30日目




 その日は中庭の疑似太陽の下に椅子を持ち出して日向ぼっこをしていた。

 すぐそばにルーファウスもいて、数の多い翼の手入れを楽しそうにしている。
 ふわふわの羽毛を触るのが気持ち良いのだそうだから、アウルアンティウスもされるに任せていた。

 そんな穏やかな昼下がり。

 椅子に凭れて書庫から持ち出した本を読んでいたアウルアンティウスが、険しい表情で顔を上げた。

 遅れてルーファウスも動きを止めた。
 こちらはのんびりとした表情のまま。

「さすが戦天使。よく気づいたな」

「これだけ強い殺気を見逃したら職務返上だよ」

 一ヶ月の時間を魔王にとことん構われて甘やかされて過ごしたおかげでずいぶん幼い話し方をするようになったアウルアンティウスが、ぷっと膨れっ面でそう答えた。
 その表情が可愛らしく、ルーファウスが可笑しそうに笑いだす。

『陛下はもう少し危機感というものを持つべきだ』

 突然何の前置きもなく、すぐそばの空間から声が聞こえた。

 ついで、アウルアンティウスが腰かけていたはずの椅子が正面から縦に真っ二つに割れた。

 一瞬早くアウルアンティウスはその少し上の空間に飛び上がっており、怪我はなさそうだ。
 それに、翼を弄っていたルーファウスも万歳の姿勢で固まっているものの、被害はないように見える。

 そのルーファウスの傍らに降りて、アウルアンティウスは呆れた顔でため息をつく。

「主君を巻き込みかねなかったように思うが、よもや私を口実に下剋上でも謀るつもりだったか」

『ふん、戯れ言を。主の実力を正しく認識してこそ真の家臣よ。我らが主に寄るでない、天の駄鳥め』

 相変わらず姿を見せずの第二撃を、アウルアンティウスは今度は避けるのではなく剣で受け止めた。

 この地底世界に囚われた時に所持していた武器は取り上げられていたのだが、ルーファウスがたった今見かねて返してくれたのだ。
 目を見交わさないどころか顔すら向けずに、アウルアンティウスの手元にいつの間にか握られているくらいのさりげなさで。

 それはアウルアンティウスの銀の髪をそのまま鍛えたようにまったく同じ色をした聖剣だった。
 叩きつけられた目に見えない魔剣を弾き返し、疑似太陽の光を反射してキラリと光る。

「寄るなとは私を捕らえたそなたの主にこそいうべきだ。私はただの虜囚。好きでとどまっているわけではない」

「おい、アウル。そんな寂しいこと言うなよ。ずっとここにいるんだろ?」

 アウルアンティウスの返答にルーファウスが背後からツッコミを入れる。
 その少し面白がる声色に、アウルアンティウスは多少慌てて振り返った。

「今は帰りたいとは思ってないよ」

 がらっと変わった幼い物言いにルーファウスは満足げにニンマリ笑う。

 元々は幼さなど欠片もなかったアウルアンティウスを、べたべたに甘やかして引き出したおさな言葉だ。
 それゆえに、ルーファウスのそばでなければこのような甘えた口調は表れず、ルーファウスだけが特別なのだという優越感に繋がる。

 天使に共通する魔物に対する上から目線に反感を抱いていたその目に見えない存在は、アウルアンティウスの様子に驚いたらしい。
 全身鉄色の甲冑姿が声の発生元に現れる。

「何を企む、白き侵略者」

 姿を見せたものの疑いを晴らしたわけではなく、むしろ反感は増したらしい。
 厳しい追及の声に、アウルアンティウスは困ったように背後のルーファウスを見上げた。
 鉄色の甲冑が持つ魔の属性を帯びたいびつな剣を向けられたのなら受けて立つのもやぶさかではないが、この魔王のそばを選ぶ程度にはこちらの世界での生活を気に入っているアウルアンティウスは、だからこそ魔物に好んで戦いを挑むつもりもないのだ。

 アウルアンティウスの複雑な表情を受けて、ルーファウスは現れた甲冑を追いやるように手を振った。

「これは俺が今一番気に入っている餌だ。余計な手出しは無用だ、バエル」

 表向きこそ魔王の餌という立場だが、極上の味と個人的感情のおかげですでにこの天使以外には考えていないルーファウスだ。
 アウルアンティウスもまた、自らの立場を虜囚だなんだと卑下するものの、自ら居心地の良いこの腕から逃げ出す気はまったくなかった。

