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翌日は、幸か不幸か、日曜日だった。
息子は突然帰ってきた父親に甲斐甲斐しく尽くし、朝食を用意して朝早くに家を出て行った。こんな朝っぱらからどこへ行ったものやら、と父親らしく肩をすくめる。
息子は、小学生のころから不良中学生に混じって遊びまわっているらしい。自傷癖を持っているらしく、左の手首が傷だらけだった。そんなことにも気づかないほど、貢は息子をずっと放っておいたのだ。
これは、自宅に帰ってくる良い機会なのかもしれない。
そう思えば、なんだか前向きになれる気がした。
いずれにしても、15年付き合ってきた恋人に裏切られたショックは、簡単に立ち直れるものではない。
一晩置いて冷静な頭で考えてみれば、高宏にとっては遊びの相手でしかないのだろうともわかる。だが、それが知らない男ならまだしも、懐いているのを知っている相手だ。貢が怒るのも当然と言えば当然だ。
そこへ、突然インターホンが鳴った。出てみれば、思いもしなかった相手が名乗った。
『土方課長補佐。吉野です。スンマセン、開けてもらえませんか』
この場所を、どうやって知ったのか。
その声は確かに、昨夜、高宏を自分たちの愛の巣に組み敷いていた、あの若い男だった。
尋ねてくるにしても、人選が悪すぎるだろう。この場所を教えたのはおそらく高宏だから、とすると、彼の差し金と取れなくもない。
何もわざわざ追い討ちをかけることはなかろうに。それとも、この機会に今までの15年を清算しようとでもいうのだろうか。昨夜、泣いてすがってきたのは嘘だったのだろうか。
『土方課長補佐。お願いします。入れていただけないなら、せめて出て来て下さい』
通しっぱなしのインターホンを抜けて、若者らしい張りのある声が訴えてくる。
何にしても、ここは息子が一人で暮らす大事な家だ。ほとんど帰ってこない父親に厄介事を作られては迷惑だろうと思えば、この押しかけてきた男を無碍に拒否も出来なかった。
玄関を開ければ、彼は一度家に帰ったようで、私服姿でそこにいた。顔を見せた貢に、深々と頭を下げる。
「入れよ」
「はい。失礼します」
キャリア組とはいえ、さすがに警察官になるだけあって体育会系気質を持った男だ。腰の曲げ方に年季が入っている。
顎をしゃくって先に奥へ戻っていけば、吉野はその玄関を丁寧に閉めて、リビングへ足を踏み入れた。
台所に立って、使い慣れない紅茶缶に手を伸ばす。なんでも、息子はコーヒーが苦手らしく、インスタントすら置いていないので、茶葉から紅茶を淹れるしかないのだ。
そんな作業をする後姿を、吉野はリビングの入口に佇んでじっと見守った。
「で? 何の用だ?」
「船津課長補佐の件です」
馬鹿丁寧に役職名までつけて呼ぶのが、なんだか癪に障ってしまう。性的接触まで持った相手を、上司扱いするわけだ。馴れ馴れしければ、それはそれで腹を立てるはずで、貢としてはどうやっても落ち着ける相手ではないのだが。
「課長補佐、はやめろよ。職場じゃないんだから」
言いながら、ポットとカップを盆に載せて振り返る。吉野は入ってきたその場所に直立不動で待っていた。その態度に、少しは気持ちが軟化する、現金な貢である。
座れよ、と促して、自分と相手の紅茶を注いでやる。蒸らし時間が足りなかったか、色が薄い紅茶が出た。
「高宏が、どうした? 昨日のことは、俺とあいつの問題だ。お前には関係ない」
「関係あります。俺が招いてしまったことですから」
すみませんでした。そう言って、吉野は頭を自分の膝に擦り付けた。
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