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ずっと討伐隊の陣頭指揮はリュシフェルに任せきっていたため、この赤紫色の世界に身を置くのは随分と久しぶりだ。
ミカエルはその世界を改めて見回して、隣に佇む銀髪の青年を見やった。
ミカエルにとっては見慣れたその姿は確かに戦天使リュシフェルのものだ。
だが、その瞳に感情らしい物が浮かばない事が何とも奇妙だった。
以前も大して語る方ではなかったが、今のリュシフェルはまるで人形だ。
話しかけても型にはまった返答しか戻ってこない。
天使という存在に個性は不要だ。
天上世界にただ一つの意思があり、これを実現するために天使のそれぞれが役割を果たす。
そのためには統率された一団の一機能であれば良い。
個性や自己主張は邪魔になるだけだ。
だが、それを持っているのが最上位天使の存在だった。
下位の天使を導くべき役目を負っているからこそ、思考力は不可欠なのだ。
今のリュシフェルには、思考力がない。
輝くような天の愛し子といわれた魅力も失われてしまっていた。
リュシフェルが身に負った間違いを正すため、そこまで削り取らなければならなかったという事なのだが、ならばそれは本当に間違いだったのか。
隣に浮かぶリュシフェルは、聖力を帯びた剣を腰に差したまま支え持って、じっと戦局を見つめているだけだ。
天使を守り天上世界に数多く連れ戻す事が彼の役目であって、魔物の討伐に積極的には動かない。
それは魔王に囚われる前からそうではあったのだが、それにしてもその視線が冷たいと感じてしまう。
天使の愛は基本的に博愛だ。個々に思い入れを持つことはなく、あまねくすべてを見守り愛する。
これに対して、リュシフェルは昔から慈愛の念が強かった。
あまねくすべてを見守っていることに変わりはないが、その対象はあくまでも個々だ。
それ故に須らく相手を理解しようと努め、いちいち心を砕いて親身になる。
だからこそすべての天使たちから愛される存在になり得、そして魔王に囚われることにもなったのだろう。
このリュシフェルにはそれがない。
他の天使たちと同じく博愛の精神を持ってすべてを愛しているが、元が元だけに冷たくなったと感じられてしまう。
昔はリュシフェルに対して、少し変わった人だという認識しかなかったミカエルだが、こうして比較してみるとあの当時のリュシフェルは地上の人間たちが幻想的に抱いている天使様の姿を体現していたのだろう。
ミカエルには当時のリュシフェルを真似ることはできない。
もちろん天使の有り様から照らして見ても真似る必要はないのだが。
ただ、彼のような存在も必要だったのだろうと改めて思い至った。
「なぁ、リュシフェル」
「……何だ」
「これで、良かったのか?」
「……何の話だ」
「いや……なんでもないよ」
そう、今の彼から当時の彼と同じ返答を求めるのは間違っている。
そのように変えてしまったのは天上世界なのだから、その最高責任者であるミカエル自身がそれを訊くのは筋が違うというものだ。
「天の愛し子は、天自身の手で殺してしまったのかもしれないな」
銀糸の髪も草原色の瞳も透き通る白い肌も確かに再現されているけれど。
リュシフェルを愛されるべき天使と為していた最大の魅力は、あの過剰なまでの優しさだったのだ。
今更気付いても遅きに失するという話だが。
戦局は普段と変わらず一進一退を繰り返す。
魔物の数を減らした分、天使の数も同じだけ減っている。
それが天地の理であるとはいえ、何ともやるせない現実だ。
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