布の中は、裸のままだった。まだ5月のこの時期では、寒いだろうに。昨夜のまま、これまで何もしていなかったらしい。

「吉野に聞いた。今まで頑張ったんだな、高宏。偉かったな」

 いつもなら、そんな風に思うことはない。だが、今の高宏は、まるで子供のようで、守ってあげたくなる。抱き寄せて、額にキスをして、頭を撫でて。

「み……ぐ……? ど…して?」

「ごめんな、高宏。お前の事情を考えてやれなくて」

 考えてみれば、簡単にわかりそうな、極めて単純明快な問題だった。吉野に促されるまでもなく、高宏の事情など、自分が一番良くわかっていて良いはずではないか。そこに思い至らなかった貢にも、当然のように責がある。高宏を一方的に詰ることはできようはずもない。

「怒ってないよ。お前を放っておいたのは、俺だもんな」

「……でも。仕事、だし……」

「そう。仕事だから、仕方がないんだ。高宏も、病気みたいなもんだから、仕方がない。わかってて怒る俺がどうかしてるんだ」

 お前は悪くない。そう、耳元で囁く。

 自分でもどうしようもない衝動を抱えた、愛しい人。彼を愛するために必要な努力を、怒りに任せて吹っ飛ばしてしまった自分が悪いのだから。

「愛してるよ」

「み……」

 まるで情事の後のようなしわがれた声で自分の名を呼ぶ恋人の、その息ごと引き受けて口づける。

 んっ、と高宏の喉が鳴った。

「高宏……。抱いても、良い?」

「……良い、の?」

 貢の方からお伺いを立てているのに、高宏は心底不安そうに聞き返してくる。

 それを、どこをどう曲げればそう聞こえるのか、了解と理解して、貢はその恋人の弱いところに唇を近づける。吸血鬼に狙われる、頚動脈の上。甘く噛めば、気持ち良さそうに喉を鳴らした。

 そこは、昨夜の名残が残っているのか、知らない男の香りを含んでいた。普段なら嫉妬心を煽るだけのそんな匂いすら、今は愛しい。違う匂いをまとっていてすら、自分を選んでくれた愛しい恋人の、必死な心がそのまま表れているのだから。

 おいで、と手を引いて、遮光カーテンの隙間から昼間の明るい日差しが差し込むリビングを抜け、乱れたままのベッドに横たえる。肩にかけていた毛布は途中に落としてきてしまった。途中まで違う男に愛されかけた身体が、貢の情欲を煽り立てる。

「あの……」

「高宏は、何も考えなくて良い。俺に任せて」

 何を言おうとしたのかは、知らない。

 今は、知る必要もない。

 ただ、目の前に横たわる愛しい肢体に、3週間耐え抜いた淫らな身体に、御褒美をあげたいだけだった。

 彼が3週間頑張ってきたのと同じように、貢自身も3週間耐えきったのだから。




 高宏が出張に出る日の朝。

 出張の支度もまったくしていない高宏は、さすがに昨日の今日では疲れきってしまっているらしく、起きるべき時刻になっても目を覚ます気配がない。

 貢は、歳のわりにあどけない表情で眠る恋人に苦笑を浮かべ、代わりに旅行カバンを用意してやって、朝食の支度を整えた。

「なぁ、高宏」

「ん?」

 辛そうな腰をやわらかいソファで支えてスクランブルエッグを頬張る高宏に、ネクタイを結んでやりながら貢が話しかける。食べている途中なのは良くわかっているので、返事は期待していないのだろう。

「男の嫉妬って、醜いよな」

「……んなこと、ないよ。嬉しい」

「俺がお前の遊び相手に妬くと、お前が辛いだろ?」

「そうだけどね。それでも、貢はちゃんと許してくれるし、愛してくれてるのも知ってるから」

 ちゅっと貢の頬にキスのお礼をして、傍らの牛乳を一気飲みすると、高宏はソファ伝いに立ち上がった。颯爽とは程遠い足取りで、玄関に向かう恋人を、貢も見送りに出て来る。

 玄関先で、いつものようにキスを交わした。

「行ってきます」

「終わったら、まっすぐ帰って来い。待ってるから」

「うん」

 子供っぽく頷いて、慌しく出て行く恋人を、貢は幸せそうに見送った。



おわり





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