II-2




 宏紀は嬉しそうにはしゃいでいた。思わず忠等の顔もほころぶ。

「あ、名前、なんて言うんですか?」

「なんだ、知らないのか。名前も知らない奴によくあんなもん書く気になるな。チュウトだよ。祝瀬忠等」

「すくせただひと?」

「チュウトで良い。名前なんて、呼んでわかればいいんだ」

 ふーん、と宏紀は忠等の顔を見上げた。おもしろいこと言う人だなあ、というような目で。

 やがて、宏紀の家の前に辿り着く。向かいには彼の幼なじみの家があった。

「へぇ。本当に向かいなんだ」

 呟いて、先に入っていった宏紀の家の玄関を閉めた。

 しばらく玄関に佇んでいると、宏紀が二階からどたばたと駆け下りてきた。

「入ってください。今お茶入れますから」

 てってっと台所の方へ行ってしまう。お邪魔します、と呟いて、忠等がリビングルームらしいフローリングの部屋に入ると、そこにあったガラステーブルの上に何やらメモが置いてあった。宏紀は忠等に背を向けて、紅茶缶と格闘している。

「おい、何かメモが置いてあるぞ」

「そうですか?」

 声を掛けながら目を通した忠等に、宏紀は振り返りもせずに答えた。丁寧な字で「今日は帰れません」と書いてあった。
 見ないのか?と不思議に思って、忠等は宏紀を振り返った。やっと紅茶缶を開けた宏紀はティースプーンを持って茶葉を量っている。メモを見ようという気配がない。
 いいのか?と尋ねた忠等に、宏紀は半分だけ振り返って宏紀は何でもないように答えた。

「いつも同じことしか書いてないから、見てないんです。捨ててください、それ」

 忠等はびっくりしてしまった。見ないうちから内容がわかるどころの話ではない。いつも同じことしか書いていないということは、いつも「今日は帰れません」ということで。
 いつも母親が帰ってこないということになる。この筆跡が母親の物ならだが。そう思って、忠等は即座に否定した。きっと父親なのだろう。母親は帰ってくるのだろう、と。

「さて、今日はお夕飯置いていってくれたかな?」

 そう呟いた宏紀の声が聞こえて、また忠等はびっくりした。ということは、先ほど否定したことが正しかったことになってしまうのだろうか。まさか、そんな、と。

「親父さん? これ」

「母親ですよ。父親は本当に滅多に帰ってきませんもの。母親は外回りのついでに帰ってくるらしいんですけど、父親にそんな暇ないでしょうし」

 冷蔵庫を覗いて、ないや、と呟く宏紀。また店屋物か、としか考えていないような表情で。

 よくわからないが何だかすごい家だな、と忠等は思った。帰るとかならず母親がいて、ということが当然の環境で育った忠等には、宏紀の置かれている状況がいまいち理解できない。

 やがて、盆に乗せて宏紀が紅茶を運んでくる。

「紅茶、飲めますよね? 聞かないで淹れちゃった。うち、コーヒーないんですよ。お砂糖、いります?」

 忠等の前にティーカップを置いて、向かい側にもう一つ置いて、また忙しそうに戻っていく。

「いいから座れよ。こっち来て」

 宏紀の分らしい向かい側のティーカップを隣に置いて。戻ってきた宏紀に自分の隣を示す。

「ここ座んな。向かい合うと他人行儀になって嫌だ」

「え? ……あ、はい」

 ひょこひょこと、可愛らしい仕草で忠等の隣に寄って行く。そして座った宏紀を、忠等はできるだけ優しく抱き寄せた。

「ひろのり? ひろき?」

「ひろき、です。あ、のりとも読めるんですね。気が付かなかった。でも、覚えてくださったんですね。うれしいな」

 はにかんだ宏紀は、本当にうれしそうだった。びっくりして忠等は宏紀を見つめる。どう見ても男の子にしか見えない宏紀が、すばらしくきれいに見えた。

 話し掛ける話題に困ってしまって、ぐるりと部屋を見回した忠等は、一枚の賞状に目を止めた。「警察庁柔道大会関東予選第三位」という賞だった。
 名前は土方貢と書かれている。宏紀の父親だろうか。とすれば、宏紀の父親は警察官ということになる。
 気が付くと、へえと言っている自分がそこにいた。

「どうしたんですか?」

「いや、あの柔道大会の賞状。親父さん?」

「そうですよ」

 宏紀にとってはどうでも良いことのようだった。恥ずかしがっているわけでもなくすました顔で紅茶をすすっている。

「警察官か。俺らの敵?」

「敵って……。警視庁勤めです。刑事部ですから、関係ないんじゃありませんか?」

「本庁じゃあ、自慢の父親じゃないか」

「そうですか?」

 やはり興味はなさそうだ。わからない、と首を傾げている。あまり会わないから、と。
 忠等はこの日何度目かの驚きを示した。会わない、という表現を使うほどなのか、と。

 宏紀の家族の話を聞いていて、忠等は少しずつ宏紀に興味を持ちはじめた。どんな子なのだろう、と。どんな育ち方をした子なのだろう、と。
 普通の育ち方をすれば、こうはならないはずだった。忠等自身も珍しい育ちだが、宏紀はその上を行っていた。知りたいと思った。

「なあ」

 気が付くと、宏紀の耳元にささやいていた。え?と宏紀は忠等を見返す。

「何で俺に目をつけたんだ? ほかにもたくさん人はいたろ?」

 瞬間きょとんと忠等を見つめた宏紀は、やがて真っ赤になって俯いた。その仕草が今までのそっけなさとまったく違って可愛い。また忠等は驚いた。

「あの……だって……すごくきれいに笑ってるの見て、ああいうところにいるような人とは違うんじゃないかと思って。そしたら、会ってみたくなって、話してみたくって……」

 あは、と恥ずかしそうに宏紀は笑った。本当に小学五年生か?と忠等は耳を疑った。

「……変ですよね、こういうの」

 足をソファの上に持ち上げてうずくまる。

「俺のこと、何も知らないんだろう?」

「だって、会って話してみなくちゃ何もわからないでしょう?」

 違うの?と言うように、宏紀は忠等を見つめて首を傾げた。忠等がつい最近思いはじめたことに、宏紀はとっくに気付いていたことになる。
 驚いたと同時に嫉妬した自分に忠等は気が付いた。こんな年下の子供に負けたというのか。

「チュウトさん?」

 黙ってしまった忠等を不思議に思ったのだろう。宏紀が忠等の顔を覗き込んだ。

「宏紀、俺のこと好き、なんだよな?」

「はい」

 迷いもせずはっきり答える。それが忠等にとってどういう意味を持ったのか、彼にはこの時わかっていたのだろうか。忠等は突然、乱暴に宏紀を引き寄せた。

「え……?」

「それって、こういうことしてもいいってことだよな?」

 ソファに宏紀を押し倒して、自分は彼の上に覆い被さる。頭がパニックしてしまったらしく、宏紀はただきょとんとしている。噛み付くようにその首筋にキスをして、忠等は彼のシャツのボタンに手をかけた。





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