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その行動は、地上の魔力使いが初歩として身につけ修行ついでに使用する空気椅子と同じ行動であった。
だが、聖力しか使えないはずの彼がどうしてそれを軽々と使いこなせるのか。
驚いて目を見張ったミカエルの表情に気付き、彼は肩を竦めて手の内をあかす。
「この身に纏った魔力を伴う衣を空気中の聖力と反発させているのですよ。
普段は空気中の魔力と私自身の聖力を使っているのですが、その応用です」
それは、自分自身も身の回りもすべてが同じ力でできている者には使えない能力。
地底へと住居を移してから編み出した方法であることは伺える。
聖力を身に纏い聖力のみで生きる天使には発想し得ない応用術だ。
それは魔力を身に纏い魔力のみで生きる魔物どもにも同様のはずだが。
「人間は本当に器用ですね。
聖力も魔力も同量に流れ込むかの地だからこそ、上手に二つの力を使いこなす。
すべてを一方の力のみに頼る天使や魔物にはなし得ない発想を、自由に展開してみせます。
純粋な力では人間の力など微々たるものでしょうが、実際に双方の持ちうる力を持って対峙すればきっと、人間に軍配が上がりますよ」
人間の肩を持つのは彼が異世界で育った人間でもあるからだ。
しかし、それ以上に彼の言葉は実感が伴う。
人間を身近に知っている者の言葉であるように感じるのだ。
「そなた、地底のみでは飽き足らず、地上へも干渉しているのか」
「干渉だなんて人聞きの悪い。
人間の友人がいるので、時々遊びに行っているだけですよ。
貴方もこんなつまらない世界に閉じこもっているからそうしてストレスを溜めるんです。
地底は無理でも地上へならそんなに制約もないでしょう?
たまには出かけてみたら良い。視野が広がります」
かつて、こんなつまらない世界、と自らが住まう世界を軽蔑の目を伴って評していたのはミカエルの方であった。
共にいてその言葉を窘めてくれたのが銀髪の戦天使である友人。
彼はやはり、変わってしまったのだろう。
地底世界へ行ってしまったせいというだけでなく、その身に纏う色が変わった時に。
透き通る白い肌にきらめく銀の髪、純白の六翼は誰よりも神々しくほんのり光を放っていた、かつての友人。
同じ魂を持つはずの目の前の彼は、黄味がかった肌としっとり濡れたような漆黒の髪、そして光を吸収するような漆黒の翼を身に纏う。
その内包する力がかつての彼に遜色のない純粋な聖力である事に違和感を覚えるほど。
「そなたは、かつてのそなたではないのだな、もう」
「おや、そうですか?
自分では変わったつもりはないのですが、もし変わってしまったというのなら、異世界に生まれ変わったのがそもそもの原因でしょう。
私のせいではありませんよ」
この世界を統治する聖王によってその身を滅ぼされたのが、そもそもの原因。
もちろん、彼が地底世界を統治する魔王に惚れなどしなければ滅ぼされることもなかっただろうが、地底世界から戻されて失意の日々を送っていた頃の彼は、良く知っていた彼と同じであったのだ。
だとすれば、こうして天上世界を軽んじる言動を取る彼を生み出したのはやはり、天上世界自らということに結論付けられる。
皮肉な話だ。
彼の件についてはミカエルも判断を誤ったのだと理解している。
頭の痛い話ではあるが、であるからこそ蒸し返したくない苦い過去だ。
「それで、何の用事だ。そなたがわざわざこの地へ足を運ぶほどの用事だ。さぞ重大な件であろう」
「先ほど言いました。預けたものを引き取りに伺ったまでです。
そのついでに、かつての友人と茶飲み話でも、とは思っていましたがその程度ですよ」
「……預かった覚えなどないが」
「預けましたよ、私がこの世界から消された前の晩に」
この世界から消された、ということは、地底世界から戻ってきた後で聖王に滅せられる前の晩となる。
過去を振り返り、ミカエルは途端に眉を顰めた。
「……魔剣か」
「ただの剣ですけどね。
魔王の力は加わっていますが、魔剣というほどの魔力は秘めていませんよ」
それでも、その剣で天使が傷つけば反発する力で被害がより大きくなる効果はある。
天上世界にとってはこの上ない危険物だ。
それ故に、厳重に封印してミカエル自身の記憶も奥深くに沈めてあったのだ。
「何故今更」
「そう言われても、機会なんてありませんでしたし」
預かった年数を考えれば確かに今更かもしれないが、預けてから今まででこうしてまともに会話ができる機会など一度もなかったのも確かだ。
困ったように答えられて反論の余地もなく、ミカエルは深い溜息と共に立ち上がった。
「あれはこの世界には毒でしかない。早々に持ち帰れ」
導く先は執務室に繋がる書庫の奥の隠し部屋。
その存在はもともと彼も知っているため今更隠すほどの無駄もなく、剣を収納した箱の前まで導いて立ち止まる。
魔剣が相手となればミカエルでも触ることは躊躇する。
だが、彼は当然の顔をして箱を開け、中身を取り出した。
鞘から抜いて刃を確かめ、嬉しそうな笑みを浮かべる。
「大事に保管してくださって、ありがとうございます」
「目に付かないところへ追いやったまでだ」
「それでも。これはなくしたくなかった思い出の品なので、とても嬉しい。お礼に、この剣の正体をお教えしますね」
もったいぶって前置きして、悪戯っぽく笑った彼の表情に目を奪われていたミカエルは、続いた言葉に言葉も失って立ち尽くすはめになった。
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