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ふと、声を持たないはずの魔物の声が耳に聞こえてきた。
こちらに呼びかけているようないくつかの種類の鳴き声だ。
それらは一様に、親を呼ぶような甘えと切実さを含んでいた。
連想して、ミカエルは自分の発想にこそ首を傾げた。
そもそも魔物は天使と同じく創造主によって創り出され、地上世界の生き物のような親という存在を持たない。
親もないのに親を恋しがるなど、本末転倒もいいところだろう。
鳥のような翼を持った魔物たちが、天使の攻撃をかいくぐってミカエルとリュシフェルのいる天空を目指してくる。
天使に手を上げようともせず、邪魔になる位置にいる天使には容赦なく反撃をしながら、明らかに目指す先が天使の本陣であることにミカエルは気付いて眉を顰めた。
何らかの共通の意思が働いているとしか思えない。
大した思考力も持たないはずの低位の魔物が、示し合わせて別種族が一緒に行動するなどありえなかったはずだ。
近づいてくる魔物の声なき声が聞こえるほどに距離が縮まって、彼らの声の意味が理解できた。
それは、ありえないと否定したミカエルの直感が正しかったことを証明していた。
『母様っ』
『あそぼ、ははさま』
『お帰りなさい、母様』
『母上様っ』
多種の魔物が助け合ってこちらへ向かってくる様は、これまでの地底世界の常識を覆す光景だった。
元々食い合って自ら数を減らす魔物は、そんな日常であるだけに個々の戦闘能力が高い。
それでも天使と五分の実力であったのは、軍として統率の取れた天使に対して横の連携がない分、一対多の戦いが多かったためだ。
魔物が異種族間で協力し合えば、天使の今の実力では敵う筈がない。
そんな魔物の群れに後から追いついてきた影が二つ。
「魔物たち。地底へ戻り身を守っていろ」
「おかえりなさい、カズマ」
それは、地底世界の門番と知られた最上位魔族のカイムとアモンだった。
蝙蝠のような骨ばった羽を背に生やし、集まってきた魔物たちを地底に追い返す。
それは、今まで討伐に興味を持たず関わり合いを避けていた彼らにしては奇妙な行動だった。
最上位の存在に反応したのはリュシフェルだった。
感情の欠落した彼は今、機械的に物事を判断している。
最上位魔族は最優先の排除対象だった。
過去のリュシフェルであれば、そもそも魔物程度を最上位魔族が守ろうとする奇妙さを訝しみ、事の成り行きをまず観察しただろう。
そこには理由があるはずで、万が一こちらに大打撃を与えるような企みがあっては洒落にならない。
そんな判断力が今のリュシフェルにはないのだ。
だからこそ、それを補うためにミカエルが同行したのだが。
すぐ隣にいたミカエルですら止める間もない、ほんの一瞬の出来事だった。
音もなく剣を抜いたリュシフェルが、あっという間にカイムの懐に飛び込んだ。
「リュシ……」
「カイムっ!?」
間に合わなかったミカエルの声に、アモンの悲鳴がかぶる。
リュシフェルの握った聖剣は、カイムの左脇腹に深々と突き刺さっていた。
リュシフェルが舌打ちをしたのは、目標を誤ったためだ。
寸前で身を捩ったカイムの行動が避けきれなかったものの急所を守った。
その剣をそれ以上動かされないよう自分の両手で握り、カイムは苦しげに表情をゆがめつつもリュシフェルを間近に見返した。
「カズマ」
「……その名を呼ぶな」
「何で。お前の名だろう? カズマ」
「そう。お前の名だ、カズマ」
そこに影も形もなかった第三者の声が、カイムの言葉を繰り返す。
二人に覆いかぶさるように現れた深紅の影が、二人一緒に抱き寄せる。
カイムもリュシフェルも戦士として十分な体格を持つが、それらを守ってなお逞しい大柄な体躯。
リュシフェルを抱く手はその頭を自分の胸に抱き寄せ、カイムを抱く手は労うように頭を撫でた。
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