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 診療所の裏庭で始まった特訓は、夕食を挟んで深夜までに及んだ。
 時間が限られていたので複雑な治療術は習えなかったものの、直接見えない物を見て聞こえない音を聞くコツを学び、周囲の異能力使いたちを驚かせるスピードでそれらを吸収していった。

 コツさえわかれば後は実践あるのみだ。
 そもそも本人の自覚はともかく聖力の塊である天使の和磨にとって、それはまったく難しいものではない。
 アンジェラが後継者に欲しがったのも無理のない話だ。

 マリアンヌが腕を揮ってくれた夕食は、素朴ながら味わい深いこの世界の家庭料理だった。
 昼にも食べた粉を薄く焼いた主食はマリアンヌが作るとクレープのようで、生野菜や茹でた根菜、細かく切った肉を炒めたもの、川魚のフライなどをそれで巻いて、自家製ソースをつけて食べる。
 アモンが持たせて寄越した弁当の中身も、この具に適したものばかりだった。
 食後には酒漬けされた果物にミルクをかけたデザートをもらった。ほんのり残るアルコールが絶妙なバランスだ。

 街の郊外にあるメフィスト邸に戻ったときには、月も頂点近くまで昇っていた。
 浴室はあっても湯に浸かる習慣のないこの世界では、手桶に湯を汲んでタオルをこれで濡らして髪や身体を拭うことで一日の汚れを落とすらしい。

 明日の朝には地底世界に戻る。丸一昼夜というのがルーファウスとの約束だ。
 ゆっくり休みなさいと言われて和磨も大人しくベッドに入った。

 やわらかいそのベッドの中身は、干草なのだそうだ。
 思いがけず念願が叶って、笑みも漏れようものだ。
 幼い頃に見たハイジの干草のベッドにずっと憧れていたのだ。

 ベッドに入ったものの、楽しく一日を過ごして興奮しているのとこの世界に来て初めての一人寝に少し寂しいのとでなかなか寝付けず。

 しばらくはベッドに入って眠る努力をしたものの、結局諦めた。
 メフィストもユーリも寝てしまっているのを覚えたばかりの術で確かめて、むくっと起き上がる。

 別に行くあてもなく、夜は魔物が獲物を求めてやって来るおかげでどこの家も寝静まってしまうこの世界では、あまりうろうろできる時間帯でもなく。

 ただ風に当たりたくて、裏庭に出た。

 この家の周囲は、メフィストが張り巡らせた魔物よけの結界に守られている。
 そのため警戒する必要性も感じずに和磨は手近の岩に腰を下ろした。

 夜の風は優しく和磨を撫でて通り過ぎていく。
 日中より幾分下がった気温も肌に心地良い。

 ルーファウスに結ってもらってからそのままだった髪を風に当てたくて、和磨はそのリボンを解いた。

 具体的に思い浮かべないと不安定な物が出来上がると自己申告していたわりに、そのリボンは随分と凝った作りだった。
 三系統六色の糸を同系色ごとに組紐にし、さらに三つ編みにして両端を結んで糸を長く余らせてあるそれは、和磨の髪に絡み合ってアクセントになるように計算された一品だ。

 最近は和磨が気に入ったリボンを繰り返し使う分毎日作り出すわけではなくなったせいか、非常に凝ったものを作るようになった。
 中でもこれはなかなかに力が入っている。

 それを趣味だと言い切るほどにルーファウスは和磨の髪を弄るのが好きなようだ。
 夢で見ているからこそ知っているリュシフェルの髪は、和磨の濡れたようにしっとりとした黒髪と違い、触れば音がしそうな銀糸の髪だ。
 リュシフェルとは最も違いが大きく目に見えている場所なのに何故、と不思議になる。

 不思議といえばその肌の色もだ。
 いくら手入れをしていて肌理細やかに保っているといっても、元々黄色人種である和磨の肌の色はリュシフェルの透き通るような白い肌とは程遠い。
 それでも彼はその腕に和磨を抱くたびに綺麗だと誉めてくれる。
 それこそ歯が浮きそうなベタ誉めに。

 確かに、和磨はリュシフェルなのだろう。
 少し基礎を教わっただけでも見る間に上達した聖力使いの技が、それを物語っている。
 抵抗の余地など残されていない。

 けれどそれでも、和磨は和磨でしかなく、リュシフェルの意識など欠片も見つけられないのに。





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