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「これはもともとかつての私が愛用していた聖剣なんですよ。
ある事件でぽっきり折れてしまった時に彼が直してくれたので魔力を纏ってしまいましたが、作り出され鍛え上げられたのはこの世界。
ですから、魔剣ではありません」
鞘からも剣からも魔力以外感じなかったミカエルには衝撃の証言だった。
つまり、最後に加わった力の如何によって聖剣にも魔剣にもなりえるという実証だ。
「聖力とか魔力とか、そんなものは結局大差ないんですよ。
その証拠に、地上世界では同量ずつ流れ込んだ力が反発もせずに共存している。
力が持つ特性が多少異なるだけで、本質は同じです。
だからこそ、聖力にばかり拘る天上世界が馬鹿馬鹿しいと思える。
この世界を知れば知るほど、天上世界で欺瞞に満ちた生活には我慢できません。
ミカエル。貴方もきっと本能でそれを知っているのでしょう?」
「……私は、この世界に責任がある立場だ」
「えぇ、わかっています。だからこそ、心配です。
あまり無理をしないで、たまには肩の力を抜いて地上や地底へ遊びに行くと良い。
私がいないと愚痴も漏らさない貴方だからこそ」
二人が二人きりだからこそ言い合えたこの世界の愚痴や悪口を、ミカエルが捌け口を失って随分と経つ。
親友であったと思うからこそ心配だった。
生涯で唯一の恋をしてこの世界を捨ててしまった彼が、天上世界に残したただ一つの心残り。
それが親友の存在だった。
そうでなければ、地底世界ではじめて見た前世の夢にミカエルが出てくるなど、ありえないのだ。
恋人を差し置いて、そちらの記憶を優先するほどに、心配している。
「リュシフェル。お前は変わらないのだな」
「あれ、先ほどは変わったとおっしゃいませんでした?」
ふふ、と嬉しそうな表情で笑って、彼は頷いてみせる。
ミカエルの言葉の真意を、すべてを言葉にしなくても汲んでくれる。
気心の知れた友人だからこそできる呼吸だろう。
住まうところも慕う主君も異なるが、それでも二人の間に流れる空気は変わらない。
今でもやはり、親友と呼べる相手だと思うのだ。
「その丁寧な言葉遣いをそろそろやめないか、リュシフェル。まるで他人に戻ったようだ」
「……十分他人だろう」
「そうそう。そのちょっと不機嫌な声色と乱暴な口調は私の特権だったのだから」
「あいかわらず勝手なことを」
「事実だろう?」
くすくすと久しぶりに心から楽しんで笑って、ぽん、とその肩を叩く。
纏う色合いは変わってもそっくりな顔立ちに見覚えのある表情、それに体格もほとんど同じで違和感がない。
ようやく自分の親友が戻ってきたのだと、実感できる。
けれど、その親友は気軽に会える相手でなくなってしまった事実は変わらない。
「地上世界でなら、気兼ねなく会えるのか?」
「気兼ねはいるだろう。ルー……魔王が妬く」
「あぁ、親友に恋人ができると寂しいな。置いてきぼりを食らったようだ」
「ザドキエルとはどうなんだ。本命だろう?」
「あ〜。良いところまで行ったんだけどな。足踏みしているよ」
「なんだ、お前らしくもない。
ザドキエルも満更でもないのだろう?
押し倒してしまえば良いじゃないか」
「うわ、それこそリュシフェルらしくない。恋人に感化されたんじゃないのか?」
「何を言う。ルーはそんな無体な真似はしないぞ。俺には優しいんだ」
「リュシフェルが惚気るなんて、世も末だ」
「……お前な」
楽しそうに笑ってリュシフェルをからかうミカエルと、呆れて首を振るリュシフェルの図はかつての姿そのまま。
他者の目のない隠し部屋の中だからこそともいえるが、それはおそらくこれまでもミカエルの気持ち一つだったのだろう。
彼の有り様をそのまま認めてしまえば、問題などどこにもなかったことは疑う余地がない。
「たまにはこちらにも遊びに来い。歓迎するぞ」
「行ったが最後、天上に戻れなくなる」
「確かにな」
頷いて苦笑いして、リュシフェルは先にその部屋を出て行く。
きっともう帰るのだろう。
寂しくは思うが引き止めても天上世界にとっては混乱の元。
後を追って部屋を出て、自分に向けられた背中に生え揃った漆黒の翼を見つめた。
この翼の色が天上世界から追われた原因となり、彼が天上世界と決別した証でもある。
寂しいとはいえ、親友の気持ちを尊重する立場に立てばそれも仕方がないと自然に思えた。
やはりミカエルの気持ち一つでどうとでも変わる。
「そろそろお暇します」
「……帰すと思うか」
「私に敵う者などこの世に存在しませんよ」
立場を考えれば必要であった言葉に、彼はわかっていたように厳然たる事実を述べ、テラスへ繋がる窓を開けた。
来た時は徒歩だったが、帰りは空を行くつもりのようだ。
見送ろうとして、少し慌ててミカエルは給湯室へ入った。
テラスで翼を広げ、ミカエルの見送りを待っていた彼に、手にした茶筒を放った。
「それを持って早々に立ち去れ」
リュシフェルと一緒の時にしか口にしない茶葉。それは相応の餞別になるはずだ。
彼は手元を見下ろすと、少し寂しそうに、そして嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます」
深く頭を垂れ、空へと舞い上がる。
飛び立つ姿を追ってテラスへ出たミカエルは、不自然なほど青い空に浮かぶ漆黒の翼を見上げ、姿が見えなくなるまで見送っていた。
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