天使の帰還〜魔王様の独白〜
恋人を失ってからというもの、私は自らの心身を痛めつけるように仕事に精を出していた。
もともとそんなに根を詰める必要もないものなのだが、真面目に務めればそれなりの忙しさになる。
自らの半身を失った痛みを誤魔化すにはそれしかなかったのだ。
とはいえ、本来義務感など感じることのない魔族だ。
私以外の部下たちに余計な負担を強いるのも憚られ、自分でできることはほとんど引き受けたが故の忙しさではあったため、楽にやろうと思えばひたすらサボれる立場でもある。
まぁ、そんな心の余裕はまだないが。
その日も、疲れた身体を引きずって、恋人の生活リズムに合わせた名残である睡眠のために、恋人の思い出が詰まった寝室に赴いたところだった。
永遠を生きるこの身体にとって、たった数時間の活動で疲れを感じてしまうなど、本来ならばありえないはずである。
恋人を失ってよりこのかた、正規の栄養補給を行うこともできず経口食代用しているつけがここにきて響いているようだ。
しかし、仕方があるまい。恋人以外には触れたいと思えないのだから。
一人では広すぎるリビングを通り過ぎ、これもやはり一人では大きすぎる寝台を設えた寝室に足を踏み入れて、私はそこで立ち止まってしまった。
寝台の上に、人型の生き物がうつ伏せて倒れていた。
この地底世界に属する魔物たちは当然、世界に充満する魔力のみを体内に巡らせている。
しかし、その生き物は当然あるべき魔力を欠片も持たず、反対に天上世界に帰属する聖力を満たして存在していた。
それも、無尽蔵に近い強大な聖力の持ち主だ。
こんな力の持ち方をするのは複翼の高位天使くらいのものだが、こちらに向けている背にあるべき翼はない。
それに、魔族にも人間にももちろん天使どもにも見たことのない漆黒の髪がまた珍しかった。
あり得るとすれば、この世界とは異なる次元の世界から時折現れる異邦人くらいのものだが、選りにも選ってわざわざこの魔王の寝室に直接現れる意図は一体何なのか。
ともかく、こんな特異な事態は楽しむに限る。
どうせ恋人を失った惰性の人生である。
どんな事態にせよ、刺激がある事がありがたい。
よく眠っているらしい異邦人を起こさないように気配を殺してゆっくりと寝台に歩み寄る。
美形の最上位魔族を侍らせて暮らしている私の美意識を十分に満足させる整った顔立ちが目を引いた。
そして、その瞬間に最も重要な事実に気がついた。
その眠る横顔も、肌に感じる聖力の波長も、愛しい人に瓜二つ。
「……アウル」
長い年月に負けて半ば諦めかけていたとはいえ、耄碌したものだ。
この世界に二人といない愛しい人を、ただ色が違うというだけで見間違いそうになるとは。
天上世界に奪われ、その肉体を壊されたあの時。
彼が私の力すら及ばない異界へ逃げ出したことは把握していた。
それは、彼自身が聖王に自由を奪われることを嫌ってのせめてもの抵抗であったことも良くわかっている。
その後の消息が、杳として知れないまま時は過ぎ。
彼自身の身に何か事故があったのに違いない。
あの銀糸の髪も透き通る白い肌も純白の翼も、すべてを失った代わりに得たのが、この脆弱な人の姿なのだろう。
黄味がかった肌に漆黒の髪。
身に付けている服は寝着なのか、随分とラフな形だ。
そうして身に纏った色を変えてもなお、肌理の細やかな肌に艶やかな髪、そして顔の輪郭から目鼻の配置までそのままでいてくれたのは、奇跡としか言いようがなく。
そして、きっと、直接この場に現れてくれたこの事実こそが、最大の奇跡といえよう。
そうまでして私の元に帰って来てくれた彼に、最上級の感謝を捧げよう。
もう二度と、この手を離さない。
「おかえり。アウルアンティウス」
ありがとう。愛しい人よ。
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