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「カズマは返してもらう。早々に立ち去れ」
「……リュシフェルは天上へ連れ帰る」
「本人が嫌がってもか?」
「それが天の意思だ」
そして、その天の意思を遂行するのが天使の役目なのだ。
己の感情が何をどう判断しようとも。
ぐったりしたカイムをアモンに預けてルーファウスの右隣にするりと寄り添った和磨が、その手に戻った聖剣をミカエルへ向けた。
「天上世界が求めるリュシフェルなどここにはいない。彼の地へ帰れ、ミカエル」
聖剣はその身に纏う力ゆえに聖なる存在に対しては木刀にすら満たない力しかない。
それでも武器は武器であり、和磨がミカエルに敵対する意図は伝わった。
だからこそ、ミカエルもまた、腰に佩いた剣に手をかけた。
「拒否する権利はないぞ、リュシフェル。抵抗するなら力ずくだ」
「何度やっても同じこと。私の帰るべき巣はここなのだ」
「世迷言を……」
「戦天使リュシフェルを殺したのは天上世界であろうが。今更死者を求めて何とするっ」
「リュシフェルは戦天使であるが故に死を持たぬ。その背に純白の六翼を負う限り、定めに逆らうことなど……」
「ならばこんな翼、真っ黒に塗りつぶされてしまえば良いっ!」
本来のリュシフェルならば、きっと激昂することなどありえなかった。
けれど、ここにいる黒髪の少年は、十七年の歳月を人間として過ごした異邦人。
語り口調こそリュシフェルに引きずられていても、我慢の限界に達する時間は随分と早くなった。
我慢する必要性を吟味する程度には人間らしい思考だと言い換えることもできるのだが。
まるで売り言葉に買い言葉。
純白の翼が戦天使の役目に和磨を縛り付ける枷ならば、それを放棄してしまうことに躊躇いはなかった。
それはやはり一瞬の出来事だった。
放たれた言葉に周囲の人々が驚く時間すらもなく。
純白に輝いてすらいたその白翼から光が抜けた。
その漆黒の髪と同じ鴉の濡れ羽色。
光を反射して艶めくその翼は、質感だけは変わらずにふわりと質量の重い地底の空気をかき混ぜる。
「空へ帰れ、ミカエル!!」
天使であるからこそ使える聖力使い最強の異能力。
その《言霊》の力は天上世界を統べる聖王すら足元にも及ばない。
そもそも《言霊》の力は言葉を発する者の強い思いが具現化するものだ。
執着心の薄い天上世界の最上位の誰よりも個々に対する思い入れの強いリュシフェルがその力に長けているのは、至極当然だった。
その背負う翼を闇色に染めた力と同じほどの力でミカエルを地底世界からたたき出す。
これにミカエルが抗えるはずはなく。
飛ばされていくミカエルの姿を吸い込んで、割れた空が逆回転映像のように元に戻っていった。
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