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街までは歩いて大体三十分ほどの道のりだった。
すぐそこにあるように見えてそれなりに時間がかかるのは、周囲に何もなく見通しが良いせいだろう。
街には食料品を売る市が立ち、衣料品店や雑貨屋が軒を連ねていた。
街の外では危険も多いらしく武器や防具を売る店もあり、武装した人間が何人も出入りしている。
その一方で、農村らしく農耕具を商う店も繁盛しているようだ。
この街でもメフィストは人気者である。
市を歩けば店番のオバちゃんたちに声をかけられ、武具の店でも威勢の良い店主に声をかけられる。
ユーリは和磨が気に入ったようで、あれは何の店だ、そこは何の店だと説明してくれていた。
歳の若い者同士が良いだろうとメフィストは弟子に任せきりで先に立って歩いていく。
やがて、一軒の研師の店で立ち止まり、二人にここで待つように指示をして中に入っていった。
「へぇ。魔力使いでも武器は持つんだ」
「御師様は特別さ。
強力な魔術を使うには体力も鍛えるべきなんだっていうんだ。剣の腕だけでも御師様はそこらの傭兵に負けないよ」
「心身ともに鍛えるってやつだね。ユーリはしないの?」
「俺? ムリムリ。そんな体力ないよ」
確かに鍬すら振り上げられなさそうな細い腕で、全否定するような勢いでパタパタと手を振る。
その様子に和磨は苦笑するのだが。
「体力なんて、誰でもある程度は鍛えられるよ。剣とか持たなくても、簡単なものから武術を始めてみたら良いのに」
「武術って?」
きょとん、と目を丸くして問い返されて、もしかしたらこの世界には確立された武道の心得などは発達していないのかもしれないと思い至った。
つまり、実践重視の現場で鍛えるタイプの荒削りなのだろう。
けれど、和磨も小学生の頃に空手を少し齧っただけなので、人に教えられるほどではないのだが。
「戦いを想定した訓練の形態のようなもの、かな。俺も何かできるわけじゃないけど。
メフィストが教えてくれるんじゃない?」
「けど、御師様は俺にそれをしろとは言われないし」
「自分から教えを請うのを待ってるだけじゃないかな?
しなくても良い事なら強制はしないでしょ、あの人」
「そうなのか……」
今まで師匠がすることに自分を置き換えて考えた事がなかったのだろう。天才のやることは違う、と見ているくらいが関の山だったわけだ。
それが自分にもできることだとは考えもしない。
自分を凡人だと思い込む人間の悪いところだ。
ユーリはどうやら和磨の言うことには一家言あると理解しているようで、またもや考えこんでしまった。
話し相手がいなくなってしまったので、和磨は店先の木箱に寄りかかって腕を組み人を待つ体勢になった。
やがて預けていた剣を片手に店を出てきたメフィストは、待たせていた連れのいるはずの方向を見やり、足を止めた。
シャツもパンツも羽織った長めのベストも素材こそ質の高い一級品だが作りは非常に庶民的で、見る人に眼識がなければ良い物だと気付きすらしないだろう。
だが、それらを身に纏い同系色のリボンで髪を纏めただけの姿ながら、姿勢の良い立ち姿といい整った顔立ちといい、見るものを圧倒する気品が感じられるのだ。
それにその上、純度の高い聖力を身に秘めていながら触れれば怪我を負わされそうな危険性を相手に与える雰囲気を身に纏っていた。
禍々しい美しさとでも言うべきか。魔王に愛されているせいだけではない本人の持つ何かがそこには確かにある。
メフィストをして息を飲ませるその雰囲気は、和磨がメフィストに気付くと途端に霧散した。
ユーリの肩を叩いて促し、こちらに寄ってくる。
「大きな剣ですね」
普通の年頃の少年のように目を輝かせて見に来る和磨は、そのわりに手を後ろに組んで触りたい様子はまったくない。
自分がそれを使いこなせないことは重々承知しているのだろう。
「見てみるかね?」
「いえ、俺はそういうのはちょっと。
武器が持つ美しさとかも知っているつもりですけど、鞘に納まっているほうが安心できます」
「興味もないと?」
「君子危うきに近寄らず、ですよ。非力な自分は自覚してます」
それはこの世界にはない教訓だったようで、ユーリは不思議そうに首を傾げ、メフィストは感心したそぶりを見せた。
「良い言葉だ。君のいた世界の言葉かの」
「えぇ。大昔の兵法家だったか道徳家だったか、偉い先生の言葉だそうです。
都合の良い時だけ引用してるようなものなんですけどね」
「しかし、空で引用できるのだからその言葉は身についているものだろう。
規範となる言葉が根付いているといざという時に強い。
良い言葉を覚えられたの」
自分自身の力を知っている人間は、他人の言葉でも良い物は良いと認められるものであるらしい。
和磨の口を借りて伝わった格言を理解し受け止めて、メフィストは納得げに頷いた。
そしてその一方で、この言葉の欠陥をすぐに指摘できるのも頭の良い人間ならではだ。
「しかし、危険を回避するだけでは先に進めぬこともあろうが……」
「えぇ。ですから、相反する言葉もあるんですよ。
虎穴に入らずんば虎児を得ず。
虎って猛獣でとても危険なんですけど、その巣穴に飛び込まないとその子供は手に入らない。
危険だと尻込みするだけでは大きな事業は成し遂げられない、という意味ですね」
「ほほぅ。ユーリに聞かせてやりたい言葉だの」
「……ここで聞いてますよ、御師様」
後一歩が踏み出せない性格なことは自覚があるようで、からかわれたことには反応したもののそれ以上の反論はなかった。
むぅ、と唸りつつ考え込んでいる様子なのは、それでも何かしら思うところがある証拠だ。
メフィストは孫ほどの年齢の愛弟子に何らかの変化の兆しが見えることで、和磨には肩を竦めて見せつつも静観することにしたようだった。
かわりに、街道の先を示して二人に行動を促す。
「さて、腹が減ったろう。
聖力使いに会う前に腹ごしらえといこう。この先に美味い定食屋があるのだ」
先に立って揚々と歩くメフィストを追って、和磨も歩き出す。
足を踏み出さないユーリの背を叩いて促すのも忘れない。
この二人はなかなか良い友人になれそうだ、とメフィストは年長者の視点で彼らを観察して微笑った。
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