 お互いに相手の感情を確認したことも自分の気持ちを訴えたこともないが、どちらも今の関係を崩すつもりは毛頭ないことは確かだった。

「今に裏切られるぞ、魔王陛下」

「裏切りは必要以上の一方的な依存がなければ成立しない。
 それに、彼個人の性格というより天使の性状から、自らの言を翻すことなどできないさ」

 だから心配無用だと断言するルーファウスの様子に、主を心変わりさせるのは不可能と判断したらしい。

 それで諦めるのではなく、甲冑は手に握った剣を天使に向けた。

「なれば力ずくよ!」

 こちらが身構える間もなく斬りかかってくるのを再び弾き返し、アウルアンティウスは深いため息をつく。
 ルーファウスが口にしたバエルという名前から最上位魔族の一位だとは知れたが、この地底で生活して他の最上位の柔軟な態度に慣れていたアウルアンティウスには余計に頑なに感じられるのだ。

「こちらに理に反する意図はない。気に入らなくば捨て置けば良いものを」

 まったくだとルーファウスが頷く気配に苦笑をこぼし、アウルアンティウスは数歩横にずれてそばから離れた。
 とばっちりを受けたとしても怪我など負いそうにないが、好んで巻き込む気もないのだ。

 アウルアンティウスが魔王から距離を取ったのを幸いとみて今度こそ本気で斬りかかってくる。
 ルーファウスから離れて身構えたアウルアンティウスも、それは迎え打つ意思の表れだ。
 降りかかる狂刃を難なく避けて、敵の懐中に飛び込んだ。

 地に伏したのはバエルの方だった。

 分厚い甲冑の胸元に刀傷を受け、近くにあった花壇の花を巻き添えに仰向けに倒れている。
 アウルアンティウスの立ち位置から前方に五メートルは離れていた。

 つまり、アウルアンティウスの剣技によってそれだけ吹っ飛ばされたわけだ。

「お見事」

 パチパチと手を叩いてルーファウスが賞賛の声を上げた。
 今現在はバエルの主であろうともアウルアンティウスの味方のつもりであるようだ。

 この魔物の世界では眩しすぎる聖剣を早々に鞘に収めて、アウルアンティウスはルーファウスのそばに戻った。
 それから改めて自分がたった今退けた最上位魔族を見やり、眉間に皺を寄せる。

「せっかく咲いていた花に悪いことをしたな。もう少し考えるべきだった」

 天上世界には花の咲く植物がない。
 それゆえに可憐な草花はこの世界でアウルアンティウスが気に入ったものの一つだった。

 残念そうな声を気にして、ルーファウスはアウルアンティウスの顔を覗きこむ。

「べリアルに言っておこう。あいつが丹精込めている庭だからな。すっ飛んで来るだろう。
 植物は生命力が強い。すぐに元に戻る」

 自分が直してやろうと言わないのは、魔力では時間を巻き戻すことができないからだ。

 反対に触れたものの時間を巻き戻すことができる聖力はほぼ無限に持っているアウルアンティウスも崩れた花壇を直すまでには至らず、ルーファウスの言葉にコクリと頷くしかなかった。

「お前もいつまでもそこで倒れていないで帰れよ、バエル。べリアルにどやされるぞ」

 現れた途端にアウルアンティウスを襲ってきたなら大した用事もなかったのだろうと勝手に判断して、倒れたままの配下に冷たい言葉を浴びせると、可愛い天使を促して室内に足を向けた。
 腰に回された手を見下ろして戸惑った表情でルーファウスを見上げ、アウルアンティウスも連れられるままに歩を進める。

 そうして、まだ起き上がらない対戦相手を心配そうに振り返っていた。




 中庭で読んでいた本を返却するために書庫へ行けば、そこにアスタロトがいた。
 書庫にアスタロトがいるのはいつもの事だが。

 バエルと一悶着した話をすると、アスタロトは可笑しそうに笑った。

「あれは意固地になる性質ですから、きっとこれからも絡まれますわよ。
 悔しいのはわかりますけれど、天の戦天使に勝つのは容易ではありませんわね。さっさと諦めてしまえば良いのに」

 その戦天使本人に対して同族をこき下ろすというのも不思議な話だが。
 気にせずコロコロと楽しそうに笑うアスタロトにアウルアンティウスも苦笑を返すしかない。

 困惑のまま小さく笑うアウルアンティウスにアスタロトは笑いを収めてにこり微笑んで見せる。

「少し落ち着いてよく観察すれば、あなたがこの世界で自ら戦いを仕掛けようなどとするはずがないのはすぐにわかるのにね」

 つまりその言葉は、魔王の下で和やかに日々を過ごす異属性の存在を彼女は理解し信頼しているのを端的に表しているのに他ならず。

 アウルアンティウスは素直に嬉しそうに笑って頷くのだった。





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